(2018年2月18日投稿)
主題プロットを組みあぐねている最中(1月4日頃)にボロロ族の遺構が浅川畔で発見されたやらテポドン襲来から逃げ迷ったやらのつまらん話に時間を割かれてしまった。発信元はK氏ながら、テポドン戻りの居間で構造主義的年齢と顔の分析を開陳したら、細君に相当痛めつけられたようだ(K氏の悲しきには前回のテポドンテンコテンコを回覧あれ)。時間こそ取られたが何事にも生半可は避けねばならないとの誡め機会を投稿子に与えてくれた。これには感謝。
ようやく2月に入ってパラダイムを考える余裕が出てきた。
レヴィストロースはサンタグム(syntagme)/パラディグム(paradigme)について解説に行数を当てていない。しかし同じ思考系と言えるサンクロニ(syncronie=共時態)とディアクロニ(diacronie=通時態)については丁寧な説明を<Du miel aux cendres="蜜から灰へ、神話学第二巻)に用意しています。
同書65頁で南米に棲息するオウム属は大きさの順からマイタカ(maitaca)、ペロケ(perroquet)、アラ(ara)、ペルーシュ(perruche)に分けられる。4種は同時に存在しているのでsyncronieとしてオウム属に認識されるが、活動は年間を通して均等ではなく前2種は乾燥、さらにマイタカは熱気(真夏)、ペロケはサバンナ(雨期が近づく)と分解されている。後2種は湿潤に結びつけられ、それぞれに活動区域と時期が当てはめられている。原住民(おもにマトグロッソを居住圏とするジェ語族民)はオウム属に対してかくsyncronie/diacronieで形体、棲息と活動を理解している。
<img" src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/5b/22fcad0937ad7ab7e5829fa88f422e58.jpg" border="0">
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/a8/ae67a2b8b370ec0b07cc5e814ea3d40b.jpg)
マイタカ、インコの一種、灼熱の高原で飛翔する。蜂蜜の採取時期を教える。
ここから理論説明が入ります。
レヴィストロースはsyncronieを構造(structure)、絶対属性(proprietes absolues),本質 (essence),連続発展(continuite et developpement)としている。これに対してdiacronieは出来事(evenements)、相対的属性(proprietes relatives),機能、不連続とアンチテーゼ(discontinuite et de l’antithese)と規定しています。ここで絶対属性と相対属性の解釈は難しいが、これを前述のマイタカのオウムとしての<鳥、尻尾が長いなどの>固有性状を絶対として、乾燥期に高空を悠々と飛翔する(この行動が蜜の採取時期を教える)行動を相対属性と捉えれば、syncronie/diacronieと辻褄が合う。
となるとsyncronie=ideologie(思想)、diacronie=etre(存在)と考えればよいしsyntagmeとparadigmeとが連続するので構造主義思考の継続性と納得する。diacronie/paradigmeの差は前者が時間の断絶性が強く、後者は時間のと継続性に重点を置いていると理解する。
本投稿の第一回目(昨年12月22日)で投稿子(蕃神ハガミ)は「サンタグムsyntagmeは思想の同列、パラダイム(paradigme)は思想を具現する形体の変移」と解釈したが、この後に本頁(du miel aux cenrdes,65頁)に接し、寸時、おおいなる満足を覚えた(今風にこれを伝えれば>ドヤ顔<)。
上記2の思考形態は時間の流れを意識している。croniはcronometre(時計)にあるとおり時間の意を持つ。レヴィストロースにおいて思想と時間を結びつけ始めたのが神話学においてである。「親族の基本構造」「悲しき熱帯」では「時間」に対して彼はsensibilite敏感さを発揮していなかった。神話学第一巻Le cru et le cuitにして幾分か「時間」が出てきたが2巻目Du miel aux cendresにして相当にsensitiveさを発揮している。これの背景はサルトルとの論争の影があると投稿子は信じる。
構造主義における歴史性の欠如を批判していた実存主義者、弁証法的歴史信奉者、あるいは共産主義賛同の一派(これらをサルトルと追随一群とする)。レヴィストロース、サルトルの論争の経緯はここでは省くとするも、サルトルらの「構造主義の分析による社会とは結晶化して動きのない世界」の批判にはレヴィストロースも耳を傾けた(筈だ)。レヴィストロースの反論の手始めが「悲しき熱帯」の最終章(1962年)。神話学第一巻は1963年6月に校了し、続く2巻目は1967年の刊行。特にこの2巻目で、批判への解答として満を持してparadigme(diacronie)を盛り込んだかと投稿子は推理している。
サルトルレヴィストロース論争の落とし子、その庶子にして最後の継嗣たる農協パラダイムとは何か。
その濫觴を探るに余はこれぞ1964年の海外渡航制限解除(海外渡航するにも10万円しか所持できなかったなど)に遡れるとし、さらには1965年のJalパック第一弾を嚆矢と断定するに吝かではない(尊敬する今はなき小室直樹氏の文体を拝借した)
なぜ農協の海外旅行がパラダイムなのか、次回をお待ちくだされ。
農協パラダイムの終焉5の了
(2018年2月13日)
