酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

丹治道彦さん!無事でいてくれ!

2011-03-13 08:27:06 | 東日本大震災
地震発生時14時48分頃。
藤沢自宅も相当の揺れ。
これは最初に語りました。
先ず、母の安否が心配でした。(塩竈小松崎)
連絡が取れずにおりましたところ。
15時21分。メール受信。
丹治道彦さんからです。
その内容

水戸行の途中。新地で地震。
行くも戻るも交通ストップ。
母、松島にあり。心配です。

安否が確認できた最初の人物でした。
が。
写真です。(産経新聞より抜粋。断りなく申し訳ございません)
メールの時間では津波来襲直前。(と推察)
高い建物が見当たりません。

そして同記事には列車の残骸が写っております。
時刻表から彼が乗っていた列車に間違いありません。
一つ希望はその記事。
「人は確認できない」
乗客は列車を降りたものと考えられます。
ただ、上記。駅舎の写真です。

今だ連絡取れず!

丹治さん生きていて下さい!

雪山で雪崩にあっても冷静に対応していたあなたです。
その知恵でもって確かに無事であろうと信じております。

ただひたすら無事を祈っております。
否、彼は必ず無事に帰って来ます!

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5 コメント

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状況 (ひー)
2011-03-13 15:48:50
新地はまずいですね。
心配です。
七ヶ浜ですが患者さんの情報では、菖蒲田は無くなっていたと言ってます。
汐見台は大丈夫とか?
蒲生もダメ
報道の通りあそこから荒浜は高台がありませんからね。
新駅前のヨークは、ガタガタでしたが、海岸線の情報は入ってきません。
民家は断水と停電で情報が入りませんがたまたま入院していたので、ワンセグを見ることができます。
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書き込み失礼します (クリス)
2011-03-13 19:36:38
当方東北工大在学時に、丹治先生からドイツ語を教わっていた者です。
ちょうど、兼任講師から専任講師になられて、二ツ沢キャンパスに研究室を構えられた頃の学生です。

塩竈のご出身だと伺っていたので、沿岸部に甚大な被害があったことから、安否を憂えております。

きっとご無事でいらっしゃると信じて、駄目で元々と、手紙でも出してみようかと思って、その前に何の気無しにググってみて、
お名前を挙げていらしたのを拝見して、こちらを訪問させて頂きました。

もし、ご連絡がつきましたら、厚かましいことは重々承知ですが、また記事にして頂けると、大変有り難く思います。

勝手な訪問と不躾なお願いを幾重にもお詫び申し上げます。


末筆ながら、余震や天候悪化、体調不良等には充分お気をつけて、安全第一でお過し下さいませ。

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Unknown (いーちゃんの母)
2011-03-13 20:01:14
家の寮生に荒浜の子がいます。未だにご家族と連絡が付きません。
なかなか情報が入らないので、心配です。

丹治さんがご無事でありますように…。
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丹治さん (おんせんたまご)
2011-03-14 19:00:55
私のブログにお出でいただく丹治さんのことですよね。
新地にいらしたのですか、何とぞご無事でいらっしゃいます様お祈りします。
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丹治様 (おばらあつひろ)
2011-03-14 19:48:39
時折お邪魔して、拙きコメントに返答を寄せて頂いた丹治様でしょうか。仙台一高で応援団幹部を務めておられた…。

アタクシが高校在学の折り、十数年前の応援団どうしの書簡。
その中に、仙台市内の高校応援団卒業出身者の連名で何通も。その中に、丹治様の名前。
“野次主体の応援ばかりでなく、統率の取れた応援を目指し…”云々。実際にどこまで交流があったかは定かではありません。

やがて卒業後、定期戦の応援合戦を知りましたが…力強い応援、とても足元に及ばないと痛感した次第。
書簡。あくまで現状にとどまることをせず、貪欲に吸収しようとしていたのでしょうか。

丹治様のコメントの節々、“らしさ”では随一でしょう。

岩手より無事を祈ります…。
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