娘の学校のことで頭を悩ませていたところ、障害者雇用のことについて発達の当事者が書いたブログを見ることになりました。
特例子会社(巨大企業が障害者雇用率を達成するために設立した会社)で働いているそのブログ主は、仕事が知的障害者向けで単一的だ。自分の障害配慮してもらえない。長所を生かせず知的障碍者の指導をさせられ嫌だ。などなどと書いていました。
もちろん、発達障害者の障害特性をかえって生かして高収益を上げさせようとする、本来の障害者雇用にありつける当事者もいることはいます。しかし多くの当事者が、障害者雇用を選択したところで有効な配慮は得られず、とんちんかんでかえって生産性の妨げになる配慮を受けることを強いられたり、あるいは仕事が与えられない、何の配慮もなく普通に扱われるだけならいいが、障害者と触れ込んでいるために迫害の対象になっている、などという悲惨な声も、はたらく当事者たちと話すとしばしば耳にします。
なんであれ、「かくあるべし」ということが現実にされていればそれはすばらしいのですが、必ずしも「かくあるべし」は現実ではありません。自閉症者には学芸員が向いていると学者が本で書いたら職能集団から抗議が来たという話を聞いたことがあります。最近もうつ病の人が障害者雇用されやすいように精神障碍者手帳取得者以外にも障害者枠の門戸を開くべきだという別の学者の主張を耳にしました。障害を公表することで害がなければうつ病の人もどんどん手帳を取得して職場にも自主申告して、雇用率なんてとっくの昔に大幅に達成していますが、それができないというのが現実です。
学者の主張を耳にしたら、真に受けてそこにこだわる前に、本当に現実世界でそうなっているのか、よく調べてみる必要があると感じました。