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久しぶりの、本当に久しぶりのエントリーです。
気がつくと季節は秋。
私事ですが、7月に母を亡くしてしまいました。
親の死はいずれはやってくるもの とそれなりに覚悟はあったのですが、それはあまりにも突然やってきてしまいました。
悲しさは一瞬ですが、その後の喪失感といおうか寂寥感はその覚悟を超えて如何ともしがたいものがありました。いまでもその寂しさは続いています。
親の死は覚悟していたとしても、その存在が現実として今はもう無いとあらためて突きつけられたときの寂しさがこれほどのものとは思いもしませんでした。
それは日に日に薄らいではいくのでしょうが、無くなることはきっとないのでしょう。
人は皆、親を亡くします。
親よりも先に逝ってしまう、という最大の親不孝をおかさない限り、親の方が先に旅立ちます。その覚悟は誰しもしなければならないと思います。でもできるなら、それは穏やかに自然にやってきてもらいたかった。私たち子どもや孫たちが見守る中で、ありがとうという言葉に包まれながら旅立ってほしかった。
7月、今年もまた暑い夏が始まろうとしているさなかに、母は突然、誰にもさよならを言わずに旅立ってしまいました。
“ おかあちゃん、でんぶ ちゃっちゃど逝てしまたなだの。おかーの口癖「じゃぁね~♪」ぐらい言て欲しがったのぅ。 へばの、まだの、ありがどの。 ”
季節はもう秋。
庭には母が植えた秋咲きの花たちがきれいに咲いています。
母の味
撮影DATA
Nikon D300s
TAMRON SP 180mm F3.5 MACRO
吹浦の駅から横浜へ旅立つ時、列車の中から自宅の屋根の上に立ち、手を振り見送る父親の姿を、見つけた時の涙。
親が子を思い。そして、子が親を思う…
私が、確信している事があります。それは、「心は永遠」なのだということ。
8月に『余命ゼロを生きる』の佐藤由美さんが亡くなり、また、9月に私の親友が亡くなりました。
亡くなられてから、心での会話が増えました。
どうやら「心」というものは、自分の身体の中だけのものではない様です。
お母様もその中に在る、庄内の精霊達の姿を、これからも心待ちしております。‐
早速のコメント、ありがとうございます。
「心の会話」 本当に母が亡くなってからは増えましたね。
印象深く記憶している場面が、ふと思い浮かび、そのとき母親はどんな気持ちだったか、とか、ああしてやればよかったとか、こうしてやればよかったとか・・・。
いにしえの格言通り、親孝行したいときには親は亡し・・・、ですね。
親が子を思い、子が親を思う気持ちというものは、自分が思っている以上に深遠なものだなと感じています。
それにしても、親との別れは必ずあるとわかってはいても、実際我が身におこるとこたえるものですね。みんなこんな思いを抱いて生きてゆかねばならないものなのですね。
佐藤由美さん、それに明楽さんのご親友のご冥福を祈らずにはおられません。
写真、この間からぼちぼち再開しています。
カメラを片手に、自然の生き物や風景と対峙する。やはり良いものです。
ではでは、またこれからもよろしくお願いいたします。
(^^)/