風の記憶

the answer is blowin' in the wind

朝の光

2007-11-14 | 

Nikon D200  TAMRON SP90□□



            朝の光りに似た深いかなしみが

                          胸を満たして来た。




『蝉しぐれ』-藤沢周平-





小説「蝉しぐれ」の中の一節です。

主人公の文四郎とふく。お互い想いを寄せていた幼ない二人でしたが、ふくは江戸屋敷の奥に上がることになり、やがて藩主の側室となって懐妊。下級武士の文四郎にはもはや手の届かぬ存在となったふくでしたが、ある日そのふくが流産したと知らされます。お世継ぎの政争に巻き込まれたとも。

やりきれない思いを抱き、文四郎は友人と飲み屋で一晩飲み明かします。
翌朝、割れるような頭の痛みに目ざめた文四郎。
「ふくは流産し、自分はこんなところで酔いつぶれている。」そんな厭世的な思いの文四郎に朝の光りが降り注ぎました。
そして、その時の文四郎の心の様を、作家は上の一節のように書いたのです。
『朝の光りに似た深いかなしみが胸を満たして来た。』

この小説を読んだとき、私はこの一節に感動しました。
悲しみを胸に秘めているときに見る朝の光りは、眩しすぎて悲しみをよりいっそう深いものにしてしまうものです。それを藤沢さんは的確に表現してくれたと思ったからです。

ところが以前、NHKでこの小説をドラマ化したときに、その部分の表現をナレーションで次のように伝えたのです。
『朝の光りに似た淡いかなしみが胸を満たして来た。』

この部分に思い入れのある私は、ドラマを見ながら思わず「違う!」と叫んでしまいました。
微睡むような朝の光りは確かに淡いものだけど、このときの主人公の心の有り様はその光りを決して「淡い」とは感じなかったはずです。
ガッカリした私は、このドラマのホームページの掲示板に、ドラマだから原作を多少変えるのはあることだとは思うが、この部分の変更は如何か、と書き込みしたのです。

ところがところが、その書き込みを読んだ別の視聴者の方からの情報で、この小説の単行本での表現は「淡い」になっていて、文庫本の方では「深い」に変わっている、と言う事を知らされたのです。
単行本を増版する際や文庫本化する際に、作者が初版を加筆訂正するのはよくある事なのだそうで、私がこの小説に感動し、何度も読み返したのはまさにその文庫本の方なのです。

また違う方からの情報では、この名作「蝉しぐれ」の初出は山形新聞連載で昭和61年から(実際は秋田魁新報がその9日前に連載スタート)、単行本の初版が昭和63年、そして文庫本化が平成3年の刊行で、推察するに、藤沢さんもこの部分がどうも気に入らなくて、文庫本にするときに直したのではないか、と言うことでした。

藤沢作品の名作中の名作「蝉しぐれ」
今は亡き藤沢さんにどのような心境の変化があったかは興味の尽きないところです。
どなたかここら辺のことを知っている方がおられましたら是非教えていただきたいと思うのです。



ところで、話しは少し違うのですが、藤沢周平さんの小説の話しをすると、時代小説はどうも読む気がしないなぁ、とか、今更チョンマゲの時代の物語も無いだろう、とか言う方(それは、かつての私でもあるのですが)が多いのですが、藤沢小説はそのように思っている方にこそ読んでいただきたい作品でもあります。

美しい情景描写、愛情あふれる人間描写、そして端正で詩情豊かな文章の美しさ。
藤沢小説を読んでいると何故だか懐かしい思いにかられます。それは、現代の日本人がなくしてしまった日本人の心を見ているからなのかもしれません。藤沢さんが時代小説というジャンルを選択した理由のひとつがそこにあるようにも思うのです。

経済優先主義、合理主義、儲け主義、そして「勝ち組負け組」という情も品も無い日本語があたり前のように受け入れられてしまう今の日本。『心』や『精神』といったものを大切にする日本人の心情は、あの時代と言わずとも、つい最近まで私たちが持っていた美しい日本人の心ではなかったのでしょうか。


『(小説冒頭の章の自然描写を指し)この自然描写の形をよく見られよ。これは、単なる描写ではない。日本人の心の裡にある自然の形を描いたものなのだ。日本的な、人間の内部が抱く自然というものなのだ。私が評論家面をして小利口ぶっていえば、これこそが「風土記」以来の、日本人の自然に対する感受性なのである。』(文芸評論家-秋山駿-)


藤沢小説の代表作のひとつ『蝉しぐれ』は、多くの日本人に読んでいただきたい名作です。


小説

蝉しぐれ
藤沢 周平
文芸春秋

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映画
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TV

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コメント (11)
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