主題プロットを組みあぐねている最中(1月4日頃)にボロロ族の遺構が浅川畔で発見されたやらテポドン襲来から逃げ迷ったやらのつまらん話に時間を割かれてしまった。発信元はK氏ながら、テポドン戻りの居間で構造主義的年齢と顔の分析を開陳したら、細君に相当痛めつけられたようだ(K氏の悲しきには前回のテポドンテンコテンコを回覧あれ)。時間こそ取られたが何事にも生半可は避けねばならないとの誡め機会を投稿子に与えてくれた。これには感謝。
ようやく2月に入ってパラダイムを考える余裕が出てきた。
レヴィストロースはサンタグム(syntagme)/パラディグム(paradigme)について解説に行数を当てていない。しかし同じ思考系と言えるサンクロニ(syncronie=共時態)とディアクロニ(diacronie=通時態)については丁寧な説明を<Du miel aux cendres="蜜から灰へ、神話学第二巻)に用意しています。
同書65頁で南米に棲息するオウム属は大きさの順からマイタカ(maitaca)、ペロケ(perroquet)、アラ(ara)、ペルーシュ(perruche)に分けられる。4種は同時に存在しているのでsyncronieとしてオウム属に認識されるが、活動は年間を通して均等ではなく前2種は乾燥、さらにマイタカは熱気(真夏)、ペロケはサバンナ(雨期が近づく)と分解されている。後2種は湿潤に結びつけられ、それぞれに活動区域と時期が当てはめられている。原住民(おもにマトグロッソを居住圏とするジェ語族民)はオウム属に対してかくsyncronie/diacronieで形体、棲息と活動を理解している。
<img" src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/5b/22fcad0937ad7ab7e5829fa88f422e58.jpg" border="0">
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/a8/ae67a2b8b370ec0b07cc5e814ea3d40b.jpg)
マイタカ、インコの一種、灼熱の高原で飛翔する。蜂蜜の採取時期を教える。
ここから理論説明が入ります。
レヴィストロースはsyncronieを構造(structure)、絶対属性(proprietes absolues),本質 (essence),連続発展(continuite et developpement)としている。これに対してdiacronieは出来事(evenements)、相対的属性(proprietes relatives),機能、不連続とアンチテーゼ(discontinuite et de l’antithese)と規定しています。ここで絶対属性と相対属性の解釈は難しいが、これを前述のマイタカのオウムとしての<鳥、尻尾が長いなどの>固有性状を絶対として、乾燥期に高空を悠々と飛翔する(この行動が蜜の採取時期を教える)行動を相対属性と捉えれば、syncronie/diacronieと辻褄が合う。
となるとsyncronie=ideologie(思想)、diacronie=etre(存在)と考えればよいしsyntagmeとparadigmeとが連続するので構造主義思考の継続性と納得する。diacronie/paradigmeの差は前者が時間の断絶性が強く、後者は時間のと継続性に重点を置いていると理解する。
本投稿の第一回目(昨年12月22日)で投稿子(蕃神ハガミ)は「サンタグムsyntagmeは思想の同列、パラダイム(paradigme)は思想を具現する形体の変移」と解釈したが、この後に本頁(du miel aux cenrdes,65頁)に接し、寸時、おおいなる満足を覚えた(今風にこれを伝えれば>ドヤ顔<)。
上記2の思考形態は時間の流れを意識している。croniはcronometre(時計)にあるとおり時間の意を持つ。レヴィストロースにおいて思想と時間を結びつけ始めたのが神話学においてである。「親族の基本構造」「悲しき熱帯」では「時間」に対して彼はsensibilite敏感さを発揮していなかった。神話学第一巻Le cru et le cuitにして幾分か「時間」が出てきたが2巻目Du miel aux cendresにして相当にsensitiveさを発揮している。これの背景はサルトルとの論争の影があると投稿子は信じる。
構造主義における歴史性の欠如を批判していた実存主義者、弁証法的歴史信奉者、あるいは共産主義賛同の一派(これらをサルトルと追随一群とする)。レヴィストロース、サルトルの論争の経緯はここでは省くとするも、サルトルらの「構造主義の分析による社会とは結晶化して動きのない世界」の批判にはレヴィストロースも耳を傾けた(筈だ)。レヴィストロースの反論の手始めが「悲しき熱帯」の最終章(1962年)。神話学第一巻は1963年6月に校了し、続く2巻目は1967年の刊行。特にこの2巻目で、批判への解答として満を持してparadigme(diacronie)を盛り込んだかと投稿子は推理している。
サルトルレヴィストロース論争の落とし子、その庶子にして最後の継嗣たる農協パラダイムとは何か。
その濫觴を探るに余はこれぞ1964年の海外渡航制限解除(海外渡航するにも10万円しか所持できなかったなど)に遡れるとし、さらには1965年のJalパック第一弾を嚆矢と断定するに吝かではない(尊敬する今はなき小室直樹氏の文体を拝借した)
なぜ農協の海外旅行がパラダイムなのか、次回をお待ちくだされ。
農協パラダイムの終焉5の了
(2018年2月13日)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます