(2019年12月28日)
現代の神話を考えてみる。
神話とは神の物語である。現代に神はあからさまには降臨しない。目立たぬように降り立ち、密かに誰かの心に忍びこむ。こんな話を幾つか;
東シベリアに居住するブリヤート族の7歳の少女、エンゲルシナはブリヤート自治区農業人民委員を務める父アルダン・マルキゾワに連れられモスクワに旅たった。アルダンはモスクワで開催される全人民会議に派遣される共和国代表団の一員であった。エルゲンシナには旅行する許可もモスクワに滞在する資格もないけれど、何故か許可証を手に入れた(ソ連では移動にも滞在にも身分証明書と許可証が必要だった)。
ブリヤート族の少女エンゲルシナとスターリン 拡大は下に
会議当日、宿泊所に一人残すわけにもならず、アルダンは娘を同行させ、何故か人民会議にも入場させられた。会議は時間通りに始まり、空虚な中身と饒舌に時間を費やすソ連式演説が続いて、エルゲンシナは退屈感にすっかりとらわれてしまった。壇上貴賓席にはスターリン、ふと、
>「私は『あの人に上げよう』と考えながら、2つの花束を手に取り演壇に向かった」と、エンゲルシナは後に述べている。ところが驚いたことに、独裁者は喜んだ様子だった。彼は、エンゲルシナを抱き上げ、「フェルト製の長靴をはいた私を演壇上に上げた」。彼女が花束を手渡すと、スターリンは彼女を抱きしめ、ジャーナリトたちは写真を撮り始めた。
「君は時計が好きかな?」。スターリンがこう尋ねたことをエンゲルシナは覚えている。勇敢な女の子は「はい」と答えた(実は、時計を持ったことはなかったのだが)。指導者は金時計をプレゼントし、家族には蓄音機を贈った。しかし彼女がもらったものは、それよりはるかに多かった。
「神自身がこのブリヤートの少女を私たちに送ってくれた。彼女を幸せな幼年時代の象徴に仕立てようじゃないか」(プラウダ紙のレフ・メフリス編集長)スターリンとエンゲルシナの写真があらゆる新聞に掲載されると、21世紀風に言えば、思い切り「伝染」してしまった。
「翌日、私がホテルのホールに入ると、そこは、おもちゃその他のプレゼントで満たされていた。…私と両親がウラン・ウデ(ブリヤートの首都)に戻ると、人々は、後に宇宙飛行士を歓迎したときのような熱狂で私を迎えてくれた…」<
(ロシアビヨンド、ネット版「子供達の友スターリン」より)
少女が代表団と共に旅立て列車で移動できた偶然が、会議場でスターリンを間近に見た偶然を呼び、花束を抱えて壇上にちん入する偶然を導き、スターリンが花束とともに少女を抱き上げる奇跡を生んだ。これほどの偶然の重なりなど起こるはずがない。この奇跡を神の御心とメフリスが決めつけたのだが;
初めからの人為の仕掛けが組まれていたら、神の介在など必要はない。ソ連の宣伝活動(プラウダが取り仕切っている筈)がスターリンを「神」に奉りあげるシナリオを仕組んだとしたら、エンゲルシナの移動、滞在、入場の絡繰りは神の介在ではないと云える。「神」を造るための仕掛けであった。
花束少女の顛末は1936年、大粛清と重ねてみよう。
>ロシア国立文書館にある統計資料によれば、最盛期であった1937年から1938年までに、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた[6]。
ただし、この人数は反革命罪で裁かれた者に限る。ソ連共産党は大きな打撃を受け、旧指導層はごく一部を除いて絶滅させられた。特に、地区委員会、州委員会、共和国委員会は、丸ごと消滅した。(wikipedia大粛清から)<
(ちなみにブリヤート共和国委員会も粛清を受け、アルダン・マルキゾワも花束娘から2年の後、1938年に銃殺刑に処された)
大粛清の最盛期は1937年、その苛烈さを前もって覆い隠すために「子供好き」「慈しみ深い」スターリンを演出していたと容易に推察できる。神を否定した共産主義ゆえに統治者を神になぞらえた。実態の残虐さをすっかり隠す優しい父、「神」に姿を変えた暴君にソ連人民がすっかり騙された。
もう一例;
1949年モスクワにおける対ドイツ戦争勝利の記念式典で、ピオネール(共産党少年団)の少女が壇上に立った。彼女が何を語ったかの記録はないが「祖国亡命のためにピオネール団は一丸となって同士スターリンを支える」的なことを述べた。(筈だ)
写真はヨーロッパ戦後史(トニー・ジャット著、みすず書房)人間の顔をした社会主義の章から。
優しい作り顔でピオネール少女を励ますスターリン(ヨーロッパ戦後史からデジカメ)
スターリンは「君たちの活動を断固支えるから、困ったことがあったら何でも相談に来てくれ」みたいな返事をした(ようだ)。スターリンの顔つきをご覧ください。まさに「慈父ジョーおじさん」(スターリンの愛称)ではないか。ここにも「優しい神」の作り顔がちらつく。ジャットはこの顔つきをして「神話のねつ造」としている。 1の了
現代の神話を考えてみる。
