蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

抱き合い心中魔鏡クロワッサン 3

2021年02月22日 | 小説
(2021年2月22日)鏡の要求は女の真顔、すなわち3次元の顔。美形であればうってつけなのだがK老人宅に、どこを探そうとその美形が見つからない。首実検ボランティアに白羽の矢がたったのはフデ女、細君。「オフデや、これオフデはおらぬか」「ハァ~イ、旦那様」までが前回。

「旦那様、なんの御用で」
奥方の出で立ちはというと普段着下ろし結城の筒袖、割烹着、床掃除の最中だったとは姉さん被りで察しが付く。スティック式の埃拭き取り棒を片手にして、書斎コーナーに入りこんだついでとばかり、油浸モップで床を拭き回し始めた。
「これ、今は掃除する時ではない。ここに座って頼み事を聞いてもらう算段なのだ」
老人は籐の丸椅子を出した。
「他でもない、話というのは鏡のことだ」
「この鏡ですかね」
フデ女は指しながら不機嫌を隠さない。なぜ鏡を嫌うのか、老人は気に止めるも依頼事を進める。
「ちょいとばかりの間、覗いてくれないか」
「その程度なら厄介事ではないんですが、気乗りはしない」
「鏡を覗く、ただのそれだけ。左様な瑣事にも気乗りせんと。仔細を隠すようじゃな」
「ちょくちょくこいつを覗くんです。その都度気分が悪くなる。なぜって私の顔がやけにいびつに映ってしまう。裏に何かの仕掛けでもあるんじゃないかと疑るほどです。
覗きたくはない」
フデ女が疑る仕掛けは大アリ。床掃除が終わったモップを鏡にあてたら力いれ、腕ごと面をしごく。このゴシゴシを持ってフデ女床掃除の打ち止めとなる。しかしその先端はそれまでK宅床の全表面を拭き回ししていた汚れのモップ。埃ごと押しつけられるとは、幾層にも固まった床ゴミに撫で回される事となる。これが屈辱、鏡は気に入らない。「あらま、鏡もすっかりキレイになったこと」と覗いた頃にはゴシゴシが終わった。鏡の不満も頂点に、フデ女の面が理不尽にも歪んでしまう原因とはこの手順であった。

「一皺の崩れるスキのないこの顔(カムバセ)、スンとすなおに流れる鼻の筋がなんとブタかオシシの団子ふくれ鼻に劣化変態してしまう。それだけでは有りませんコト。炭団目玉タラコ口、いけシャアシャアとそれらを貼りつけるこの鏡の図太さには呆れるほど」
「フッフッフ」
フデ女の不満文句にK氏は失笑を隠せなかった。先ほどから鏡に見せつけられていた不細工顔の原因がモップゴシにあったのだ、鏡にとってトラウマだろうと。
「なぜに笑っているのです、不細工顔が楽しいのですか」
たった今までその不細工を見せつけられていたとは答えられないK老人、
「笑ってはおらぬ、幾分か悲しんでいたのだ。誤解を招いた嗚咽を許せ」

神話学第3作「食事作法の期限」でのヒロイン「プロンジョン」


鏡の魂胆とは再現性の放棄に行き着く。境界が面にあるとするとその内と外、別の結界を造るが意図であろう。レヴィストロースは神話学3巻目「食事作法の起源」で鏡が写す像は面の内に在るのか、外に立つ像なのかの疑問を呈した。しかるにこの鏡の個体に関しては鏡面裏の世界を人が覗いているとは明瞭だ。魔鏡たる所以がそこに、そしてフデ女にすらその作為に怪しみを向けられている。
その時どこやらか、柱の影か壁の奥、だみ声ながらキンキン響く声。
「あの顔でジョートージョートー」二人に聞こえた。
「何かおっしゃいました、旦那様」
「何も言っておらぬ、それどころか何も聞こえてない。オッホン、無駄口するなと命じたろう」
聞こえよがしの小声は鏡に向かった。不満らしき「フーム」声が再びが柱の脇から。
フデ女に向きなおり改まった口調でK老人は、
「この鏡には裏の細工があるかもしれぬ。というのも表側、これが鏡の前であるわけで、そのままの現実世界であり、人の姿形も生きるままそこに在る。姿と像光と影の一致、これは宇宙律である、別の言い方で真理。しかしこの鏡は宇宙真理を忠実に再現していないと睨んでいる」
フデ女「おおせのとおり」同意する。
「そんな不実が有ったとしたら調整、いや矯正かも知れぬ。懲らしめると考えている。
先ほどの願いとはこの観点からして宇宙律を糺す悪懲罰の意味もあるのだ。ちょっとだけ覗いておくれ。2,3秒でいいのだ」
「そりゃ無理。正と左右の側にそれぞれ3秒が必要だな」ダミでキンキン声がまたしても柱辺りから。
「10秒か、しかと聞いたぞ」は独り言風の返事。

「よいかフデ、まず鏡を正面に捉え3秒、左向いてそして右に向く。それぞれの側面に3秒を保つのじゃ。角度移動に秒差があるからすべてを合わせて10秒の作業となる」
懲罰目的の願いとあってフデ女は受け入れた。立ち上がり割烹着下の結城の襟を正してひょいと鏡を覗いた。騒動の始まりだった。
「ブッハー」大笑いでフデ女が鏡面にむかって吹き出した。
「やり過ぎの見え見えだわさ。いくら何でも私ってこんな顔をしてませんよ」
「どれどれ検分して存じよう。正面の位置も角度も変えてはならないぞ」
横から覗きこんだ老人が鏡に認めたその顔は、まさにフデ女自ら吹き出した炭団とかタラコの集成であった。フデ女はそこまで漫画的ではない。そしてそれらパーツが「これがアヤコ様」と老人に押しつけられたごったまぜだったのだ。

抱き合い心中魔鏡クロワッサン 3 了 (2021年2月22日)
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