「親父。ロッテオリオンズの帽子が5800円。近鉄バッファローズの帽子が6300円。高いよな」
「まぁ、マニアじゃなくても、欲しい気持ちはある。やっぱりロッテが欲しいな」
「近鉄の帽子って独特だよね。あまり強そうには見えないけど」
昨日の読売新聞。スポーツ欄のコラム「熱視線」を読んでおりました。話題は各プロ野球球団が「復刻版ユニフォーム」で試合を行っている最近の様子について書いたものでした。
写真 . . . 本文を読む
1973年パリーグ。宮城球場を準フランチャインズとしていたロッテオリオンズは、シーズン終盤に宿敵南海に追いつかれる。阪急最終戦とも負け越し、結局はリーグ3位で終戦を向えた。ロッテはこの年から東京球場から仙台へ移る。監督も金田になり、監督人気もあって、球場は連日賑わった。
昨年のブログでこのロッテオリオンズの事をお話いたしました。酔漢が初めてプロ野球を観戦したときの話でしたが、この年は3試合ほ . . . 本文を読む
高校野球も先々週に終了いたしました。宮城代表仙台育英高校佐藤君のストレートの速さには驚きました。宮城県高校生投手の中で、私が意識した中では最速ではなかったかと思います。でも、ストレートの凄みはやはりダルビッシュ君であり、球質の重さでは大久保さんであり、球の切れと言えば、佐々木さん薄木さんが記憶の中にあります。コントロールでは仙台高校丹野君、二高江尻君、アンダスロー仙台育英の上市さんなどなど、(大越 . . . 本文を読む
楽天の試合は時たま観ます。昨年まで、投手で苦しんでいたチームは、年ごとに成長している様子が分かります。
ここまで、酔漢が見た、聞いたプロ野球のチームを3球団にわたって、そのエピソードを紹介いたしましたが、この章はいったん休止にします。残りの9球団については、酔漢の大学時代、そして父親、家内の事などおりまぜながら、書いていこうと思います。どうしてかみさんかって?彼女、仙台六大学野球でウグイス嬢をし . . . 本文を読む
伊達の牛タンと言えば、知らない人がいないくらいの仙台名物です。仙台駅の中には、牛タン通りがありますが、酔漢は一度も立ち寄った事はありません。牛タンは嫌い?いえいえ大好きです。酔漢の通っていた牛タンのお店が,今はもうなくなってしまったので。それ以来、牛タンのお店には足が向かなくなったのです。今日のお話は、野球の話というよりは、グルメの話かもしれません。
「酔漢、木曜日、飲みにいくか?大学の試験も落 . . . 本文を読む
6月は酔漢の会社の決算月でございました。で思いのほかハードに仕事をしておりまして、更新が出来ませんでした。(言い訳だっちゃ!)で前回の続きです。
「酔漢、放課後に職員室に来い!」
「おめぇ、何やった?」
「相変わらず、成績わるいからな、進路変えろとかでねぇか」
高校3年生9月。仙台向山高校3年3組。酔漢自慢ではありませんが、高校時、成績は下位の方でした。井上ひさし先生流に言えば、「おめぇ、また . . . 本文を読む
1978年、ヤクルトスワローズは、広岡達郎監督の下、球団創設以来初のリーグ優勝をなしとげました。この話はその前年。酔漢が中学2年生のときの話です。
教室には、さかい君がおりました。彼はヤクルトスワローズの数少ない?ファンでした。(彼はまた、五橋中学一の天体マニアでもありました)
「昨日は、安田が調子よかったもんな。阪神やっつけたし」
「あさってから、仙台でしょ。相手大洋だよね」
「大洋主催だけど . . . 本文を読む
「ロッテ優勝したべ!」教室でテレビを見てました。放課後掃除をしている最中にエツジ(6年学級担任)が、宮城球場で行なわれている、パリーグプレーオフ ロッテ対阪急戦をかけたのでした。もう、僕らは掃除どころではありません。
「金田監督の身体が中に舞います。一回、2回、3回。最優秀選手賞は有藤選手に決まりました」
地元での優勝でしたので、僕らはことのほかうれしく思いました。小学校にも、ロッテのファンは当時 . . . 本文を読む