酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

津波の記録

2012-07-30 11:14:54 | 東日本大震災
先週、帰省しておりました。
実家へ帰ってまずいたしますことは、親父殿の書斎を発掘調査することなのです。
親父殿は整理魔でしたので(この遺伝子だけは酔漢に伝わらなかった・・・・・・・とほほ・・)自分の記録はきちんと残しております。
ですが、意味の解らないのも数十点ございまして、今回は、アルバムの隅に偶然見つけた、無題の写真です。

2009年10月9日「ひーさんの散歩道 塩釜を襲った津波・・・TSUNAMI」
をまずは、ご覧ください。
「東日本大震災」以前の記事です。
ここには、昭和35年5月24日未明に発生しました「チリ地震」の記録が記載されております。
この記事に酔漢はコメントを投稿いたしております。
父から聞いた話でした。
改めてここに紹介いたします。

夜釣り直後に (酔漢です)
2009-10-12 19:01:34
その晩、夜釣をしていた父でございます。
七ヶ浜花渕で。午前一時ごろバイクで帰宅。
海の様子はこれと言って変わらなかったとのことですが、塩竈へ戻り、市場へ行こうとしたときにいつもと違う潮位を感じたそうです。釣をしたばかりなので潮見表の時刻が頭にあったそうです。
さて、会社(築港)へ戻ったとたん、津波が。
波が音もせず、流れこんできたそうです。
「だれすごかったおんなや」
今でも話す父です。夜釣りが長引けば。海岸で遭遇していたかもしれなかったのでした。


ひーさんからの返礼がこちらです。

酔漢さんへ (ひー)
2009-10-12 19:13:16
やはり父上様は経験してましたか。
花渕にいたら飲み込まれて居たかもしれませんね。
これだけは、ラッキーと言うしかありせんね。
当時の気象庁はどこまで警戒し警報を出せたのか? 私にはわかりません。


父の証言を整理致します。
これは、「ひーさんの散歩道」を拝読してから、父へ再び聴いた話です。
コメント投稿後、おそらく、下記が時系列で正しいかと思います。
一部、コメントの内容が違っておりますが、ご容赦下さい。

昭和35年5月23日。午後8時頃から、小松崎自宅から七ヶ浜(おそらく、花渕灯台周辺)に夜釣りに出掛けます。
当時の愛車、スーパーカブにまたがり七ヶ浜へ向かったと推察しております。
夜釣りで「すずき」を狙ったと聞きました。
しかし、夜半から未明にかけて、潮見表には全く記していない強烈な引き潮に出会います。
「30号の重りで投げ釣りをしていたら、仕掛けがすぐ手前まで引き返される。これは異常だった」
その異常に気付いた父は、竿を急いでたたんで、バイクを走らせ、君が岡公園まで向かいます。
公園へ向かう途中に半鐘が鳴り響き、津波襲来を感じたそうです。
父は、しばらくそこにおりましたが、七ヶ浜の家々は浸水しているものの、大きな被害はなかったそうです。
「偵橋橋」も流されず、笠神から花立を通り、小松崎までの道へ。45号線は、築港あたりまで泥水。
父は家に帰るのを諦めて、自身の会社へバイクを置きに行きます。
カメラは小松崎から持ち出したものではなく、たまたま会社へ置いていたものと推察するところです。
ですから、被害直後のこれらの写真は、築港から小松崎の家へ戻る途中で撮影したのかとこれも推察です。



上記の風景は、最近のものと全く同様です。
船舶が陸に乗り上げる。
場所的に、今の観光桟橋あたりかと思います。
遠くに小松崎の小高い丘が見られます。



これは、今の「ビッグ」の前から「東北ドック」方面を写したものです。
母はこのとき、ここが職場でしたから、(未明故母は小松崎実家におり無事。祖母、叔母とも全く無事です)父が撮影したのでしょう。



本塩釜駅、当時仙石線の踏切のあった場所道路手前。ひーさんの記事は、その部分を遠くから写しております。



同じ場所からの写真。
遠くに歩道橋が見えます。

「だれ、市場さぁ水入ってっしゃ。掻きだすのに一週間はかかったっちゃ!」
これも父の証言です。

父と「チリ地震津波」の話はしておりましたが、写真撮影は全く聞いておりませんでした。
父の愛機はアサヒペンタックスに一眼。昭和35年のモデルでしたから、手に入れた直後の写真だと思います。
それまでは、小さなカメラを持っておったと話しておりました。
35㎜レンズのものです。

塩釜市史他、報道写真を見ても、遠くの部分ほか、数十点しかチリ地震津波の写真は公開されておりません。
この写真は災害の記録としても貴重と思い、公開した次第です。
この写真は繰返しますが、母もその存在には気づかなかったようです。
先週出てまいりました。

