蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

野生の思考LaPenseeSauvageを読む 8

2020年07月02日 | 小説
(2020年7月2日)
前回(7月1日)、魔術を取り上げた。魔術は「凝り固まった非妥協の決定論」を弄している。未開思考の範疇で最も科学から離れる思考がここにある。
Azande族(中央アフリカ)の信心を紹介する。「男が野牛に角をかけられた」他にも屋根が落ちて男は下敷きになった、脳の打ち所が悪く脳膜炎を弊発した。これら事故の原因に野牛、屋根、脳に責任はない。魔術(sorcellerie)が介在して野牛を男に向け、男が下を通る機会を見計らって屋根を落とした...これら災難の取り仕切りには魔術があるとAzande族は解釈する。魔術師が野牛や屋根に指示を入れ男のすきを見計らい、事故を起こすのだと。(23頁)
>Entre magie et science , la difference premiere serait que l’une postule un determinisme global et integral, tandis que l’autre opere en distinguant des niveaux dont certains , seulement, admettent des formes de determinisme tenues pour inapplicables a d’autres niveaux.(24頁)<

Azande族、南スーダンに住む。写真はWikipediaから借用

訳を試みる前に;
global(敷延)integral(統合)は具体科学の思考方法を解く鍵となる。魔術を理解するにあたりこれらをどう解釈するか。globalを敷衍と訳した(パワーポイント図、首題の第2回投稿6月23日に掲載)、敷衍とは展開である。展開とはそのものが抱える活動源が外部に発散する自律行為である。Integral統合は拡散分離していた要素を内部に取り込み、活動に至らせる力を育む内部活動である。具体科学の枠内でそれら意味を考えると、モノを統合するとは「イヌを取り纏める理性=6月30日投稿に説明=である」。integralされたイヌの思想が「タヌキも統合できる、ネコもサルも」と発展し宇宙(の思想)を形成してゆく様がglobalである(6月30日投稿を参照)。ここの異端の巨魁(Maussなど)は見えない。

彼らは当然具体科学を思考するが、魔術思考にも長けている。人が怪我に悩むのは水牛の角に責任があるのではない。全宇宙に起因が漂うのだと諭してくれる。

global/integralを上記解釈と定めmagie魔術に潜む特異を解釈しよう;
訳;魔術と科学の違いは、前者は統合的integral(事象の取り込み)かつ敷延的global(取り込み事象の展開)を公式決定論として宇宙を見据える。後者は事象を幾つかの水準に分かち、そのうちの限定した幾つかのみ決定論に取り込まず、かつ別の水準域への影響を否定するところである。
魔術は「公式」の展開に見境なしのようだ。(ここでの「科学」には未開人が展開する具体科学をも含む。解説は追記1に)
上訳を尊び水牛、屋根、脳膜炎の事例に応用する。
Azande族魔術信仰による解釈ではそもそも男は角で突かれ、屋根の下敷きとなる決定論に支配されていた。その宿命に「敷延」「統合」がいかにして働くかは、水牛の行動や角の大きさ、男の素性、習慣などは本来的に関連が潜み、それらを魔術師が「統合」し、敷延し角で突かれる事故に結びつけた(魔術の宇宙決定論)。
科学が水準を設けるとは。
水準を自律結界として理解は深まる。
野牛の行動と男の素性、行動は別の結界にある。両者が出会って野牛が角を男にかけたのは偶然である。しかし角に突かれて怪我をする、ここに因果律は認められる。屋根下敷きとなって頭を打つ、ここにも因果はある。打ち所が悪いから脳膜炎となる、これも因果。これらの流れの一つ一つをぶんりし、それぞれには因果causaliteがあると科学は教える。
魔術では男の数々の事故をアクシデント(突発事故)と見なさず、インシデント(起こりうる事故)とします。そのうえ、それら起因に人が感知できない(魔術師のみが知る)「宇宙決定論」を置いています。
ここでレヴィストロースと部族民蕃神の魔術を巡る解釈の違いを;
家元にして尊師は魔術をモノに託す宇宙論を応用して統合と敷衍を「見境無しに」全宇宙の決定論に応用しているとする。
小筆蕃神はそれをcongruence(2の異なるモノを1の思想に関連させる、紐付け)と説明した(菅原道真の怨霊伝説)。このcongruenceなる思考はepistemologie(認識論)として大変美しい。それ故に小筆が魔術解釈に取り入れたのである。
皆様はどちらを選択いたしますか。 続く

追の上)前回(6月1日)投稿の誤り;
La science科学を不用意にも近代科学と訳した。しかしレヴィストロースはそのような注をどこにも残さない。故にこれは「科学」、その意は近代科学と具体科学を包括した科学と修正する。それにより「未開の思考」は文明人には異質ではない、彼らが保持する具体科学は近代にも連綿と生きるーが効果的に浮き出る。前回投稿の誤りはそのまま残し、近々にホームサイトに投稿する内容は正しい解釈に変える。
追の中)用語の確認;
因果律causaliteと決定論determinismeの違いは、因果律は1の原因に1の結果が決まる。複雑系の環境で幾つかの要素がまとまって一の結果に結びつけるのが決定論。暑い、多雨、植物繁茂、これを熱帯雨林気候というが如く。魔術は水準を超した(境目無しの)決定論であり、1の結果には必ず全宇宙的多数の要因が起源があるとする。
追の下)魔術は残り一回。そのあとBricolageブリコラージュ寄せ集め批判に入る。ただ来週(6月6日以降)には渡来部須万男(ホームサイト参画者)からの割り込み、おっと間違い投稿以来があるのでそちらを優先します。投稿している自分にしても、1~8回は内容が固すぎると感じるから、少しは方のほぐれる話題を。

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