始めに:スターリン1は12月28日に投稿しています。1と2を併せ部族民通信ホームサイト(WWW.tribesman.asia)にスターリンの神格ねつ造として投稿している。ホーサイトではPDF(2頁)の全容が目に出来るのでよろしくご訪問を。左コラムのブックマークから、または部族民通信でネット検索でも)
スターリンの実像はフルシチョフ報告(1956年ソ連共産党20回大会)によると;
1 権力を個人に集中させ、個人崇敬を強要した
2 個人指導による教条の強制
3 粛清、弾圧―にまとめられる。
批判はスターリンの政治、権力行動に向けられている。個人の心理、性状に関してはどのような人物だったろうか。先の大戦前(1933~37年)駐ソ連アメリカ大使館に書記官として勤務、1944年には駐ソ連大使(代理)に就任したジョージ・ケナンのトルーマン大統領宛、いわゆる「長文電報」の中身を借りると;
不気味な前文「スターリンのライバル達は全員が暗殺され、逮捕流刑を受け処刑された」のあとに、
>地味な風貌の裏にどれほどの深い計算、野心、権力欲、嫉妬、残忍さ、悪辣、復讐心が潜んでいるとは知られていない。邪悪、無常、狡猾、危険性において傑出した人物である<(ベイム著まさかの大統領ハリー・トルーマン、訳本は国書刊行会の出版)。ルーズベルト死去(1945年4月)で「まさかの大統領」に就任したトルーマンへソ連の状況、その裏の面に焦点を当て取りまとめた報告である。これを受け取りポツダム会談に向かう事になったトルーマンが、(容共のルーズベルトと比較しても)決して友好的立場で対スターリンに臨んではいなかった背景と評価したい。
(長文電報は1946年の発電であるのでポツダムの以後となる。しかしトルーマンは就任早々、スターリンの個人情報を国務省に求めているから、上記と同じ内容がポツダム以前に報告されていたと推測する次第である)
側近のフルシチョフ、ミコヤンなどがスターリンの本性に危惧を抱く理由は分かる。明日は我が身、己の身への粛清の怖れを持っていたからである。前回(12月28日)ブログ投稿した「花束少女」「ピオネール少女の励まし」などはねつ造神話であるととっくに知っているし、フルシチョフは側近中の側近なのでねつ造のでっちあげ本人かも知れない。
しかし大使として、面談するのは就任の際の一回のみながら、これほど的確な分析を可能せしめたケナンの能力には驚かされる。書記官勤務が大粛清(1934年~37年に最盛)と重なっている事は要因であるが、個人資質によると思いたい。上記2の挿話にみえる作意性にケナンがすっかり気付いた。
ネット百科で調べるとこの長文報告が基調となって、戦後の封じ込め外交が展開され手順となる。
米国大使ケナン、スターリン神話の欺瞞を見破った
こんな優しいスターリンなど存在しない(この写真は前回投稿と同じ)
ねつ造された神話を見破った数少ない人物の一人なのかも知れない。ソ連国民よりも10年以前に米国はスターリンの本性を知っていたといえる。
(1944年9月、日本は大戦を条件付き降伏で終結しようと「ソ連を通じて」連合国に働きかけた。当時のソ連大使佐藤尚武氏はこれを実行ある計画とは判断せず、消極的であった。彼はスターリンの本性が裏切りに根ざすとを知っていたのだろう。国内の外交中枢がスターリン評価を佐藤氏と共有していれば、そうした企てなど立案されなかったであろう。
小筆、佐藤尚武氏を存じていなかった。ケナンと同時期の駐ソ連日本大使をネットで調べてたどり着いたが、立派な経歴である。彼にして、市民に向けたスターリン像はねつ造と気付いていたのだ。ここに見破ったもう一人がいた)
ソ連の市民はねつ造のスターリン、慈しむ父を信じていた。
死に神の報復(ホフマン著、白水社刊行)から一節を借りる。本書はソ連の毒ガス、細菌兵器開発の実態を曝いた告発である、その廃絶にはゴルバチョフを待たねばならないとして、同氏の紹介にあたり簡単な家系史が挿入される。ゴルバチョフが7歳の年に;
>ゴルバチョフの母方の祖父パンテレイは1936年(花束少女の年)に「反革命組織のメンバー」として逮捕された。1938年に釈放された。その間の状況など一切口にしなかったが、ある夜、ぽつりと家族に「どんな風に殴られたか、拷問を受けたか」を語った。そして「スターリンは秘密警察の悪行を知らない、逮捕、虐待は自分の不運の故だからソヴィエト、スターリンを恨んではいない」と加えた(同書297頁)<
悪いのは取り巻き、スターリンは人民の父親だから、こんな悪さを命じるわけがないと祖父は信じていたのだ。
花束少女の父アルダン・マルキゾワは1938年に逮捕、銃殺刑に処された。獄中から、かつて出会い神話ねつ造に一役買ったよしみからスターリンに無実を訴える嘆願書を発送した。彼も悪者は秘密警察、スターリンがこのような非道を命じる筈がないと、ねつ造の効果に騙されていたのだ。まさに花束少女の宣伝の勝利である。
以上、実像とねつ造の神話を挙げた。すると奇妙な中身に気付く。
スターリン神話の作り方、精神と行動の座標位置を逆転させた(PDFのデジカメ画像)
信じやすさの機能(2019年8月31日ホームページ投稿)では人の本性を行動(信じやすさVS疑い深さ)、と精神(善意VS悪意)の2軸で説明できるとした。スターリンを疑い深さ・悪意の範囲においた。一方、イスラム教ラホール分派をその対極にした(レヴィストロースの分析を借りた)。こちらは全くのイエスキリストの位置でもある。そして
