部下が一名。先週休みの申請をして来ました。
「酔漢マネージャー(一応・・そう呼ばれております・・・)お休み頂けないでしょうか」
「いつ?」
「来週の土日なんですけど・・」
酔漢の仕事は小売りでございますので、土日の休みは簡単には受けるわけには参りません。
その理由を聞いた酔漢でございます。
「どこに?行くの?」
「あのぉ・・・宮城県へ・・・」
彼女は、酔漢が宮城県出身ということは知らないのでした。
「何しに?」
「多分、東松島か七ヶ浜か石巻になると思うんですけど・・ボランティア・・です」
「どうしようか・・・」
そこは、仕事優先で考えてしまいます。
また、彼女へは「宮城、塩竈に実家がある」とは「言い出しにくかった」のも本音でございました。
「大変な事になっているって・・・知ってる?」
「大変な事・・・って・・」
「先週、石巻に実家のある友人から手紙が届いた。信号のついてない道路が殆ど。東松島の施設で働く友人からのメールでは、まだ瓦礫の撤去が進んでいない。七ヶ浜は・・・・五月に行ったときの写真がこれだけど」
五月に帰省した際の携帯の写真を彼女に見せました。
「津波の被害って・・こんなに凄いのですか・・でも、マネージャーどうして?」
「実家、塩竈だからな・・事情は他の奴より少しは詳しい」
彼女は僕の顔を見たまま、言葉を返そうとしませんでした。
彼女の採用は4月でしたので、酔漢の実家が塩竈にあって、親戚、知人の多くが被災したという事を知らなかったのでした。
「休みは、受理する。十分気を付けて。マスクは余分に持っていった方がいいよ。相当の悪臭のようだから」
宮城に縁も所縁もない、人が、被災地へボランティアへ向かう。これが、多くの力になっているのでしょう。
彼女の場合、観光会社主催の「被災地ボランティア一泊二日」というのに参加したようです。
「自分の目で確かめたい」それと「少しでも役に立ちたい」
そうした思いだけで、宮城に向かったのでした。
後の話ですが、「牡鹿郡鮎川町」(旧の呼び名。この方がなんだかしっくりくる、酔漢です)でボランテイアをしてきたと聞きました。
そして、今週の初め、帰ってきた彼女からの第一声は・・と申しますと。
「マネージャーあの『ごみって投げるものだったんですね』!」デス。
「・・・・・・・・・・・・・」(酔漢→呆気にとられているの図)
「最初、瓦礫撤去のときなんですよ、地元の人から『ここのゴミはそっちさ投げてケライン』って言われて、『どうしてゴミをなげなきゃいけないんだ!危ないんじゃない』って思ったんですけど」
「あのぉ。これね『ゴミを捨てる』って事を『ゴミを投げる』ってことなんだよね」
「それが解ったのは、瓦礫を片付けてから二時間も経ってからなんですヨ。通訳マニュアルがあったらって思ったくらいなんですから・・」
「でも、宮城の言葉ってよく聞けば分かるでしょ」
「そうでもないですよ。『おだず』が分かんなかった。最初はここの近くに『歌津』があったから、それと同じで地名かと思ったし、それとよく最後に『さぁ』って付きますよね」
「『さぁ』?」
「たとえばですよ。『ここに○○があるからさぁ』とか。『だからさぁ』って・・・案外『○○だっちゃ』はもっと聞けるかと思ってた・・」
神奈川生まれ育ちの彼女にとってはカルチャーショックもあったようです。
「鮎川・・・どうだった?多分沈んだ防波堤では、よく親父と釣りしたんだよね」
「満潮時になると作業が中止になるんです。相当沈んだって聞きました。大きな船とかは撤去されてましたけど、小さな船はまだ、湾の中でひっくり返って海の中でした。『クジラの博物館』って知ってます?あそこも相当の被害があったらしいです。外からしか見ませんでしたけど。ひどい状態でした。もう半年近くになるのに・・」
道路のヘドロの回収と、瓦礫の撤去をしてきたようです。
写真はその彼女から。
石巻のお菓子です。
「石巻 高砂長寿味噌」
「菓子も作ってたのすか?」
「マネージャー、今仙台弁になってますよ」
「んでねぇ。おらいのは『竈語』だっちゃ」
「『がまご』って?」
答えを言わなかった酔漢です。
不思議そうな顔してました!
