表題は本年6月にホームページ投稿したがその続きを今回ブログ(一部)とHP(部族民通信WWW.tribesman.asia)に本日投稿した。(2019年12月10日)
さっそく、
本書の表表紙
「中世の罪と罰」(講談社学術文庫、網野善彦ら著、出版は2019年11月)を読むと、日本人の罪悪感が中世以来、変様していないと気付き驚くと同時に「さもありなん」、民族心情の頑なさを再認識した。
国史の碩学4氏(他は石井、笠松、勝股)の過去の著作から表題に沿う作品を選び一冊にまとめている。紙背表紙200頁ほどの小冊ながら内容にはそれぞれが深く掘り下げた10の小品を掲載している。他に4氏討論の記録、50頁ほどが補追されるが、2氏(網野、石井)は鬼籍に入られている現在、これほど内容の濃い討論はなかなか望めないと思い知る。討論の日付は1983年9月。
(小筆がこの本を手に取った理由は、実は、網野、石井両学の名を背表紙に見つけた故。史学の門外漢だから有名なら「すごい」の選択である、ミーハー根性の丸出しを許せ)
1 「お前の母さん…」笠松宏至
続く言葉は身体の特異である。こうした言い回しは侮蔑語として今は嫌われるから、ここに記述しない。ヘソの形状がいくぶん突起している状態を表す。かつては子供の喧嘩の負け惜しみ的悪口として用いられた。本文では一度のみその語が現れる。筆者の姪がその兄に向けた悪口、しかし姪も兄も母は同じ。自分の悪口になっているのだが、幼少のためそれとは知らなかったが導入部です。
著者は「悪口」を展開する;
1 中世の悪口の罪(御成敗式目51条)。多くは身分上の蔑称(乞食など)をあからさまに人に向けた罪の例。
2 「母買」を悪口とした。罰は2貫文。この言葉がなぜ悪口なのかを探り、これを「お和えの母さん…」と同列と結びつけるが、単なる欠点指摘の割には過料の多さに気がかりが残る。(2貫文は今の30万円の価値)
3 平安期のオヤマキなる悪口に出会う。この語は「クニツツミ国津罪」(古事記など)の「母子婚たわけ」につながる。「母買」と罵れば、「買カイ」なる部位(貝、女性器として用いられる)の形状を揶揄するのではなく、英語の「マザーファッカー」、タワケを実行しているヤツとの罵倒である。
4 今は(出筆時は1990年代と伺える)悪口の度合いは「お前の母さん…」に希薄しているけれど、かつては「マザーファ…」と同水準の激しい罵倒が用いられていた。
2 「ミミヲキリ、ハナヲソグ」勝股鎮夫(鎮の造りは旧字体が正しい)
かつて日本には牢獄が無かった。禁固懲役の施設がないから、罰には徒刑流刑(いずれも身分剥奪のうえ他所流し)の他に身体刑があった。鼻切り、指切り、疵つけ、焼き印、墨(入れ墨)など。これらを罰とする根拠に「外貌を変えるところに狙いがあった、犯罪者を一般の人々と区別するコトに主眼があった」としている。さらに「不吉な様子に変えてしまう、人間でありながら、人間ではない「異形」にすることに比重がかけられている刑」(49頁)。
3 身曳きと“いましめ” 石井進
古語のツミとはタブーに反する行為や実体をさし、これに対応する言葉は、それによって生じたケガレを解除する「はらへ」であった。原始の日本法では「罪と罰」ではなく「つみとはらへ」であった。(176頁)
同書から3の行句を引用した。
小筆としてこれらを部族民流にまとめむと試みる。石井氏の卓越した指摘「つみとはらへ」を神道の「穢れと祓え」に読み替えたい。穢れとは人が常に内包する本性で、考え、動き、判断するあらゆる場面に身体の内側で増殖している。神に願うなどの場面で「穢れ」を持ったままでは神域に入れない。神主さんに幣を振っていただき、穢れを祓う。滝に打たれたり、水垢離して震えるも有効です。
