蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

エリュアールの詩、ユゴーの挿し絵 2

2018年06月19日 | 小説
(2018年6月19日)
ガリマール社Pleiade(スバル)叢書エリュアール全集からMedieuses(メディアの女達)を紹介しています。

写真はネットから取得、肖像権の違反があれば指摘ください。

掲載一枚目の写真をご覧ください。後列中央にピカソが腕組みしています。背景の壁にキュービズムの絵画がかけられている。彼の個展会場に訪問した友人達との集合写真と思われる。それら人物が凄い。
後列左端にラカン(哲学者Jaques Lacan),一人女性を置いてカミュ(異邦人の作家、Albert Camus),女性を置いてピカソ、その背後に飾り帽を付けた女性は、撮影された経緯からして(おそらく)ピカソ同伴者のジロー(Francoise Jilot)かと思える。その横、スカーフ姿がValentine Hugoである。その右がボーボワール(Simone de Beauvoir),
前列左端にサルトル(Jean-Paul Sartre)中央がブルトン(Andre Breton)その右がValentineの夫君Jean Hugoである。幾人かは特定できないのだが、この写真には戦後フランスの思想、芸術のエッセンスが凝縮されている。哲学としての構造主義、一世を風靡した文学、実存主義、不条理、シュールレアリズム、キュービズム。それら旗手の勢揃い、圧倒感には投稿子(蕃神)ならずも、読者も震えを覚えるか。
Valentine Hugo活動の時期と舞台背景が一目にできる写真である。
撮影年の特定は1950年初頭(あるいは1940年代の後半)、これはサルトルとラカンの顔つき表情の若さからの推測で、また飾り帽の女性がJilotであるとの前提から。Jilotとピカソの破局が1953年とWikiにでていた。

Valentineに戻る。旧姓はGross、文豪Victor Hugoの曾孫、Jean (作曲家と伝わる)との結婚でHugoと名乗る。これだけでHugoとの血縁はないと判断するのは早計である。なぜならフランスのみならずイギリス、ヨーロッパの上流階層は「交差イトコ婚」を好み、頻繁に実行していた。文学作品ではJideの狭き門の主人公(AlissaとJerome)はイトコ同士で、両家族も二人を結婚へと後押ししていた。うまく進んでないとみて「姉が気に入らないなら妹Julietteもいるから、こっちにしたら」なんて助言まで飛び出す。
故に、Gross家にHugoの血が流れていたらJeanとValentineはVictorを曾祖父に持つイトコ(cousins germains)であるかも知れない。結婚してもGross-Hugoと名乗らず、Hugoのみを自称したValentineの背景がそこにあるかも知れない。さらに写真をご覧あれ、スカーフからのぞくValentineと前列にしゃがむJeanは確かに似ている。Google,Wikiでの調べではイトコ婚云々は確認できなかった。

エリュアール詩集メディアの女達(medieuses)第二作を紹介する


Medieuses Ⅰ
Elle va s’eveiller d’un reve noir et bleu
Elle va se lever de la nuit grise et mauve
Sa jambe est lisse et son pied nu
Au son d’un chant premedite
Tout son corps pave de pluie arme de parfums tendres
Demele le fuseau matinal de sa vie

拙訳;漆黒に群青の重なり、夢から女は目覚める
夜のしじまが紫と灰、そして起き上がる
つややか脚 剥き出し足首
ほら、歌声が聞こえただろう
ときめきくまでの輝きを受けながら
濡れきった甘酸っぱいその身体の
朝の息吹に解き放たれる子午線が今だ

Bleuを青と訳しても面白くないので群青(ラピスラズリ色)とした。Mauveは葵色、紫らしい。Fuseauが分からなかった。第一義は紡績の錘、朝の錘は意味を成さない。辞書に尋ねると「24 fuseaux spheriques imaginaires a la surface du globe avec les poles pour extremites」(grand robert)とあった。地球を等分に24の経度で区分けする、その一つ一つで(国際)標準時間帯と訳せる(らしい)。しかし標準の経度の位置で時間を分割しようと、実際は国家の都合が優先するから、でっこみひっこみはあるので、用語の意味自体が実体を成していない。「時間」の言い換え用法もある(らしい)が、天空上の架空線の誤訳を承知、格好付けもあって、「子午線」を持ち出した。
読者にはさらなる秀逸訳を期待します。

エリュアールの詩、ユゴーの挿し絵 2 の了

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