石巻の老舗の味噌だったのは知っておりましたが、お菓子も作っていたのですね。
原材料名にしっかりと「仙台味噌」と表示されております。
(ここが「みそ」!なんです!)
彼女との話が終わったその日の午後。
酔漢の事業所の中にあります「インストアベーカリー」のマネージャーです。
五日間の休みを取った後でした。
「酔漢さん、久しぶり!」
「五日ぶり・・ですか・・どこかへ行ってたんですか?」
「それが・・・宮城まで・・行ってました」
「宮城!どこ?」
「南三陸町まで・・」
「ボランティア・・?」
「そう?あれそういえば酔漢さん宮城?でした?」
「そう、実家は塩竈」
「そうだった。志津川は本当に凄かった。言葉ではとても、今はだいぶ状況も良くて、話に聞いていたほど匂いもきつくなかった・・」
「大変だったんじゃないですか?」
「大きなゴミを捨てる場所がなくて、埋め立てに使おうかって話もあるらしいんだけど、捨てるとこがない」
「あの辺りは、土地が狭いから・・」
「そうそう、『ゴミ投げる』って、酔漢さんも使うの?」
「また、その話すか!(ここで急に竈語になってしまう)さっきも聞いたばりだすぺ」
「三日間、志津川、歌津と地区二つ。瓦礫片付け。それのみだった」
歌津も志津川も地区よりは町ってあった方が、やはり馴染むよなぁぁ。
同じ日の午前と午後。
部下と同僚二人から聞いた宮城の様子。
再度申し上げますが、お二人とも全く宮城とは縁のない方なのです。
その、思いはどう表現してよいやら、酔漢も整理しかねております。
「何かをしないではいられなかった」
「実際の様子を自分の目で確かめたかった」
二人が共通して発した言葉でした。
「酔漢マネージャー『おだず』って言葉の意味、まだ知らないんですけど・・」
「では問題です。1番『かっこいい』2番『暑い』3番『人名』4番『ふざける』5番『明るい』さて、どれでしょう!」
彼女の答えは「5番」でした。
「おだってんでねぇど!はやぇぐ、終わらせてけさいん!」
午後、指示を出した(出してしまった・・汗・・)酔漢でした。
「酔漢マネージャー(一応・・そう呼ばれております・・・)お休み頂けないでしょうか」
「いつ?」
「来週の土日なんですけど・・」
酔漢の仕事は小売りでございますので、土日の休みは簡単には受けるわけには参りません。
その理由を聞いた酔漢でございます。
「どこに?行くの?」
「あのぉ・・・宮城県へ・・・」
彼女は、酔漢が宮城県出身ということは知らないのでした。
「何しに?」
「多分、東松島か七ヶ浜か石巻になると思うんですけど・・ボランティア・・です」
「どうしようか・・・」
そこは、仕事優先で考えてしまいます。
また、彼女へは「宮城、塩竈に実家がある」とは「言い出しにくかった」のも本音でございました。
「大変な事になっているって・・・知ってる?」
「大変な事・・・って・・」
「先週、石巻に実家のある友人から手紙が届いた。信号のついてない道路が殆ど。東松島の施設で働く友人からのメールでは、まだ瓦礫の撤去が進んでいない。七ヶ浜は・・・・五月に行ったときの写真がこれだけど」
五月に帰省した際の携帯の写真を彼女に見せました。
