(2025年1月22日)ヘーゲル精神現象学を仏語Hyppolite訳から紹介しています。昨年12月までは導入章(Introduction) でした。今回から本文に入ります。第一章は悟性、その第一部は「LA CERTITUDE SENSIBLE, LE CECI ET MA VISÉE DU CECI(感じる蓋然、あるいはこのモノ、そしてこのモノに向ける私の視界)の題名が冠されます。
前文:前回のヘーゲル精神現象学La Phénoménologie de l’Espritの連続投稿(2024年9月~12月)で導入章Introductionを採りあげた。理性の目的は絶対知Savoir absoluを得ることに尽きる。ヒト思考運動は現精神象であるから、モノ実質には接触できない。理性は自身の内に現象の野を広げ、モノ実質、絶対知に迫らむとする。今回、本文に入り(第一章Conscience悟性)では思考の仕組み、特に悟性内部の思考の展開(前回で思考は2段ロケットとした、今回はその2段目に当たる)を解説する。
鍵語 1 Certitude sensible感じる蓋然 2 Immédiat即座 Médiation 介在 3 Négation・Affirmation・Détermination否定肯定決定(弁証法)
1 Certitudeの定訳は確実、必然など。これらには定量的確実性(99%か?)の含意が強い。蓋然は(推定するけどそれが真実か分からない)定性的な語感を表すので、本章の趣旨により近いと思う。「あり得るかな、無いかな」の精神作用でモノを観察(感じるsensible)を言う。実現する確率数値とは関係を持たない。
2 即座 Immédiat はモノを判断するとき、見えるがままをそのモノとして判断する作用。これがヒトの判断の一般的とした上で、その観察は最も貧しい真実しか見つけられないと批判する。介在はモノに(必ず)付属する属性。ヘーゲルは「今は夜」なる真実には「夜」が介在している、この介在は不定との観点から論を広げる。
3 否定肯定する過程がモノの真実。即座で観察してしまう「実体essence」ではなく、変遷(経験)dialectiqueがモノの本質。この弁証法原理を、蓋然として取り入れなければ、真実を掴めない。
以下本文に入る;
« Le savoir, qui d'abord ou immédiatement est notre objet ne peut être rien d'autre que celui qui est lui-même savoir immédiat, savoir de l'immédiat ou de l’étant. Nous devons nous comporter à son égard d'une façon non moins immédiate, ou accueillir ce savoir comme il s'offre, sans l'altérer en rien et bien laisser cette appréhension indépendante de toute conception » (La phénoménologie de l’Esprit Conscience章 81頁).
拙訳:知ること、これが第一にかつすぐさまに我々(理性)の目的であり、即座の知であり存在するモノへの知でもある。理性は少なからぬ即断をもって存在モノに当たる。あるがまま知として受け入れ、何かに置換する試みなど廃し、他のいかなる受け止めから独立して、この理解を尊重するのである。
« Le contenu concret de la certitude sensible la fait apparaitre immédiatement comme la connaissance la plus riche, comme une connaissance, certes, d'une richesse à ce point infinie qu'on n 'en peut trouver aucune limite, ni en extension, dans l 'espace et dans le temps où elle se déploie, ni en pénétration, dans le fragment extrait de cette plénitude par division. Cette connaissance apparaît, en outre, comme la plus vraie ; car elle n'a encore rien écarté de l’objet, mais l'a devant soi dans toute sa plénitude. » (同)
SNS投稿に当たり作成した資料の一部
感じる蓋然(la certitude sensible)の具体的内実がこの独立した理解を、豊かな認識として現出するに至る。その認識とは時間空間にいかなる限界もないうえ、細分され破砕に溶け入る展開の様など見せない。さらには最たる真実として認識に現れる。なぜならこの真実は対象から離れていない、対象を見えるがまま、横溢さで自の前においているから。
部族民(蕃神ハカミ義男、以下同じ):本章の主題は牾性conscience、その働き方。牾性が外界モノ世界を理解する精神作用がcertitude sensible、これを「感じる蓋然」と訳した。Certitudeなる語は、主体客体の両用が可能となるという理解しにくい側面を持つ。 客体としての使用では「確実なモノ」との意味合いになろうが、本稿では「主体」として精神内に動く蓋然、として用いられる。
精神が理解しようとするモノ世界とは「そうかも知れない、そうでないかも」不確実が残る。これをして蓋然と訳した。またHyppoliteは脚注で « La certitude sensible vise … » と動詞を続けているから主体とほのめかしているので安心した。(最初の一読では客体。モノの蓋然と想定したら、分けワカメで沈没した)了(1月22日)
部族民から:本来は当ブログに投稿した後、youtube、ホームサイトに掲載するを心がけていますが。今回はそれらの後になっています。動画、パワーポイント(PDF) は以下のサイトで確認できます。
本部族民サイト www.tribesman.net