穢れはなにがしかのきっかけで、外に出る。きっかけを祟りと伝える。神への祈りが足りない、願掛けして神との約束を守らなかったなどでそれが発露する。これが(今で云うところの罪)である。泥棒、かっぱらいだって、そもそもの不信心が原因である。個人の罪のみでは説明しきれない、突発的露見も出てくる。それらを親の祟り、先祖7代の祟りなどと教える。個人では制御できない運命なのだから、仕方がないと諦めろとも言われてしまう。
クニツツミにはハンセン病クル病をツミとしている。この不合理な罪状付けを解釈するには「病人にはそもそも、穢れがあって、それは祈祷でも祓えでも抑えられなかった。きっと先祖の悪行の祟りだ、これがツミだ」と信心しているのではないか。
すると身体刑にも察しがつく。
これは身体内部の穢れの表層化である。ツミに至らせた穢れを、人に知らしめるべく焼き印、入れ墨、鼻そぎなどで表現する。穢れの根源を顕わとするから祓えでもある。
ではオヤマキ、母買は何のツミか。
笠松説では母との姦淫(親子婚タワケ)です。
この禁忌破りの源にそもそも男には穢れ(ツミ)があり、祓えしてもあるいは祓えをさぼったから、ツミを消しきれなかった。結果として発現したと考えられないだろうか。クニツツミには他に、コクミ、シラヒト(疾病、前述)、昆虫(の大発生)、落雷、鳥の災害など今、我々が考える罪とは相容れない「ツミ」が幾つか数えられる。これらも誰か、おそらく高位高官、あるいは被害村落の指導者などの至らなさ(穢れ)による災難と考えられる。明治以前は年号を災厄避けに変えていたが、こちらは統治者ではなく号の至らなさ、すなわち言霊が疲弊してしまって穢れ、ツミが発生した。このツミを遮断するための処置と考えれば説明がつく(実際にそうした言い訳を述べていた)。令和の号に平安を願う今の人と同じ心境です。
本稿の作成に当たりPDF2頁を作成した。いわばこれが本稿の結論ではあるが、時間のある方にはHPに立ち寄り、寄り鮮明なPDF画像に接することを希望する。
笠松説ではこれは母との姦淫(親子婚タワケ)です。
この禁忌破りの根本原因とはそもそも男には穢れ(ツミ)があり、祓えしても、あるいは往々にして男はさぼるからツミを消しきれなかった。さぼりの結果(祟りとも)が禁忌破りとして発現した。日本人がかつて信じていた罪悪感を、この様に考えられないだろうか。クニツツミには他に、シラヒト、コクミ(疾病、前述)、昆虫(の大発生)、落雷、鳥の災害など今の我々が考える「罪」とは相容れない「ツミ」が幾つか数えられる。これらも誰か、おそらく高位高官、あるいは被害村落の指導者などの至らなさ(穢れ)による災難と考えていたと類推できる。 明治以前は災厄避けを目的に、年号を変えていた。こちらは統治者ではなく号の至らなさ、すなわち言霊が疲弊してしまって穢れ、ツミが発生した。このツミを遮断するための処置と考えれば説明がつく(実際にそうした言い訳を述べていた)。
令和の号に平安を願う今の日本人と同じ心境です。
今の世でも「ツミ」は生きている。議員事務所で不祥事が発覚した。彼は「全てが自分の責任です。忙しいのでフト秘書に任せきりにしてしまった。この至らなさが(穢れツミ)であり、けっして私腹を肥やすなどの外部要因からの「罪」に当たりません」。次の選挙で当選する。すると「禊ぎは済んだ」「ツミ祓いは終わった」と公言する。落選したらなおさら「禊ぎは済む」から、次に向かって頑張る。
オリンピックの制服を「腰パンツルック」でカッコ良く決めた選手が、なんとマスコミに叩かれた。彼を庇う有力女性議員。「見てくれを由として外見を目立たせようと、腰パンツにしたのではない。自身の性状、体躯に似合っているからとフト、流行スタイルを取りいれた」。「フト、腰パンツ」が穢れでツミ、マスコミ叩きが禊ぎで祓い。あっという間に腰パンツの過激報道は終息した。