「津波の被害って・・こんなに凄いのですか・・でも、マネージャーどうして?」
「実家、塩竈だからな・・事情は他の奴より少しは詳しい」
彼女は僕の顔を見たまま、言葉を返そうとしませんでした。
彼女の採用は4月でしたので、酔漢の実家が塩竈にあって、親戚、知人の多くが被災したという事を知らなかったのでした。
「休みは、受理する。十分気を付けて。マスクは余分に持っていった方がいいよ。相当の悪臭のようだから」
宮城に縁も所縁もない、人が、被災地へボランティアへ向かう。これが、多くの力になっているのでしょう。
彼女の場合、観光会社主催の「被災地ボランティア一泊二日」というのに参加したようです。
「自分の目で確かめたい」それと「少しでも役に立ちたい」
そうした思いだけで、宮城に向かったのでした。
後の話ですが、「牡鹿郡鮎川町」(旧の呼び名。この方がなんだかしっくりくる、酔漢です)でボランテイアをしてきたと聞きました。
そして、今週の初め、帰ってきた彼女からの第一声は・・と申しますと。
「マネージャーあの『ごみって投げるものだったんですね』!」デス。
「・・・・・・・・・・・・・」(酔漢→呆気にとられているの図)
「最初、瓦礫撤去のときなんですよ、地元の人から『ここのゴミはそっちさ投げてケライン』って言われて、『どうしてゴミをなげなきゃいけないんだ!危ないんじゃない』って思ったんですけど」
「あのぉ。これね『ゴミを捨てる』って事を『ゴミを投げる』ってことなんだよね」
「それが解ったのは、瓦礫を片付けてから二時間も経ってからなんですヨ。通訳マニュアルがあったらって思ったくらいなんですから・・」
「でも、宮城の言葉ってよく聞けば分かるでしょ」
「そうでもないですよ。『おだず』が分かんなかった。最初はここの近くに『歌津』があったから、それと同じで地名かと思ったし、それとよく最後に『さぁ』って付きますよね」
「『さぁ』?」
「たとえばですよ。『ここに○○があるからさぁ』とか。『だからさぁ』って・・・案外『○○だっちゃ』はもっと聞けるかと思ってた・・」
神奈川生まれ育ちの彼女にとってはカルチャーショックもあったようです。
「鮎川・・・どうだった?多分沈んだ防波堤では、よく親父と釣りしたんだよね」
「満潮時になると作業が中止になるんです。相当沈んだって聞きました。大きな船とかは撤去されてましたけど、小さな船はまだ、湾の中でひっくり返って海の中でした。『クジラの博物館』って知ってます?あそこも相当の被害があったらしいです。外からしか見ませんでしたけど。ひどい状態でした。もう半年近くになるのに・・」
道路のヘドロの回収と、瓦礫の撤去をしてきたようです。
写真はその彼女から。
石巻のお菓子です。
「石巻 高砂長寿味噌」
「菓子も作ってたのすか?」
「マネージャー、今仙台弁になってますよ」
「んでねぇ。おらいのは『竈語』だっちゃ」
「『がまご』って?」
答えを言わなかった酔漢です。
不思議そうな顔してました!
石巻の老舗の味噌だったのは知っておりましたが、お菓子も作っていたのですね。
原材料名にしっかりと「仙台味噌」と表示されております。
(ここが「みそ」!なんです!)
