大浦天主堂は1865年に造られた。日本に現存するもっとも古いキリスト教の建物である。長崎市にとっては観光の目玉の一つだろう。 たしかに美しい。
折りからの世界遺産登録の地域に含まれ、観光の人々が引きも切らずに訪れる。なかなかシャッターチャンスにも恵まれない。観光客のback view では始まらない。下掲の2枚の画像はWikipediaから借用。


観光客の一団が昇りきり、しばし石段の人の波が途絶えた時の1枚。浦上からは徒歩では時間不足なので電車を利用したが、yo-サン、チョイお疲れモードかしら。大体が人が大勢いる、或いは群れているところが好きではないのでねぇ。
下1枚目は大原天主堂正面の「日本の聖母像」を前面から。次は裏側から撮影。
1865年、天主堂が建立されると、浦上の貧しい信者たちが「天主様とマリア様に奉げます」と大金をフランスから来られたプティヤン神父に。神父はマリア様像をフランスに発注された。その1年後フランス公使が長崎に来られた際に「日本之聖母」と名付けられたそうだ。

いつも思う。十字架のイエス様は哀しくて胸が痛む。マリア様の美しく優しい表情には無条件の受容を感じる。

今回の長崎行きで、今まで曖昧だった、隠れキリシタンと潜伏キリシタンの違いについて理解出来た。しかしながら、権力者がやってのけた「切支丹」への迫害・弾圧に対して、言いようのない悲しみと憤りが露わになる私。秀吉にはじまり、徳川幕府、そしてなお明治までもつづいた。キリスト教に限らず、古今東西、権力者は敬虔なる信仰者を排除、迫害する。そのような中で、受け継がれてきた信仰に感涙する。信仰とは本来そのようなものである。それでなければ利己主義の神頼みに過ぎない。
今ふと、傾倒している故・清沢満之先生のことを思い出した。先生は西洋哲学、特にヘーゲルに影響を受けた。そしてあらゆる意味で歎異抄を再発見した。(親鸞の近代的再発見でもある。)先生は「予の三部経は阿含経とエピクテタス(古代ギリシアのストア派の哲学者)の語録と歎異抄である」と言われた。三部経とは浄土真宗では「無量寿経」、「観無量寿経」、そして「阿弥陀経」の三部を言う。
実は私が今、清沢先生を想ったのは、先生が感銘されたエピクテタスは「権力者が私の何を束縛出来るか。鎖で私の足を繋ぐ程度のことでないか。私から何を奪うことが出来るか。私の首を取ることは出来ても、私の意志や信念を奪うことは出来ない」と残している。それは、あの切支丹の人々にも通じると思う。殉教の26聖人の記念碑を見て、しみじみと感じるのであった。
翻って、宗教的に身近なところでは、法然、親鸞しかり、日蓮もまたしかりである。権力を持つと人間は何をやらかすかを、心して見つめなければならない。彼らにこそ、本当の信仰、宗教を持って欲しいと願わずにはいられない。また、権力に媚び迎合する、或いは拝金主義の宗教者も同様である。なんて思うている。今日は〆がちょっと小難しかったかしら。まあ、yo-サンのyo-サン的心ということで。
つづきはまた。
折りからの世界遺産登録の地域に含まれ、観光の人々が引きも切らずに訪れる。なかなかシャッターチャンスにも恵まれない。観光客のback view では始まらない。下掲の2枚の画像はWikipediaから借用。



下1枚目は大原天主堂正面の「日本の聖母像」を前面から。次は裏側から撮影。
1865年、天主堂が建立されると、浦上の貧しい信者たちが「天主様とマリア様に奉げます」と大金をフランスから来られたプティヤン神父に。神父はマリア様像をフランスに発注された。その1年後フランス公使が長崎に来られた際に「日本之聖母」と名付けられたそうだ。

いつも思う。十字架のイエス様は哀しくて胸が痛む。マリア様の美しく優しい表情には無条件の受容を感じる。

今回の長崎行きで、今まで曖昧だった、隠れキリシタンと潜伏キリシタンの違いについて理解出来た。しかしながら、権力者がやってのけた「切支丹」への迫害・弾圧に対して、言いようのない悲しみと憤りが露わになる私。秀吉にはじまり、徳川幕府、そしてなお明治までもつづいた。キリスト教に限らず、古今東西、権力者は敬虔なる信仰者を排除、迫害する。そのような中で、受け継がれてきた信仰に感涙する。信仰とは本来そのようなものである。それでなければ利己主義の神頼みに過ぎない。
今ふと、傾倒している故・清沢満之先生のことを思い出した。先生は西洋哲学、特にヘーゲルに影響を受けた。そしてあらゆる意味で歎異抄を再発見した。(親鸞の近代的再発見でもある。)先生は「予の三部経は阿含経とエピクテタス(古代ギリシアのストア派の哲学者)の語録と歎異抄である」と言われた。三部経とは浄土真宗では「無量寿経」、「観無量寿経」、そして「阿弥陀経」の三部を言う。
実は私が今、清沢先生を想ったのは、先生が感銘されたエピクテタスは「権力者が私の何を束縛出来るか。鎖で私の足を繋ぐ程度のことでないか。私から何を奪うことが出来るか。私の首を取ることは出来ても、私の意志や信念を奪うことは出来ない」と残している。それは、あの切支丹の人々にも通じると思う。殉教の26聖人の記念碑を見て、しみじみと感じるのであった。
翻って、宗教的に身近なところでは、法然、親鸞しかり、日蓮もまたしかりである。権力を持つと人間は何をやらかすかを、心して見つめなければならない。彼らにこそ、本当の信仰、宗教を持って欲しいと願わずにはいられない。また、権力に媚び迎合する、或いは拝金主義の宗教者も同様である。なんて思うている。今日は〆がちょっと小難しかったかしら。まあ、yo-サンのyo-サン的心ということで。
つづきはまた。