不断の努力によって確立される、「尊厳」「自己決定」
思考は他者との会話によってはぐくまれます。それは対立的な言葉のやり取りを通してもなお、自分が何者であるのか。何がしたいのかが分かるようになります。
私は昨日、国家機関の高給取り専門家集団が、発達障害の鑑定診断を受けたばかりの私の人生を食い物にしようと画策したことを見抜き、自分への影響を排除したことを赤裸々に表現しました。
国連障害者権利条約などの国際公約や日本国憲法に基づく障害者諸法規の内容は明らかに、個人のあたりまえの自由と権利が謳われていて、むしろ障害者、とりわけ女性と子供が権利侵害や搾取されやすいので、国家はそれを保護することが義務付けられています。
これら条約や法律は、それを知る当事者本人の不断の努力より、活きたものとなります。
日本国憲法第12条には
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
と書かれています。
自分の自由と権利は、自動的に降ってくるものではありません。私たち一人一人の行動によって、保持され深化していきます。
障害を持った人が普通に社会に出て普通に働くことについて、むしろ激しく抵抗し露骨に妨害するのは医療福祉支援専門家である現実があります。おのおのの現実と対峙し、しっかり生き抜く努力をし、人間としての自由と権利を確立させなければなりません。
働く必要のある私のような人は、明日からの仕事を毎日闘い続けるだけです。その前に学校で学ぶ必要のある人は、それが将来の教養になると信じて、少なくとも卒業証書や認定試験合格というライセンスを目指して、指導者の指示に従いつつ奮闘努力する必要があります。
そんな苦労が嫌なら障害者には、福祉に囲われて保護されて生きる権利もあります。
どのようであれ、しっくりくる人生をおのおの生きられますように。願っています。