彼女との話が終わったその日の午後。
酔漢の事業所の中にあります「インストアベーカリー」のマネージャーです。
五日間の休みを取った後でした。
「酔漢さん、久しぶり!」
「五日ぶり・・ですか・・どこかへ行ってたんですか?」
「それが・・・宮城まで・・行ってました」
「宮城!どこ?」
「南三陸町まで・・」
「ボランティア・・?」
「そう?あれそういえば酔漢さん宮城?でした?」
「そう、実家は塩竈」
「そうだった。志津川は本当に凄かった。言葉ではとても、今はだいぶ状況も良くて、話に聞いていたほど匂いもきつくなかった・・」
「大変だったんじゃないですか?」
「大きなゴミを捨てる場所がなくて、埋め立てに使おうかって話もあるらしいんだけど、捨てるとこがない」
「あの辺りは、土地が狭いから・・」
「そうそう、『ゴミ投げる』って、酔漢さんも使うの?」
「また、その話すか!(ここで急に竈語になってしまう)さっきも聞いたばりだすぺ」
「三日間、志津川、歌津と地区二つ。瓦礫片付け。それのみだった」
歌津も志津川も地区よりは町ってあった方が、やはり馴染むよなぁぁ。
同じ日の午前と午後。
部下と同僚二人から聞いた宮城の様子。
再度申し上げますが、お二人とも全く宮城とは縁のない方なのです。
その、思いはどう表現してよいやら、酔漢も整理しかねております。
「何かをしないではいられなかった」
「実際の様子を自分の目で確かめたかった」
二人が共通して発した言葉でした。
「酔漢マネージャー『おだず』って言葉の意味、まだ知らないんですけど・・」
「では問題です。1番『かっこいい』2番『暑い』3番『人名』4番『ふざける』5番『明るい』さて、どれでしょう!」
彼女の答えは「5番」でした。
「おだってんでねぇど!はやぇぐ、終わらせてけさいん!」
午後、指示を出した(出してしまった・・汗・・)酔漢でした。
>高砂長寿味噌
お味噌やお醤油は勿論ですが、味噌漬けとかねぇ、味噌パンもあるんですよ~♪
>ゴミは「投げる」もの!
日本のどのへんまで「投げる」が通じるんでしょうね?福島あたりまでかしら。
NHKニュースで被災地の映像がでたとき、「ゴミを投げる」と話していた地元(女川だったと思う)の人に字幕テロップが出てました。
投げる=捨てる
という事でした。
演劇部の後輩(神奈川出身)は本当に二階の窓からゴミを投げておりました。
すずさん!これ本当のお話なんですよ。
福島県でもゴミは"投げて"おります。
私達の世代になりますと、テレビっ子世代でもありますので、分かってても使わない人は多いですが…。
宮城の方言は、よく聞いていれば、割と分かりやすいです。
同じ言葉が通じた時は、何だか無性に嬉しかったものです。
『うるかす』が女子高生に通じなかった時は大変ガッカリいたしましたが、単に彼女が知らないだけと後に判明して安心しました。
『おだず』って、ごくたまーに聞いた時ある程度なんですが、ずっと意味が分からなくて、結局意味を知ったのは離仙してからでした。
うまく説明できないのですが、私の耳には『おだづ』と聞こえていました。
何しろ、『ずんだ』も『づんだ』と聞こえている人間なもので。
『~だっちゃ』って、若い世代ほど使わなかったように思います。私も女性はほとんどパートのおばさん達で、あとは男性陣から聞いていたと記憶しています。
私が不思議だったのは、『~なのよわ』と『~しなきゃない』ですね。この言い方だけで、まず宮城の人だって分かります。実際、見抜いてしまいましたから(笑)
使用頻度が高い人達の中にいたせいか、私も気づいたら時々使っています。
行く先々の訛りが移るようで、彼氏(←須賀川出身)には、
「あんたは既に純粋な郡山弁じゃないから」
と断じられてしまいました…。
失礼な、上州弁は断じて移ってない(-_-;)
>『~なのよわ』と『~しなきゃない』ですね
『~だっちゃ』よりも、同意の返事に使う『んだ』の方が、まだ若い者には使われているみたいです。でも『~なのよわ』は、ちょっと使い方が浮かびませんでした。どんな風に使うんでしょうか?
それと『~しなきゃない』って方言だったんですか!
例えば「明日までに、この書類を仕上げなきゃない」は、「明日までに、この書類を仕上げないとならない」って言わないと伝わらないって事ですよね?うわ~ん、ショック。
そーですそーです。
「明日までにこの書類を仕上げなければならない」
が共通語で、うちの方言だと、
「~仕上げなんねぇ」
「~仕上げねぇどなんねぇんだ」
といったところです。
えーと、
「今日も暑いよわ~」
「○○しといてわ」
「休みは帰んのわ?」
こんな使い方だったと思いますが、よく聞かれませんか?