この後死刑に対しての彼我の感覚の差を論じている。若干、政治が絡むから、ホームページのみの掲載とした。よろしければWWW.tribesman.asiaにご訪問を。
さっそく、
本書の表表紙
「中世の罪と罰」(講談社学術文庫、網野善彦ら著、出版は2019年11月)を読むと、日本人の罪悪感が中世以来、変様していないと気付き驚くと同時に「さもありなん」、民族心情の頑なさを再認識した。
国史の碩学4氏(他は石井、笠松、勝股)の過去の著作から表題に沿う作品を選び一冊にまとめている。紙背表紙200頁ほどの小冊ながら内容にはそれぞれが深く掘り下げた10の小品を掲載している。他に4氏討論の記録、50頁ほどが補追されるが、2氏(網野、石井)は鬼籍に入られている現在、これほど内容の濃い討論はなかなか望めないと思い知る。討論の日付は1983年9月。
(小筆がこの本を手に取った理由は、実は、網野、石井両学の名を背表紙に見つけた故。史学の門外漢だから有名なら「すごい」の選択である、ミーハー根性の丸出しを許せ)
1 「お前の母さん…」笠松宏至
続く言葉は身体の特異である。こうした言い回しは侮蔑語として今は嫌われるから、ここに記述しない。ヘソの形状がいくぶん突起している状態を表す。かつては子供の喧嘩の負け惜しみ的悪口として用いられた。本文では一度のみその語が現れる。筆者の姪がその兄に向けた悪口、しかし姪も兄も母は同じ。自分の悪口になっているのだが、幼少のためそれとは知らなかったが導入部です。
著者は「悪口」を展開する;
1 中世の悪口の罪(御成敗式目51条)。多くは身分上の蔑称(乞食など)をあからさまに人に向けた罪の例。
2 「母買」を悪口とした。罰は2貫文。この言葉がなぜ悪口なのかを探り、これを「お和えの母さん…」と同列と結びつけるが、単なる欠点指摘の割には過料の多さに気がかりが残る。(2貫文は今の30万円の価値)
3 平安期のオヤマキなる悪口に出会う。この語は「クニツツミ国津罪」(古事記など)の「母子婚たわけ」につながる。「母買」と罵れば、「買カイ」なる部位(貝、女性器として用いられる)の形状を揶揄するのではなく、英語の「マザーファッカー」、タワケを実行しているヤツとの罵倒である。
4 今は(出筆時は1990年代と伺える)悪口の度合いは「お前の母さん…」に希薄しているけれど、かつては「マザーファ…」と同水準の激しい罵倒が用いられていた。
2 「ミミヲキリ、ハナヲソグ」勝股鎮夫(鎮の造りは旧字体が正しい)
かつて日本には牢獄が無かった。禁固懲役の施設がないから、罰には徒刑流刑(いずれも身分剥奪のうえ他所流し)の他に身体刑があった。鼻切り、指切り、疵つけ、焼き印、墨(入れ墨)など。これらを罰とする根拠に「外貌を変えるところに狙いがあった、犯罪者を一般の人々と区別するコトに主眼があった」としている。さらに「不吉な様子に変えてしまう、人間でありながら、人間ではない「異形」にすることに比重がかけられている刑」(49頁)。
3 身曳きと“いましめ” 石井進
古語のツミとはタブーに反する行為や実体をさし、これに対応する言葉は、それによって生じたケガレを解除する「はらへ」であった。原始の日本法では「罪と罰」ではなく「つみとはらへ」であった。(176頁)
同書から3の行句を引用した。
小筆としてこれらを部族民流にまとめむと試みる。石井氏の卓越した指摘「つみとはらへ」を神道の「穢れと祓え」に読み替えたい。穢れとは人が常に内包する本性で、考え、動き、判断するあらゆる場面に身体の内側で増殖している。神に願うなどの場面で「穢れ」を持ったままでは神域に入れない。神主さんに幣を振っていただき、穢れを祓う。滝に打たれたり、水垢離して震えるも有効です。
