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「田植えしてっど、山(鳥海山)がら神様 降りで来ての、
おらえの田んぼさも 居でくださんなです。
ありがでぐで、ありがでぐで、
思わず手ぇ合わしぇでしまいますのぅ。」
- 遊佐町の農家 -
庄内弁
~田植えをしていると、鳥海山から神様が降りてきて、
自分の家の田んぼにも居て下さるんです。
ありがたくて、ありがたくて、
思わず手を合わせてしまいますね。~
稲の祭と田の神さま - 失われゆく田んぼの歳時記 -
「田植えしてっど、山(鳥海山)がら神様 降りで来ての、
おらえの田んぼさも 居でくださんなです。
ありがでぐで、ありがでぐで、
思わず手ぇ合わしぇでしまいますのぅ。」
- 遊佐町の農家 -
庄内弁
~田植えをしていると、鳥海山から神様が降りてきて、
自分の家の田んぼにも居て下さるんです。
ありがたくて、ありがたくて、
思わず手を合わせてしまいますね。~
稲の祭と田の神さま - 失われゆく田んぼの歳時記 -
庄内弁。
思わず、親族を思い出しました。
母は普段使わないので。
昨年の秋、合併で「鶴岡市」になってしまったなんですが、携帯、まだ圏外になるんですよ(笑)。
また、行きたくなりました。
神々しい風景ですね。思わず手を合わせてしまいましたけれど、この気持ちこそこの国のこころ、ご先祖さまたちから受け継いだ血を感じるときでしょうか。ウミネコたちも、水田で短調の和音を奏でているように見えます。自然への畏敬の念─ わたしたちが忘れつつある、大切なもの。
鶴岡市になってしまったってことは田川地区ですね。同じ庄内弁でも飽海地区とは微妙に違いがありますよね。
でも、故郷を偲んで頂けてうれしいです。
携帯、遊佐方面も三本立たないところがありますね。カバーされていることになっているのですが・・・。
>自然への畏敬の念─ わたしたちが忘れつつある、大切なもの。
おっしゃるとおりですね。
亡くなった私の祖母は、よく収穫した後の畑に手を合わせておりました。とても美しい光景だと思いました。
その時見たものは日本人の心の美しさなのだと思いますね。
食べ物はスーパーで売っているもの、と何の躊躇いもなく言ってのける今の日本人には無い凛とした美しさです。
心を無くしてしまった日本人は、平気で空き缶を田んぼの中に投げ捨てていきます。
どのあたりまでの範囲を言うのでしょう?
ワタシの身内は、温海町界隈の日本海に面したトコロに
住んでいます。実にその海の表情は飽きることなく
変わるので、時間を忘れて眺めてしまいます。
遊びに行くと、海の音。汽車の通過する音。畑に知らせるサイレンの音。そして、庄内弁。。
まるで、北海道と世界が違うのでわくわくするコトばかりです。
たくさんの写真を見せてくださいね。
行政区域で言うとはっきりとしていますが、文化や言葉などだと割り切れませんよね。温海だと新潟の府屋などと言葉が似ているのでしょうか。
温海や鼠ヶ関だと夕陽がきれいでしょうね。私が生まれ育った遊佐町もきれいですよ。いつも吹浦で飽きることなく海を眺めていますね。
波の音や電車の音、サイレンの音、吹浦でも同じですね。故郷の音もまた良いものですよね。