そういえば、『いきなり』も方言ですよね。
例えば、猛暑日がずーっと続いているような時に、
「今日もいきなし(いきなり)暑い」
って言われたら、ちょっと戸惑います。だって、ずっと暑かったのに…って。
共通語では、『いきなり』って、『急に、突然』っていう意味しかないので。
方言って面白いなぁ、と思う一例ですね(^^)
宮城語と福島語のご解説、お見事!
おもせがったぁぁ・・デス。
以前、宮城語の分類で「仙語」「竈語」「浜語」「巻語」などなど・・・。
その違いを語った事がございます。
ところで「ジャス」ってどこまで通用するのでしょうか?
長町のモールに神奈川から転勤し、売り場の責任者となっております某君からメール。
「酔漢さん、娘の転校案内に『ジャス』ってあったんですけど。これ何のことですか?」
うーーん、返答に困りました。
また、いずれ「特集」にしましょう!
"ジャス"はちゃんと今でも使われている生きた方言だったんですね。あまり周りの仙台市民(もしくは宮城県民)からは聞いた覚えがなくて…。
酔漢さんの方言特集、楽しみにお待ちしておりますm(__)m
「ジャス」は最近言わなくなりましたねぇ(苦笑)たぶん、TVで宮城(というより仙台?)の特殊な言い方として広まったから、標準語じゃないんだ!と恥ずかしくなって、使わなくなったんでしょう。
「ジャス=ジャージ」という認識は、いまの40代以上の人には、ばっちりあると思います。だからその年代の学校の先生たちは、うっかり使っちゃうんだろうなぁ(笑)
酔漢さんの仰有るとおり「ふざける」「調子に乗る」の意味ですね。
某地方紙は「方言の泉」なるコーナーに
「おだてる」の自動詞形という解説が載っておりました。
私の日本語も訛っております。
私にとって第一外国語は仙台弁。
第二外国語は標準語。
英語は第三外国語で、
ドイツ語に至っては第四外国語です。
ひょっとしたら私って、ポリグロット?
クリスさんの言われるとおり、さすがに私も「べっちゃ」「だっちゃ」は出てきません。
でも「んだ」はよく出てきますね。
あと「~だでば」も。
それから、ビックリした時の
「あららら‥‥‥」(抑揚が再現できないのが残念です)
「おどげでねぐ疲れた」「眠くてわがんね」
頭で物が考えられなくなると、やはり出てくるようです。
小さかった頃、周りの年寄りが「おばんです」「お明日」と言っていたのを懐かしく思い出します。
テレビの娯楽番組で頻々と耳にする吉本弁の悪影響でしょうか。
「おばんです」というと「婆さんです」という自己紹介に聞えてしまうらしく、
慨嘆に堪えません。
このブログの常連コメンテーターの皆さんなら説かずもがなですが、
あれはもちろんのこと「お晩です」に他ありません。
仙台弁というと、「べっちゃ」「だっちゃ」とよく言われます。
しかしあれは「浜」の言葉であり「在」の言葉だという話です。
「~でござりす」「~なりすた」‥‥‥御城下の言葉には、それなりに品があります。
強力なものになると、「~でござりすでござりす」というのがあります。
研究室の後輩に仙台出身の男がおります。
彼氏が酒に酔うと、口調が「~でございます」になったのを覚えています。
ある時、はたと思い当りましたね。
あれは「~でござりす」の標準語バージョンだ、って。
現在は見事に訛っている我が日本語ですが‥‥‥
両親は非常に屈折しておりました。
二人とも宮城の出身で、仙台弁丸出しで喋っているくせに、
息子が真似をすると、「汚い言葉を使うんじゃない!」
親父の仕事の関係で四つまで札幌。
塩竈に帰ってきて幼稚園に入りました。
幼稚園で標準語を話すと「生意気だ」といじめられ、
幼稚園で覚えた言葉を家でうっかり口にしようものなら、