実態のスターリンを対極位置に移動させる、これがねつ造の原理では無かろうか。PDF(当ブログでは写真)をご覧下さい。 了
スターリンの実像はフルシチョフ報告(1956年ソ連共産党20回大会)によると;
1 権力を個人に集中させ、個人崇敬を強要した
2 個人指導による教条の強制
3 粛清、弾圧―にまとめられる。
批判はスターリンの政治、権力行動に向けられている。個人の心理、性状に関してはどのような人物だったろうか。先の大戦前(1933~37年)駐ソ連アメリカ大使館に書記官として勤務、1944年には駐ソ連大使(代理)に就任したジョージ・ケナンのトルーマン大統領宛、いわゆる「長文電報」の中身を借りると;
不気味な前文「スターリンのライバル達は全員が暗殺され、逮捕流刑を受け処刑された」のあとに、
>地味な風貌の裏にどれほどの深い計算、野心、権力欲、嫉妬、残忍さ、悪辣、復讐心が潜んでいるとは知られていない。邪悪、無常、狡猾、危険性において傑出した人物である<(ベイム著まさかの大統領ハリー・トルーマン、訳本は国書刊行会の出版)。ルーズベルト死去(1945年4月)で「まさかの大統領」に就任したトルーマンへソ連の状況、その裏の面に焦点を当て取りまとめた報告である。これを受け取りポツダム会談に向かう事になったトルーマンが、(容共のルーズベルトと比較しても)決して友好的立場で対スターリンに臨んではいなかった背景と評価したい。
(長文電報は1946年の発電であるのでポツダムの以後となる。しかしトルーマンは就任早々、スターリンの個人情報を国務省に求めているから、上記と同じ内容がポツダム以前に報告されていたと推測する次第である)
側近のフルシチョフ、ミコヤンなどがスターリンの本性に危惧を抱く理由は分かる。明日は我が身、己の身への粛清の怖れを持っていたからである。前回(12月28日)ブログ投稿した「花束少女」「ピオネール少女の励まし」などはねつ造神話であるととっくに知っているし、フルシチョフは側近中の側近なのでねつ造のでっちあげ本人かも知れない。
しかし大使として、面談するのは就任の際の一回のみながら、これほど的確な分析を可能せしめたケナンの能力には驚かされる。書記官勤務が大粛清(1934年~37年に最盛)と重なっている事は要因であるが、個人資質によると思いたい。上記2の挿話にみえる作意性にケナンがすっかり気付いた。
ネット百科で調べるとこの長文報告が基調となって、戦後の封じ込め外交が展開され手順となる。
米国大使ケナン、スターリン神話の欺瞞を見破った
こんな優しいスターリンなど存在しない(この写真は前回投稿と同じ)
ねつ造された神話を見破った数少ない人物の一人なのかも知れない。ソ連国民よりも10年以前に米国はスターリンの本性を知っていたといえる。
(1944年9月、日本は大戦を条件付き降伏で終結しようと「ソ連を通じて」連合国に働きかけた。当時のソ連大使佐藤尚武氏はこれを実行ある計画とは判断せず、消極的であった。彼はスターリンの本性が裏切りに根ざすとを知っていたのだろう。国内の外交中枢がスターリン評価を佐藤氏と共有していれば、そうした企てなど立案されなかったであろう。
小筆、佐藤尚武氏を存じていなかった。ケナンと同時期の駐ソ連日本大使をネットで調べてたどり着いたが、立派な経歴である。彼にして、市民に向けたスターリン像はねつ造と気付いていたのだ。ここに見破ったもう一人がいた)
ソ連の市民はねつ造のスターリン、慈しむ父を信じていた。
死に神の報復(ホフマン著、白水社刊行)から一節を借りる。本書はソ連の毒ガス、細菌兵器開発の実態を曝いた告発である、その廃絶にはゴルバチョフを待たねばならないとして、同氏の紹介にあたり簡単な家系史が挿入される。ゴルバチョフが7歳の年に;
>ゴルバチョフの母方の祖父パンテレイは1936年(花束少女の年)に「反革命組織のメンバー」として逮捕された。1938年に釈放された。その間の状況など一切口にしなかったが、ある夜、ぽつりと家族に「どんな風に殴られたか、拷問を受けたか」を語った。そして「スターリンは秘密警察の悪行を知らない、逮捕、虐待は自分の不運の故だからソヴィエト、スターリンを恨んではいない」と加えた(同書297頁)<
悪いのは取り巻き、スターリンは人民の父親だから、こんな悪さを命じるわけがないと祖父は信じていたのだ。
花束少女の父アルダン・マルキゾワは1938年に逮捕、銃殺刑に処された。獄中から、かつて出会い神話ねつ造に一役買ったよしみからスターリンに無実を訴える嘆願書を発送した。彼も悪者は秘密警察、スターリンがこのような非道を命じる筈がないと、ねつ造の効果に騙されていたのだ。まさに花束少女の宣伝の勝利である。
以上、実像とねつ造の神話を挙げた。すると奇妙な中身に気付く。
スターリン神話の作り方、精神と行動の座標位置を逆転させた(PDFのデジカメ画像)
信じやすさの機能(2019年8月31日ホームページ投稿)では人の本性を行動(信じやすさVS疑い深さ)、と精神(善意VS悪意)の2軸で説明できるとした。スターリンを疑い深さ・悪意の範囲においた。一方、イスラム教ラホール分派をその対極にした(レヴィストロースの分析を借りた)。こちらは全くのイエスキリストの位置でもある。そして
実態のスターリンを対極位置に移動させる、これがねつ造の原理では無かろうか。PDF(当ブログでは写真)をご覧下さい。 了