先日、某有名福祉大の福祉専門職向け公開講座に参加し、そこの偉い先生から驚くべく発言を直接耳にして、たいそう驚いた。
当日配布された資料は、いつもの福祉のきれいごとばかりが並べられている、人畜無害でごくありふれたもの。
偉い先生はそれをパワポで説明しつつ、福祉が措置から契約に変わったことを説明した段階で突然
「利用者が、今日体調悪いので休みます。っていわれても、簡単に引き下がってはいけない。利用者が来ない日はその分お金がもらえないから。」
と言われ、利用者があたかも〈真実は〉福祉施設のネギをしょったカモであるという説明を、露骨に言い始めた。
私はそれこそ措置の時代に仕事をしていて「福祉を食う」という本を読んで、自分が利用者の弱みを喰って生きていることを心の底から恥かしく思い、十年ほどは製造業で働いたこともあった。
だから、同業者の福祉専門家集団の面前とはいえ、福祉大の大先生が堂々と「福祉牧畜業」の話をしだしたことにたいそうな違和感を感じた。
そこで私はこの講座のあと、福祉の建前論である利用者の意思尊重とか自己意思決定、主体性などから当事者的な話をしたところ、即座に嫌な顔をされた。ほかに待っている人たちもいたので話を深めることはなく看過するしかなかったが、自分の本音も言ったところで、その大学から得られる情報の真偽や必要性を認識する~そんな情報はそれほど多くはいらない。その大学のネットワークにも絡めないし絡みたくない~こととなった。
これを後日、同業者同士で共有すると、今の福祉大では普通に「福祉は金のない弱者から金を巻き上げる仕事と覚悟しなさい」と教えられている。とのこと。
もちろん先日の講座同様、大学では公式に文章化はされず、口頭でのみ伝えられる、福祉の真実の情報である。多分、退職したブラック福祉法人の上司も「福祉は弱者にたかり弱者から金を巻き上げる仕事と覚悟して仕事しなさい」と何度も教育されてきたのだろう。私はついぞ知らなかった。
福祉はかつては宗教心などの善意により設立され、税金で運営され、今は契約関係が登場している。
その「善意」というのが実は大変狂暴なのだということは、先日書いた児童養護施設内虐待の記事で触れた。
時々福祉関係企業の不正が報道される。組織は赤字を出すわけにはいかない。そこはわかる。
商売の厳しさとして、取れるところからは獰猛に徹底的にむしり取る。ということが今は福祉の専門教育で堂々と教えられているのだ。
「貧困ビジネス」と呼ばれる福祉施設に勤めている福祉士たちは、福祉大での専門教育で口伝えに教えられたことを実践しているのすぎないのだ。その汚い仕事をすることで、それなりの年収が得られるからだ。
福祉の商売の厳しさとして、表面的には人権擁護だのエンパワーメントだのときれいごとで装いつつ、真実は利用者をだまして脅して強いて施設の福祉サービスに乗せる。利用者が望んでもいないサービスを盛る。利用者が望むサービスでも自己の利益に関連がなければ提供せずひたすら所属組織の経済的利益を追求し、自分の息のかかるところで利用者を回し、利益を吸い上げる。それを口頭とはいえ、もはや悪びれることもなく福祉の真実として、日本に冠たる大学の大先生が公の場で口にする。
まさに福祉業は牧畜産業であることが、福祉大で堂々と教育されていることが、今日初めて明白に分かった。私は、学生が真実を知ったうえで仕事につくべきだと思うから、真実を口頭で教えている点は評価したい。
弱肉強食の淘汰の自然界で、かつ自己責任論の日本社会なのだから、「福祉とは弱者の弱みに付け込んで金を巻き上げる営み」なのである。それは医療でも教育でもそうだと思う。無駄または危険な手術などが病院では公然と勧められ、高等教育を受けても仕事がいな大学院卒が巷にあふれている。
いかなるサービス業も、サービスを受ける側は「ネギをしょったカモ」なのだから、これは仕方がないのだ。
私が今後も福祉の「支援」なる仕事がしたければ、利用者にとっていいと思うことではなく、組織と自分の利益を図り周りの専門職とバランスを取り忖度しつつ政治的にふるまえるかどうか、しっかり考えなければならないと思った。
また福祉を利用する場合、この真実をよく頭に置かなければならないと思った。