「そんな言葉をどこで覚えてきたか」と怒られ‥‥‥
正にイデンティテーツクリーゼ、自己同一性の危機でしたよ。
当時はそんな便利な言葉は知るはずもなかったですから、
なおのこと何が何だか分らなくなってしまいました。
まあ出る所に出てそれなりの日本語で喋れるようになった、
という点では両親に感謝していますけどね。
しかし発音は矯正できても、抑揚は残ります。
こんなことがありました。
もう十何年も昔、二度目にドイツに行った時の話です。
ウィーンのユースホステルで、日本人の女子大生と出会いました。
こちらもあちらさんも一人旅。
聞けばハンガリーを歩き回り、日本人に出会ったのは二週間ぶりだとか。
こちらが
「日本人でしょ。いやー、なつかしいねぇ」と言った途端、
件の女子大生の曰く、「あなた、東北の方ですね」。
「どうして分ったの?」
「そのイントネーションを聞けばわかります」。
上京した時に定宿にしている大塚駅前のビジネスホテルのすぐ近くに沖縄そばの店があります。
『ちゅらさん』の「おばあ」をもう少し丸顔にしたようなお母さんがやっている店です。
このお母さんが「宮古」の出身。
宮古「島」でなくて「岩手県の」宮古なのです。
このお母さんの顔を拝みたくて、このビジネスホテルを定宿にしたようなものですが。
ある時、お母さんに言われました。
「先生の仙台弁は、根っからの仙台弁じゃないでしょ」。
そうです。私の仙台弁は、仙台弁でなくて塩竈弁です。
屁理屈はやめましょう。
私の塩竈弁は、純粋な塩竈弁ではありません。
言ってみれば、「帰化型塩竈弁」なのかもしれません。
父方の大伯母(祖父の姉)は岩手の渋民に嫁ぎました。
私たちが聞くと盛岡弁にしか聞えないのですが、
嫁ぎ先の人たちに言わせると、「あれは純粋な盛岡弁ではない」。
やはり聞く人が聞くと分るものなんですね。
仙台弁といえば、こんなことがもありました。
悟空ラーメン(酔漢さん、懐かしいでしょ)の常連に画家の先生がいました。
昭和元年石名坂生れ、生粋の仙台っ子です。
ある時、先生が言いました。
「んでも、丹治さんなんかは純粋な仙台弁は喋れねべおんね」。
ははーん、って思いましたね。
相手の思い通りの反応なんかしてやるもんですか。
で、わざと「標準語」で言ってやりましたよ。
「私ごとき浜の者に、御城下の上品なことばなどとてもとても」。
先生、苦笑してました。
酔漢さん、「ジャス」は私も「ジャス」だと思ってましたよ。
だって学校から渡されるプリントにはっきり書いてありましたから。
「ジャス着用のこと」って。
あれは高校三年の夏休み明け。
インターハイに行った同じクラスのサッカー部の男が、深刻な顔をして言うのです。
「おめ、ジャスって方言だって知ってたが?」
彼氏も宮城の外に出るまでは「ジャス」が方言だとは知らなかったのです。
でも「ジャス」はやっぱり「ジャス」。
「ジャージ」じゃないですよね。
「ジャージ」などと聞いた日には、言ってしまいそうです。
「おだづなっ、この!」って。
話が長くなってしまいました。申し訳ありません。
確かに私の日本語は訛っています。
しかも困ったことに純粋種ではなくて帰化型です。
でもそれを恥だとは思いません。
むしろ我が誇りです。
何となれば、方言は「その土地に根づいている」あるいは「根づくことができた」
何よりの証ですから。
「それじゃ初雪だっぺ」。
「おう俊介、おめぇ、今、訛ってたっちゃ」。
申し訳ございませんでした。
大学のオリエンテーション時。
「ジャス販売⇒」なる掲示板。
横浜育ちのせっちゃんは、「ジャスって何?ひつような物?」と聞いておりました。
これ、今でも話題に上ります。
ジャスが宮城語なんて・・・