神話とは神の物語である。現代に神はあからさまには降臨しない。目立たぬように降り立ち、密かに誰かの心に忍びこむ。こんな話を幾つか;
東シベリアに居住するブリヤート族の7歳の少女、エンゲルシナはブリヤート自治区農業人民委員を務める父アルダン・マルキゾワに連れられモスクワに旅たった。アルダンはモスクワで開催される全人民会議に派遣される共和国代表団の一員であった。エルゲンシナには旅行する許可もモスクワに滞在する資格もないけれど、何故か許可証を手に入れた(ソ連では移動にも滞在にも身分証明書と許可証が必要だった)。
ブリヤート族の少女エンゲルシナとスターリン 拡大は下に
会議当日、宿泊所に一人残すわけにもならず、アルダンは娘を同行させ、何故か人民会議にも入場させられた。会議は時間通りに始まり、空虚な中身と饒舌に時間を費やすソ連式演説が続いて、エルゲンシナは退屈感にすっかりとらわれてしまった。壇上貴賓席にはスターリン、ふと、
>「私は『あの人に上げよう』と考えながら、2つの花束を手に取り演壇に向かった」と、エンゲルシナは後に述べている。ところが驚いたことに、独裁者は喜んだ様子だった。彼は、エンゲルシナを抱き上げ、「フェルト製の長靴をはいた私を演壇上に上げた」。彼女が花束を手渡すと、スターリンは彼女を抱きしめ、ジャーナリトたちは写真を撮り始めた。
「君は時計が好きかな?」。スターリンがこう尋ねたことをエンゲルシナは覚えている。勇敢な女の子は「はい」と答えた(実は、時計を持ったことはなかったのだが)。指導者は金時計をプレゼントし、家族には蓄音機を贈った。しかし彼女がもらったものは、それよりはるかに多かった。
「神自身がこのブリヤートの少女を私たちに送ってくれた。彼女を幸せな幼年時代の象徴に仕立てようじゃないか」(プラウダ紙のレフ・メフリス編集長)スターリンとエンゲルシナの写真があらゆる新聞に掲載されると、21世紀風に言えば、思い切り「伝染」してしまった。
「翌日、私がホテルのホールに入ると、そこは、おもちゃその他のプレゼントで満たされていた。…私と両親がウラン・ウデ(ブリヤートの首都)に戻ると、人々は、後に宇宙飛行士を歓迎したときのような熱狂で私を迎えてくれた…」<
(ロシアビヨンド、ネット版「子供達の友スターリン」より)
少女が代表団と共に旅立て列車で移動できた偶然が、会議場でスターリンを間近に見た偶然を呼び、花束を抱えて壇上にちん入する偶然を導き、スターリンが花束とともに少女を抱き上げる奇跡を生んだ。これほどの偶然の重なりなど起こるはずがない。この奇跡を神の御心とメフリスが決めつけたのだが;
初めからの人為の仕掛けが組まれていたら、神の介在など必要はない。ソ連の宣伝活動(プラウダが取り仕切っている筈)がスターリンを「神」に奉りあげるシナリオを仕組んだとしたら、エンゲルシナの移動、滞在、入場の絡繰りは神の介在ではないと云える。「神」を造るための仕掛けであった。
花束少女の顛末は1936年、大粛清と重ねてみよう。
>ロシア国立文書館にある統計資料によれば、最盛期であった1937年から1938年までに、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた[6]。
ただし、この人数は反革命罪で裁かれた者に限る。ソ連共産党は大きな打撃を受け、旧指導層はごく一部を除いて絶滅させられた。特に、地区委員会、州委員会、共和国委員会は、丸ごと消滅した。(wikipedia大粛清から)<
(ちなみにブリヤート共和国委員会も粛清を受け、アルダン・マルキゾワも花束娘から2年の後、1938年に銃殺刑に処された)
大粛清の最盛期は1937年、その苛烈さを前もって覆い隠すために「子供好き」「慈しみ深い」スターリンを演出していたと容易に推察できる。神を否定した共産主義ゆえに統治者を神になぞらえた。実態の残虐さをすっかり隠す優しい父、「神」に姿を変えた暴君にソ連人民がすっかり騙された。
もう一例;
1949年モスクワにおける対ドイツ戦争勝利の記念式典で、ピオネール(共産党少年団)の少女が壇上に立った。彼女が何を語ったかの記録はないが「祖国亡命のためにピオネール団は一丸となって同士スターリンを支える」的なことを述べた。(筈だ)
写真はヨーロッパ戦後史(トニー・ジャット著、みすず書房)人間の顔をした社会主義の章から。
優しい作り顔でピオネール少女を励ますスターリン(ヨーロッパ戦後史からデジカメ)
スターリンは「君たちの活動を断固支えるから、困ったことがあったら何でも相談に来てくれ」みたいな返事をした(ようだ)。スターリンの顔つきをご覧ください。まさに「慈父ジョーおじさん」(スターリンの愛称)ではないか。ここにも「優しい神」の作り顔がちらつく。ジャットはこの顔つきをして「神話のねつ造」としている。 1の了
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