GooBlog https://blog.goo.ne.jp/tribesman
Youtube(1月21日最新動画の) https://youtu.be/-1GbOAO7Nwg
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前文:前回のヘーゲル精神現象学La Phénoménologie de l’Espritの連続投稿(2024年9月~12月)で導入章Introductionを採りあげた。理性の目的は絶対知Savoir absoluを得ることに尽きる。ヒト思考運動は現精神象であるから、モノ実質には接触できない。理性は自身の内に現象の野を広げ、モノ実質、絶対知に迫らむとする。今回、本文に入り(第一章Conscience悟性)では思考の仕組み、特に悟性内部の思考の展開(前回で思考は2段ロケットとした、今回はその2段目に当たる)を解説する。
鍵語 1 Certitude sensible感じる蓋然 2 Immédiat即座 Médiation 介在 3 Négation・Affirmation・Détermination否定肯定決定(弁証法)
1 Certitudeの定訳は確実、必然など。これらには定量的確実性(99%か?)の含意が強い。蓋然は(推定するけどそれが真実か分からない)定性的な語感を表すので、本章の趣旨により近いと思う。「あり得るかな、無いかな」の精神作用でモノを観察(感じるsensible)を言う。実現する確率数値とは関係を持たない。
2 即座 Immédiat はモノを判断するとき、見えるがままをそのモノとして判断する作用。これがヒトの判断の一般的とした上で、その観察は最も貧しい真実しか見つけられないと批判する。介在はモノに(必ず)付属する属性。ヘーゲルは「今は夜」なる真実には「夜」が介在している、この介在は不定との観点から論を広げる。
3 否定肯定する過程がモノの真実。即座で観察してしまう「実体essence」ではなく、変遷(経験)dialectiqueがモノの本質。この弁証法原理を、蓋然として取り入れなければ、真実を掴めない。
以下本文に入る;
« Le savoir, qui d'abord ou immédiatement est notre objet ne peut être rien d'autre que celui qui est lui-même savoir immédiat, savoir de l'immédiat ou de l’étant. Nous devons nous comporter à son égard d'une façon non moins immédiate, ou accueillir ce savoir comme il s'offre, sans l'altérer en rien et bien laisser cette appréhension indépendante de toute conception » (La phénoménologie de l’Esprit Conscience章 81頁).
拙訳:知ること、これが第一にかつすぐさまに我々(理性)の目的であり、即座の知であり存在するモノへの知でもある。理性は少なからぬ即断をもって存在モノに当たる。あるがまま知として受け入れ、何かに置換する試みなど廃し、他のいかなる受け止めから独立して、この理解を尊重するのである。
« Le contenu concret de la certitude sensible la fait apparaitre immédiatement comme la connaissance la plus riche, comme une connaissance, certes, d'une richesse à ce point infinie qu'on n 'en peut trouver aucune limite, ni en extension, dans l 'espace et dans le temps où elle se déploie, ni en pénétration, dans le fragment extrait de cette plénitude par division. Cette connaissance apparaît, en outre, comme la plus vraie ; car elle n'a encore rien écarté de l’objet, mais l'a devant soi dans toute sa plénitude. » (同)
SNS投稿に当たり作成した資料の一部
感じる蓋然(la certitude sensible)の具体的内実がこの独立した理解を、豊かな認識として現出するに至る。その認識とは時間空間にいかなる限界もないうえ、細分され破砕に溶け入る展開の様など見せない。さらには最たる真実として認識に現れる。なぜならこの真実は対象から離れていない、対象を見えるがまま、横溢さで自の前においているから。
部族民(蕃神ハカミ義男、以下同じ):本章の主題は牾性conscience、その働き方。牾性が外界モノ世界を理解する精神作用がcertitude sensible、これを「感じる蓋然」と訳した。Certitudeなる語は、主体客体の両用が可能となるという理解しにくい側面を持つ。 客体としての使用では「確実なモノ」との意味合いになろうが、本稿では「主体」として精神内に動く蓋然、として用いられる。
精神が理解しようとするモノ世界とは「そうかも知れない、そうでないかも」不確実が残る。これをして蓋然と訳した。またHyppoliteは脚注で « La certitude sensible vise … » と動詞を続けているから主体とほのめかしているので安心した。(最初の一読では客体。モノの蓋然と想定したら、分けワカメで沈没した)了(1月22日)
部族民から:本来は当ブログに投稿した後、youtube、ホームサイトに掲載するを心がけていますが。今回はそれらの後になっています。動画、パワーポイント(PDF) は以下のサイトで確認できます。
本部族民サイト www.tribesman.net
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