新幹線殺傷事件〈のぞみ265号殺傷事件)で、凶悪犯に抵抗し亡くなられた梅田耕太郎さんに対し、哀悼の誠をささげる。
私はあのような凶行の行われている場で、果てして梅田さんのような果敢な行動がとれるのだろうかと、自問自答した。自分は柔道の有段者で空手の練習者であったが、なたを持って凶行におよぶ者に対しては、逃げろと教えられている。素手で勝てる相手ではないと。
梅田さんの挺身により、二人の女性をはじめ多くの命が救われた。この犠牲的精神はいつまでも顕彰され続けなければならない。危急の時、勇気を与えられ果断な行動がとれるよう、神に祈らねばならない。
さて、凶悪犯の小島一郎は、発達障害の疑いを幼少期に指摘され両親からネグレクトを受けたとのこと。報道によれば児童自立支援施設に出入りし、15歳から地域活動支援センターやら生活困窮者自立支援施設を利用しつつ定時制高校・職業訓練校を優秀な成績で出て工場で一年働き、いじめられて退職し、叔父のところで任意入院し後に措置入院にするよう嘆願書を書き、今年一月に家出したとのこと。
ネグレクトにあったことは不幸だと思う。継父には発達障害の子を自分の子とする覚悟も矜恃もなかったのだろう。だからあの他人行儀。あれでは家族に居場所はないはずだと思った。
凶行と発達障害とを結びつける発想が早速、ニュースショー司会者の宮根氏の口から出てきたが、解説者の木村氏によって反論された。エホバの証人信者を殺害した元名大生に対する裁判では、「発達障害は判断に影響を及ぼしたかもしれないが、衝動の抑制はできた」と完全責任能力が認められた。障害無罪ではなく、やったことに対する責任はきっちり取らさねばならない。
それにしても、自分には小島のような人を治す技量ない。あるいは確実に順法意識の育ちをはぐくむ環境を作る自信はない。だからといって放棄するのではなく、任されたなら微力ながら全力を尽くすと思う。支援に当たった人たちは、それら支援により少なくとも15歳以降は犯罪歴がなく、無事に職業訓練を終えるという成果を出した。立ち直ってまともな青年になったと喜んでいたらとんでもない犯罪者になってしまっていた。小島とかつて関わった支援者たちはさぞ無念なことだろう。
小島に死を!!と、一時は真剣に思ったが、そんなことをしている暇はないと一晩経って気づいた。
裁きをするのは神様。どうか裁判官を用いて裁いていただければいい。
そんなことよりも、なたで武装する凶悪犯に対して勇敢に立ち向かって多く人命を救った梅田さんの勇気をたたえ、ご遺族を支援し、深手を負ったお二人の女性に対する十分なケアが実現するよう立ち上がることが、勇気ある梅田さんに続く道なのだと思う。