「災害はやはり繰り返すのだろうか・・」
「津波は再び襲って来る」
人生で一度は大津波に遭遇する宿命にある東北太平洋岸。
その対策は急務であり、先々を考えた→吾々の子孫が大きな被害に遭わないためにも。対策が必要なのかと思いました。
父は写真に残し、それをやはり伝えたかったのかと。



帰り道、小松崎へは、女郎山方面から登ったと思う写真です。
北浜の丘からの撮影。
まだ屋根が多く残っております。
3.11では、この屋根全てが流されました。
ビルのない時代の塩竈です。
津波の当日午後、早くも煙突から煙が上がっております。

父が生きておったら、あの津波をどうとらえてどう行動したのか・・・。
想像するのは、やはり怖くなります。
この記録と共に、父の思いも後世に伝えることの必要を感じました。


追伸
「くだまき」は「くだまきらしく」再び語ります。
先輩からのコメントは、戻って来ると信じております。

読者皆様より、先輩へのアクセス検索が多くなっておりますが、「くだまき」でそれを語ることは致しません。
皆様が御心配なさっておられること、重々承知いたしておりますが、何卒ご理解の程、お願い申し上げます。


コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 全てはここから始まった。 | トップ | 塩竃市立第二小学校 昭和47年 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ひーさんへ (酔漢です)
2012-08-10 09:13:14
被害の様子は、やはり今回の甚大さが解ります。
ですが、やはり早期の復興を願ってやみません。

松島との被害の格差に驚きます。
震源の差なのでしょうか・・。
返信する
運命 (ひー)
2012-08-05 19:51:08
災害に遭ってしまった人、それを逃れた人、ただ運命としかいいようがありません。
九死に一生で助かった人も運の強さなのかも知れません。
当時も復興出来ました。今回も時間はかかるかも知れませんが七ヶ浜や塩竈は立派な町作りをしてくれるでしょう。
返信する
すずさんへ (酔漢です)
2012-08-03 18:27:31
やはりお父様も記録を残そうとされておられましたか。
荒浜海岸通りを車で通りまして「津波が来たら?」の質問に、父は「名取駅が水没する。だが、そこまでの津波は想像できない」と話しておりました。自身の妹の工場が被災することを考えたくなかったのかと思います。
叔母の工場は東部道路の名取駅側にありましたので、津波の被害は免れましたが。(そこから先は語ったところです)くしくも、すずさん御父上も同じようなお話しをされていらしたのですね。

過去の記録。
千年単位の記録と記憶。そして伝承こそが大事なのかと。使い古された言葉なのですが、これが肝心かと、記録を整理するたび考えてしまいます。
返信する
見張り員さんへ (酔漢です)
2012-08-03 18:21:29
今自身の見た事などやはり後世に伝えることが必要かと思っておりました。
写真の数々は私も母もその存在に気づきませんでした。
父がどんな思いでシャッターを切っていたのかとそれを推察するしかないのですが、重く受け止めました。
返信する
どうやって減災するのか? (すず)
2012-07-31 10:36:11
 うちにも何枚かチリ津波当時のモノクロ写真がありましたが、今回の津波ですべて水没してゴミ同然になりました。

当時、チリ津波で壊滅的な打撃を受けても、なおそこに多くの住人が戻って住み続け、今回の東日本大震災でそれ以上の被害と、多数の死亡者行方不明者を出した海沿いの土地が多くあります。果たして、また住民が戻り住んで元の暮らし並みになったとしても「復興」と言えるのか?個人の想いを踏まえても、それはいかがなものかと(私も被災地民ですが)思います。

かくいう我が家は、義父の「チリ津波でも大丈夫だったから!家が水に沈んだら、街全部が沈むから」という言葉を、嫁いできて20年ちょっとマルッと信じてきたんですが・・・沈みました(苦笑)

過去の災害の記録を、いかに現状を踏まえて「減災」に生かすかが、これからの課題だと思ってます。
返信する
おはようございます (見張り員)
2012-07-31 08:11:07
貴重な写真記録の数々拝見いたしました。
地球の反対側からの津波が日本に到達したチリ地震のことは小学生の時学習雑誌で読み、とても怖いと思ったのをしっかり覚えています。
ですから昨年3月11日の震災での大津波の時は総毛立ちました。

どんな災害も、それを経験した人たちの証言やこうした映像・画像記録が後々役に立ちますね。
今度の震災も、将来またどこかで起きるであろう震災に役立ててほしいと思います。
返信する

コメントを投稿

東日本大震災」カテゴリの最新記事