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友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
時々この歌を口遊む。それは、あまり気分爽快では無いときだ。
雑用はあれこれあるのだが、何となくパワーが湧いてこない。
それで、花を眺めている私。
啄木に花の歌は少ないが、どんな花を買って来たのだろうか。
作歌はたしか明治も終りに近い10月頃だったと思うが、その頃には今のような温室育ちの花は無かったかもしれない。
露地で栽培されている花だったのか。それとも啄木らしく、そのような気分になっただけで買わなかったのかも・・・。
などと、花を眺めながら思惟(しゆい)している私。共に親しむ人は無けれども。
花との出会(合)いも一期一会である。
今日、こうして見る花は、昨日と同じではないし、明日とも同じではない。
全てが「今、ここで」なのだ。
一期一会は茶道の心であるが、まさにカウンセリングの精神でもあると思う。
花を見ていると心がやすらぐ。
気付かされることもある。
本当は、野に咲く花が好きなのだが、冬ざれの我が庭には花一輪もない。
春が恋しい、一面の菜の花に会いたい。
冬はまだ始まったばかりなのに・・・。
おはようございます。
言の琴線が奏でる抒情が心の肌を
揺すります。
文芸の粋を感ずる詩情を味わいながら
読みました。
コミュニケイの真の心音を聴きながら
味わって居ます。
人はみな弧高の愛を抱いて生きて居るのだと
思いますが弧高の愛を繋ぐ通信ですね。
是非是非間を置きながら存続させてください。