先日、著名福祉系大学の公開講座で社会福祉学大御所によって発せられた、衝撃の言葉に触発されて書いた記事がバズつています。
後に残るシラバス資料は、福祉のきれいごとの羅列。
それを見ながら私たちに発せられた言葉の数々を、振り返ります。
「ここは大学だから、自分は施設経営者であるとともに大学教授だから、きれいなことも言います。でも現場では、そうも言ってはいられないことがたくさんありますよね。」
そこはわかります。私たちを教育した四半世紀前の先生方は、日本の福祉現場を知らない人たちの集まりでした。福祉教育と福祉現場の乖離は今以上にひどいものでした。
「利用者が今日は体調悪いから、風邪ひいたので休みますつていわれても、簡単に引き下がることはできません。措置の時代〈20世紀の福祉は定員に対して補助金交付〉とではなく契約の時代ですから。今は今日来てくれていくら。ですから。」
えっえっ。うそー。お宅の法人では体調悪い人に何か言い含めて出させるの。ビックリでした。
「福祉現場きれいごとでは済まされません。みなさん身に覚えのあることとして、混ぜご飯。薬をご飯に混ぜて食べさせますよね。身体拘束しますよねえ。後輩からどうしてそうするの。と聞かれて、先輩職員が、施設の伝統だから。ではだめなのですよ。命にかかわるから、そうすると、教えるのですよ。」
自分の畑は障害福祉なので、高齢者福祉のような混ぜご飯の経験はありません。〈利用者が猫まんま自分で作った時、下品な食べ方はやめなさい。という先輩はいました。今の私は「愚行権」が人間にはあると思うので猫まんまごときでは阻止しませんが。〉身体拘束は、ご自身や他人の身体に危害が及ぶ場合、緊急に他の方法を取る可能性がない場合に一時的にそうして、それはすべて記録に残していました。ちゃんと説明できないことはあってはならない。ご家庭には拘束する理由を説明し、書面に残し、裁判所命令で利用者に開示してもちゃんと説明できるように記録を残してきたつもりです。
福祉現場は人間の営みですから、きれいごとばかりではありません。
でもね。この大御所先生と法人さんは、利用者を信頼していない。ですね。利用者を管理して、言いくるめても、利用者の自由にさせると危険だから、と。
体調悪いと自ら訴える人が休むことに抵抗する意志を示す。お金のためとはいえ、すごいですね。さすがはやりての大先生。だからご自身の経済は繁栄されています。
説明は、利用者や親族ではなく、職場の人のためにするのですね。その法人さんでは。
命を守るためにご本人の意思に反することを時にはしなければならないことも、私は理解します。
でもね、自分の受けたくない医療まで強要されるのですね。あなたのためと言われて、私の嫌なことでも強制されるのですね。お宅の施設では。と。
「私抜きで私のことを決めないで」という国連障害者権利条約を、日本国憲法の思想信条の自由を、貴学では教えないのですね。と。
私には、そんな福祉ついていけません。職員としても利用者としても、極力関わりたくない。