穢れはなにがしかのきっかけで、外に出る。きっかけを祟りと伝える。神への祈りが足りない、願掛けして神との約束を守らなかったなどでそれが発露する。これが(今で云うところの罪)である。泥棒、かっぱらいだって、そもそもの不信心が原因である。個人の罪のみでは説明しきれない、突発的露見も出てくる。それらを親の祟り、先祖7代の祟りなどと教える。個人では制御できない運命なのだから、仕方がないと諦めろとも言われてしまう。
クニツツミにはハンセン病クル病をツミとしている。この不合理な罪状付けを解釈するには「病人にはそもそも、穢れがあって、それは祈祷でも祓えでも抑えられなかった。きっと先祖の悪行の祟りだ、これがツミだ」と信心しているのではないか。
すると身体刑にも察しがつく。
これは身体内部の穢れの表層化である。ツミに至らせた穢れを、人に知らしめるべく焼き印、入れ墨、鼻そぎなどで表現する。穢れの根源を顕わとするから祓えでもある。
ではオヤマキ、母買は何のツミか。
笠松説では母との姦淫(親子婚タワケ)です。
この禁忌破りの源にそもそも男には穢れ(ツミ)があり、祓えしてもあるいは祓えをさぼったから、ツミを消しきれなかった。結果として発現したと考えられないだろうか。クニツツミには他に、コクミ、シラヒト(疾病、前述)、昆虫(の大発生)、落雷、鳥の災害など今、我々が考える罪とは相容れない「ツミ」が幾つか数えられる。これらも誰か、おそらく高位高官、あるいは被害村落の指導者などの至らなさ(穢れ)による災難と考えられる。明治以前は年号を災厄避けに変えていたが、こちらは統治者ではなく号の至らなさ、すなわち言霊が疲弊してしまって穢れ、ツミが発生した。このツミを遮断するための処置と考えれば説明がつく(実際にそうした言い訳を述べていた)。令和の号に平安を願う今の人と同じ心境です。
本稿の作成に当たりPDF2頁を作成した。いわばこれが本稿の結論ではあるが、時間のある方にはHPに立ち寄り、寄り鮮明なPDF画像に接することを希望する。
笠松説ではこれは母との姦淫(親子婚タワケ)です。
この禁忌破りの根本原因とはそもそも男には穢れ(ツミ)があり、祓えしても、あるいは往々にして男はさぼるからツミを消しきれなかった。さぼりの結果(祟りとも)が禁忌破りとして発現した。日本人がかつて信じていた罪悪感を、この様に考えられないだろうか。クニツツミには他に、シラヒト、コクミ(疾病、前述)、昆虫(の大発生)、落雷、鳥の災害など今の我々が考える「罪」とは相容れない「ツミ」が幾つか数えられる。これらも誰か、おそらく高位高官、あるいは被害村落の指導者などの至らなさ(穢れ)による災難と考えていたと類推できる。 明治以前は災厄避けを目的に、年号を変えていた。こちらは統治者ではなく号の至らなさ、すなわち言霊が疲弊してしまって穢れ、ツミが発生した。このツミを遮断するための処置と考えれば説明がつく(実際にそうした言い訳を述べていた)。
令和の号に平安を願う今の日本人と同じ心境です。
今の世でも「ツミ」は生きている。議員事務所で不祥事が発覚した。彼は「全てが自分の責任です。忙しいのでフト秘書に任せきりにしてしまった。この至らなさが(穢れツミ)であり、けっして私腹を肥やすなどの外部要因からの「罪」に当たりません」。次の選挙で当選する。すると「禊ぎは済んだ」「ツミ祓いは終わった」と公言する。落選したらなおさら「禊ぎは済む」から、次に向かって頑張る。
オリンピックの制服を「腰パンツルック」でカッコ良く決めた選手が、なんとマスコミに叩かれた。彼を庇う有力女性議員。「見てくれを由として外見を目立たせようと、腰パンツにしたのではない。自身の性状、体躯に似合っているからとフト、流行スタイルを取りいれた」。「フト、腰パンツ」が穢れでツミ、マスコミ叩きが禊ぎで祓い。あっという間に腰パンツの過激報道は終息した。
この後死刑に対しての彼我の感覚の差を論じている。若干、政治が絡むから、ホームページのみの掲載とした。よろしければWWW.tribesman.asiaにご訪問を。