雲雀の歌に
春の草花が次々と芽生え、うらうらとした良い天気が続くと、
どこからともなく春の歌声が聞こえてきます。
ピチクリパチクリピチピチュピチピチ・・・。
雲雀(ヒバリ)の鳴き声は、まさに春の喜びそのものです。
その歌声は驚くほど息が長く、いつまでもいつまでも途切れることを知りません。
それはまるで永遠に続く喜びを歌っているようなのです。
散歩の途中で突然の歌声に振り返ると、ヒバリは一直線に太陽に向かって舞い上がって行きます。そしてそのシルエットを目で追っていくと必ず光の中に入って行き、思わず目を細めてしまうのです。
長い冬に、忘れていた太陽のまぶしさをヒバリが思い出させてくれる瞬間、それは目の奥がツーンと痛くなるほど強烈に春を感じてしまう瞬間でもあります。
ところで、ヒバリといえば昔話でこんな話を思い出します。
『ヒバリはお日様にお金を貸していて、「ヒイチブ(日一歩)」と言いながらお日様のもとに舞い上がり、「ツキニシュ(月二朱)」と利息を確認して降りてくる。』のだそうです。
何か世知辛いようなお話ですが、そんなことを聞かされると確かにそう聞こえるような・・・。
でも、ヒバリを眺めてそんな想像をはたらかせる ゆとりは現代人には無さそうですので、世知辛いのはやはり現代人の方でしょうか。自然とじっくりとつき合えた良い時代のお話です。
子供の頃、友だちと春野でひとしきり遊んだ後は、ハアハア息を弾ませて土手道に寝ころびました。まだ少し冷たさが残る春風が汗を拭ってくれて、呼吸も徐々に整ってくる頃、目を閉じ深呼吸すると、土と草の良い香りがしました。
心地良い疲れが全身を覆い、春の日だまりの中で広い空と大きな雲をただ眺めていました。
好奇心に溢れ、やりたいことがいっぱいあって、無限の時の中にいた少年の頃・・・。
ヒバリの歌声は、そんな何気ない夢のような日の情景を心に甦らせてくれる魔法の呪文のようです。
今年もまた、ヒバリが忙しくさえずる春野に つくしがひょっこり顔を出し、
いよいよ春は本番を迎えます。
雲の名前
どひつと書いてツクシと読む。
日本語はいいなぁぁぁ~とつくづく思います。
私のデジカメは安物で年代もん。
こう言ったマクロ撮影は上手く出来ないです。
とっても元気が出る画像をありがとうございます。
土筆のようにニョキニョキ成長したいものです。
土筆・・・、本当に日本語って良いですよね。まさに、土から筆が出てきたようなツクシの様子が伝わってきます。
遠野はまだ出てきませんか?
実は先月末に宮古市に行ったのですが、盛岡から宮古に向かう途中何度か「遠野→」ってあって、行ってみようかな~、なんて誘惑と闘ってました。
岩手県って牧歌的で良いですよね~。特に遠野の春は一度訪れたいです。