「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

梅田耕太郎さんを追悼する

2018-06-10 23:15:00 | 日記

新幹線殺傷事件〈のぞみ265号殺傷事件)で、凶悪犯に抵抗し亡くなられた梅田耕太郎さんに対し、哀悼の誠をささげる。

私はあのような凶行の行われている場で、果てして梅田さんのような果敢な行動がとれるのだろうかと、自問自答した。自分は柔道の有段者で空手の練習者であったが、なたを持って凶行におよぶ者に対しては、逃げろと教えられている。素手で勝てる相手ではないと。

梅田さんの挺身により、二人の女性をはじめ多くの命が救われた。この犠牲的精神はいつまでも顕彰され続けなければならない。危急の時、勇気を与えられ果断な行動がとれるよう、神に祈らねばならない。

さて、凶悪犯の小島一郎は、発達障害の疑いを幼少期に指摘され両親からネグレクトを受けたとのこと。報道によれば児童自立支援施設に出入りし、15歳から地域活動支援センターやら生活困窮者自立支援施設を利用しつつ定時制高校・職業訓練校を優秀な成績で出て工場で一年働き、いじめられて退職し、叔父のところで任意入院し後に措置入院にするよう嘆願書を書き、今年一月に家出したとのこと。

ネグレクトにあったことは不幸だと思う。継父には発達障害の子を自分の子とする覚悟も矜恃もなかったのだろう。だからあの他人行儀。あれでは家族に居場所はないはずだと思った。

凶行と発達障害とを結びつける発想が早速、ニュースショー司会者の宮根氏の口から出てきたが、解説者の木村氏によって反論された。エホバの証人信者を殺害した元名大生に対する裁判では、「発達障害は判断に影響を及ぼしたかもしれないが、衝動の抑制はできた」と完全責任能力が認められた。障害無罪ではなく、やったことに対する責任はきっちり取らさねばならない。

それにしても、自分には小島のような人を治す技量ない。あるいは確実に順法意識の育ちをはぐくむ環境を作る自信はない。だからといって放棄するのではなく、任されたなら微力ながら全力を尽くすと思う。支援に当たった人たちは、それら支援により少なくとも15歳以降は犯罪歴がなく、無事に職業訓練を終えるという成果を出した。立ち直ってまともな青年になったと喜んでいたらとんでもない犯罪者になってしまっていた。小島とかつて関わった支援者たちはさぞ無念なことだろう。

小島に死を!!と、一時は真剣に思ったが、そんなことをしている暇はないと一晩経って気づいた。

裁きをするのは神様。どうか裁判官を用いて裁いていただければいい。

そんなことよりも、なたで武装する凶悪犯に対して勇敢に立ち向かって多く人命を救った梅田さんの勇気をたたえ、ご遺族を支援し、深手を負ったお二人の女性に対する十分なケアが実現するよう立ち上がることが、勇気ある梅田さんに続く道なのだと思う。


この邦(県??)に生まれたることの不幸

2018-06-10 12:48:07 | 日記

福祉は知的障害のない発達障害にかかわるべきではない

自分は以前から、福祉は介護福祉に特化し、介護保険の要介護2レベル(歩行器を使用しての歩行)未満の人は使うべきではないという主張をしてきた。

なぜならば、福祉のノウハウに介護予防や就労支援に関する知見は極めて乏しくいい加減なレベルでしかないという実態を自分は知っているからである。要介護2の人に対してさえ、そこから脱出したい人は多くの期待をするべきではない。リハビリは医療、またはその他の民間で、である。福祉ができる事はせいぜい環境を整えてADLを向上させることである。(それさえ相当困難だが)

 

幸いなことに愛知県方面の発達障害者支援センターは、医療機関の受け入れアンケート公表や具体性のない電話相談、少しばかりの啓発活動にとどまっている。(名古屋市のはそれに加え、具体的な「つなぎ」調整を行っている)。近寄らなければ人畜無害でそもそも近寄りたい資源もない。

名古屋市の発達障害者支援センターがつなぐのは、複数のこてこての老舗福祉法人。希望者は事実上無能者扱いすると宣言され、知的障碍者のようにふるまうことを求めるとも取れる発言を施設側に初回からされ、そこまでして福祉を利用したくはない発達障害の人たちが離れていくようにしている。なるほど、長期にわたり文句を言わないで支援されることを希望する人のみを支援するというわけだ。だから名古屋の発達障害者カフェに客としてくるレベルの人もB型の利用者として来る人も、「支援センターなんで相談支援なんて何の役にも立たない」と口にするのだ。

当然ながら法人は法人利益のために仕事をする。職員は自分の稼ぎのために仕事をする。利用者はサービスを利用したいから利用する。その関係が良好であれば問題ない。利用者の望むサービスが提供されるサービスと異なるのであれば事業者を変えればいいだけなのだが、なかなかそういうエネルギーのある人はそもそも初めから福祉なんかなかなか利用しない。利用しても事業者の裏〈真意〉を読みながら、自分が不利益を被らないように(囲い込まれないように)利用している。力を持て余す人たちに「障害者らしく振舞う」ことを環境調整で促す。利用者と事業者の力関係を勘案すると、利用者にとっては事実上拒否できない強制として「障害者らしく振舞う」ことをされる。あってはならないが、自分も目の前で見ている光景だ。

名古屋方面の知的障害のない発達障害の人たちへのサービスは、極めて限られている。アスペエルデさんも自閉症協会さんも幼少期から関わっている人しか相手にしない。そして自前の福祉資源を作ろうとしない。支援センターにつらなる老舗法人さんたちは「介護レベルの人と同じようにできる人」しか相手にしない。法律に反しないように一回だけ話を聞いて「支援した実績」を残したうえで「うちは障害の重い人しか支援しない」と門前払いする支援センターもある。

それでいいのだと。名古屋方面の法人はきっぱりしていて無理強いをしないことで結果的に事故を防いでいると今日、神奈川方面の実態を知って心からそう思った。

神奈川方面では知的障害者介護福祉系法人が発達障害者支援センターを委託されている。愛知県方面のように地方自治体が発達障害者支援センターをやるとやる気がないが、法人が委託させると当然ながら、センターの職員は法人の利益のためにセンターを最大活用することになる。福祉はチャリティーではない。霞を食って生きていけるわけではない。利益の出せない事業は倒産するしかない。解雇されるしかない。生き残りたければ利益を出す。資本主義社会の当然のルールである

自分なら囲い込もうとするそぶりを少しでも見せられたら全力で逃げる。追跡されるのなら弁護士を雇い訴訟を提起する。介護福祉は保護してもらいたい人が利用すればいい。稼ぎたい人、自己実現したい人は、介護福祉ではなくそれを標榜するところに自ら行くことだ。介護福祉系が一般就労にかかることまで委託した。日本最高の支援の結果、経済評論家の息子のように、知的障害のない人が最重度の知的障害者でも最も大変な人たちと同じ状態まで行ったのだろうか。発達障害の神奈川県民は発達障害をもって生まれた不幸だけではなく「その県に生まれたることの不幸」があるのだろうか。