私は先日、自分の娘の通う学校の校長先生から、学校で発生した虐待事案についての説明会に参加しました。
校長は、われわれ父兄の前で報道発表どおりのことを言うのみで、あとはひたすら平謝りでした。何の情報提供もなく、謝罪の言葉を調べたり説明会後の報道によると、見え透いた嘘とわかることもありました。
すっかり馬鹿にされたものだと思いました。ちょっと調べればわかる嘘をついてその場をごまかして。これまでも頼りがいのない自己保身に熱心な先生だと思っていましたが、ますます信頼できない存在だと認識しまた。
最近、DSM-Ⅴの翻訳がおかしい。という情報が流れてきました。よくよく確かめるとその通り。とはいえ自分にとっては、障碍者の社会進出を本心では阻止したい人たちによる想定内の「超訳」でした。
自分は児童精神科や精神科医だからと言って、必ず信用するということはありません。治してもらえると思って受診しても、かえって害になる怪しい専門家が非常に多いということを、実務を通して経験していましたから。情報はすべてもたらされないことは、分かっていました。
そしてこちらの側から医師の動向を患者側にとって有利になるように「運用」し、医療サービスを「利用」することが肝だと理解していました。
自分に下された診断を自分でも調べ、処方薬も調べ、納得がいかなければ信頼している別の医師に相談する。自分なりに情報を集め、いろいろな人たちに知恵を求め、一人の医師の判断を絶対視することを求める医師の人間的な弱さを考慮に入れ、害がないように運用し、いい医療をしてくれる人が見つかれば離れていく。ということを私は実践してきました。
私は患者であるとともに福祉の専門家でもあり、自分の動向も当然ながらお客様によって吟味されていると考えています。
少なくとも、知能指数が絶対であるというのはあり得ません。相手が子供であればテスターの技量や相性、被験者のその日の体調の変化を大きく受け、30くらいの誤差が発生することもあると、私は心理学の教科書で学んでいて、そういう情報はネットで簡単に確認できます。ネット検索すればすぐにわかる嘘は、ついてしまったら発言者の信頼性が相当落ちると、自分は考えます。
発達障害とされた人たちの予後についても、いろいろネット検索すれば、世の中で大成功を収め巨万の富と名声を誇る当事者がいくらでもいることも、簡単に見出すことができます。自分の下で支援されている人たちが悲惨だからといって、ほとんどの当事者がそうであると推定するのは、単に専門家としての知識経験の狭さを世にさらしているだけだと、私は思います。
利用者様のお暮しが少しでも楽になるように支援させていただくことが、私たち支援者の使命なのではないのでしょうか。少なくとも利用者様の人生の邪魔をしてはいけない。利用者様を殺してはいけないと、私は信じ肝に銘じています。
自分というクライエントが末永く活躍できるように自分を応援していくとともに、自分の利用者様たちの人生にも自分のできる範囲で有効にかかわっていければと思っています。