酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

小学校の頃  給食その2 コッペパンとパテシエ

2007-01-29 15:07:52 | 塩竈小学校の頃の話
 給食のパンは、おいしいものではありませんでした。特にコッペパンとマーガリンの組み合わせは最悪で、その日のおかずが、ひじきであるとか、ジュリアンスープだった日には食欲がガックと落ちました。(給食のおばさんゴメンナサイ)ですが、2時間目を過ぎた頃、円満堂のトラックが体育館(当時塩竃二小には体育館がなく、講堂を使っておりました。もちろん木造です。雨漏りもします)脇に到着すると、あたりに焼きたてのパンの臭いが充満するわけです。これは、なんともいいにおいです。当時、円満堂は学校給食をはじめ、塩竃の老舗のパン屋として、市民に親しまれておりました。店頭での揚げパンはことのほかおいしかった。
 おいしいパンを作る円満堂ですが、こと学校給食のコッペパンはでかくて、しっとり感がなく、酔漢だけではなく、他の友人達も苦手な者は多かったのを覚えています。今でも(小学生の息子の話ですが)レーズンパンは人気のワーストだそうです。
 その塩竃円満堂ですが、仙台の有名洋菓子店の元祖となっていることを知っている人は少ないと思います。
 仙台の人はたいてい知っているとは思いますが、「(仙台)KENZO」がそうです。プリンはおいしいですよね。それとパティシエ得意のブッセは絶品です。そのパテシエですが、円満堂のご子息だったという事はあまり知られていないようです。酔漢は叔父が友人だったということで、オープンの頃からよく聞かされておりましたが。かなり勉強された方と聞いております。(酔漢の妹は学生の頃アルバイトをしておりました)
 青葉通りから一番町に入り国文町に行く道すがら、KENZOの茶色の建物があります。おいしそうなケーキを眺めながら、ふと給食のコッペパンを思い出してしまいます。この年になると、あのガヤガヤした教室で食べた給食のコッペパンの味に出会いたくなります。
 円満堂は今は塩竃市海岸通りにそのビルの名前が残っているだけとなりました。
 そしてKENZOは、ネット検索したところ、仙台洋菓子店人気投票で25位になっておりました。モチロン酔漢はコメントと一緒に投票いたしました。(つい先ほど)
 

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