今朝の朝刊を読んでいた。
開きっぱなしで、もう30分も経っている。
「亡くなられた方々」
このページである。
知人が大勢掲載されていた。
「生きていてほしい」
「無事で生きていてほしい」
願いは叶わなかった。
悔しい。やはり悔しさはつのるばかりである。
地震直後、母の安否がまず気になった。最初に欲しかった情報であった。
次は親戚、従弟、丹治さん。
だが、気になる事が一つあった。
「宮城県七ヶ浜町」の情報が何一つ入ってこない。報道されていない。
当初、これは「無事な証拠ではないか」と考えていた。
だが、考えれば。
荒浜があのような被害にあっている時に、菖蒲田が無事とは思えない。
「ヘリを飛ばせ!」「様子を知らせてくれ!」
こう思った。
一週間が経った、昨日。
ようやく、その情報、そして写真をみることが出来た。
下記リンク先「ひーさんの散歩道」にその惨状が描かれていた。
唖然!驚愕!そして茫然自失。
言葉が出ない。
変わり果てた町の姿が映し出されていた。
何とか、ひー様へコメントを投稿したものの、言葉を探すのに苦労した。
丹治さんからメールを頂戴。拝読。
七ヶ浜に様子を見に行きました。(後の電話から自転車だったそう)
大代から松ケ浜の道は、かなり奥まで浸水した模様。
松ケ浜・・・壊滅
菖蒲田・・・壊滅
菖蒲田の道は家屋の残骸に埋もれています、海沿いの道路は浜ごとに寸断されているのではないのでしょうか。
浜へは尾根筋の道から下りるしかないと思います。
せめて菩提寺(花渕浜 同性寺)だけでも確かめたかったのですが、叶いませんでした。
職場に電話した所、安否未確認の学生は三名。その中に我が講義を聴いた七ヶ浜在住の女子が含まれておらぬか心配です。
直後の電話。
「道が寸断されて、行きつくことが出来なかった。せめて花渕までその様子を見て来たかったのだが」
「菖蒲田の惨状には驚いた。砂浜が無くなっている。家の一軒もない」
「汐見台は家が流されている。お前の会社の事業所は確認出来なかった」
「チリ地震津波」では、釣りをしていた父は、君が岡までバイクを走らせて避難したそうだ。ただ、花渕浜、祖父生家までは波は来なかったと言っていた。
三陸津波でも被害の記録は残っているが、これほどではなかったと聞く。
浜ごとに孤立状態。これだけは避けたい。
地形が地形だけに、難しいのか。
人づてではなく、しっかりとした情報が欲しい。
そして、早く、やはり一刻も早く、救援を乞う!
思い出の多い所、酔漢のルーツ。
親父、祖父、祖母、叔父が眠る地。
気になる。
そして、親せきの無事を確認したい。
どこでどう過ごしているのか。
本当に無事でいて欲しい。
少なくても、情報がほしい。
乞う!切望である。
四月末。父の一周忌法要はここでやろうと決めていた。
同性寺ご住職は、本堂をお貸し下さると快諾して下さった。
しかし、取りやめることになるだろう。
致し方ない。
人々の救助、生活の確保が最優先だからだ。
まったく拘らない。
一刻も早くである。
七ヶ浜村、村長の玄孫。
居ても立ってもいられないのだ。
開きっぱなしで、もう30分も経っている。
「亡くなられた方々」
このページである。
知人が大勢掲載されていた。
「生きていてほしい」
「無事で生きていてほしい」
願いは叶わなかった。
悔しい。やはり悔しさはつのるばかりである。
地震直後、母の安否がまず気になった。最初に欲しかった情報であった。
次は親戚、従弟、丹治さん。
だが、気になる事が一つあった。
「宮城県七ヶ浜町」の情報が何一つ入ってこない。報道されていない。
当初、これは「無事な証拠ではないか」と考えていた。
だが、考えれば。
荒浜があのような被害にあっている時に、菖蒲田が無事とは思えない。
「ヘリを飛ばせ!」「様子を知らせてくれ!」
こう思った。
一週間が経った、昨日。
ようやく、その情報、そして写真をみることが出来た。
下記リンク先「ひーさんの散歩道」にその惨状が描かれていた。
唖然!驚愕!そして茫然自失。
言葉が出ない。
変わり果てた町の姿が映し出されていた。
何とか、ひー様へコメントを投稿したものの、言葉を探すのに苦労した。
丹治さんからメールを頂戴。拝読。
七ヶ浜に様子を見に行きました。(後の電話から自転車だったそう)
大代から松ケ浜の道は、かなり奥まで浸水した模様。
松ケ浜・・・壊滅
菖蒲田・・・壊滅
菖蒲田の道は家屋の残骸に埋もれています、海沿いの道路は浜ごとに寸断されているのではないのでしょうか。
浜へは尾根筋の道から下りるしかないと思います。
せめて菩提寺(花渕浜 同性寺)だけでも確かめたかったのですが、叶いませんでした。
職場に電話した所、安否未確認の学生は三名。その中に我が講義を聴いた七ヶ浜在住の女子が含まれておらぬか心配です。
直後の電話。
「道が寸断されて、行きつくことが出来なかった。せめて花渕までその様子を見て来たかったのだが」
「菖蒲田の惨状には驚いた。砂浜が無くなっている。家の一軒もない」
「汐見台は家が流されている。お前の会社の事業所は確認出来なかった」
「チリ地震津波」では、釣りをしていた父は、君が岡までバイクを走らせて避難したそうだ。ただ、花渕浜、祖父生家までは波は来なかったと言っていた。
三陸津波でも被害の記録は残っているが、これほどではなかったと聞く。
浜ごとに孤立状態。これだけは避けたい。
地形が地形だけに、難しいのか。
人づてではなく、しっかりとした情報が欲しい。
そして、早く、やはり一刻も早く、救援を乞う!
思い出の多い所、酔漢のルーツ。
親父、祖父、祖母、叔父が眠る地。
気になる。
そして、親せきの無事を確認したい。
どこでどう過ごしているのか。
本当に無事でいて欲しい。
少なくても、情報がほしい。
乞う!切望である。
四月末。父の一周忌法要はここでやろうと決めていた。
同性寺ご住職は、本堂をお貸し下さると快諾して下さった。
しかし、取りやめることになるだろう。
致し方ない。
人々の救助、生活の確保が最優先だからだ。
まったく拘らない。
一刻も早くである。
七ヶ浜村、村長の玄孫。
居ても立ってもいられないのだ。
おひさしびりです
兄弟、両親共怪我ひとつなく無事です。
家屋もヒビひとつなく、ガス以外の
ライフラインも復活しました。
津波は産業道路まで押し寄せ高砂中の
あたりまで、冠水しました。
宮城県沖地震時以上に地面の隆起や陥没が
多いです。
余震がまだ多いので、いつでも揺れている
感じがします。(地震酔いというらしいです)
丹治君、まだまだ危ないのであまり無理しないように。
被害状況の航空写真がネットであるようです。
まだまだ、伝えきれないのですがこの辺で
復興には、時間がかかりそうですね。
多賀城もかなりに被災です。45号線から海側です。
病院も戦場です。
ガソリンの問題であらゆることが出来ません。
車に依存していることが分かりますね。
塩釜の情報もあまり入りません。
マリンゲート辺りは被害もひどかったと聞いています。
新聞に知人の名前がありましたか・・・
ショックですね。