酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

体育の日ですから・・・サイスポバックナンバー

2011-10-10 10:11:58 | 自転車の話
蔵王の紅葉の便りが届きました。
「おんせんたまご」様のブログからでございます。
31年前の今日、酔漢は、友人と連れ立って自転車で「笹谷峠」を越えました。
以前、「くだまき」にもいたしたところです。

9月に実家へ帰省して、自分の部屋(だったところ)をがさ入れしておりました。
「何でこげなもんあんだべ!」といったものがごろごろ出てまいりました。
普通ですと、「酔漢さんって物持ちがいいんですね」と思われそうですが、実はそうではなくて、かなりの無精者ですから、整理できずにいるだけなのです。
「捨てるのが下手!」(ここでは決して『しもて』とか『したて』とか読まないでくださいネ→い・ま・せ・ん!)なだけでございます。
その残っておりました物の一つがこの写真です。

サイクルスポーツ 1975・6年 バックナンバー 表紙と裏表紙。

今の自転車事情とはかなり違うことがお分かりだと思います。
「自転車乗り」=「旅人」
決して、「スポーツ」であるとか「健康増進」とか「ファッション」とかは無縁の物。
上段真ん中はロードバイクですが、トレーニング中の「中野さん」でいらっしゃいます。わかいなぁぁ!
ロードレーサーに跨る人は純然に「競技人」。
一般の人が簡単に走らせる。なんて、中々なかった。
話は少しそれますが、理由がありまして、当時のレーサーの用のタイヤの主流が「チューブラー」
パンクしますと、リムからタイヤをはがして(リムセメントでついてます)その中にあるチューブを引き出して、穴を塞いで、また外側のタイヤにはめ、針と糸で縫っていく。
これはめんどうです。
今のロードバイクタイヤはWOと言いまして、これは一般のタイヤと同じ構造です。
因みに、年下君の愛車は「700x28C」。この規格が我が国で認可されましたのは、1977年ですから、この写真のころより少し後となります。

でかいバックを自転車にありったけつけて、おまけにテントまでつんで長距離を移動。
この姿は最近ではあまり見かけなくなりました。
撮影されたとはいえ、あながち、大げさなロケーションではないのです。
ですから、各自転車メーカーはキャンピングであるとか、輪行仕様であるとかこぞって新車を開発、販売していた時代でした。


三台の自転車広告です。
一番上が「ブリヂストン・ダイヤモンドランドナー」
このパールホワイトのカラーがまたいいんです。
細かい仕様は、写真からじゃ分かりませんが、タイヤが1・1/2と言って太いもの。
砂利道まだ多かった時代。
未舗装を走る際には必要だったのでした。
輪行は酔漢もそうして旅をしてました。
自転車を駅でばらして、袋にいれてそれを担いで電車へ。
これを繰り返すわけです。
当時は国鉄の時代でした。「手回り品切符」を買うのに「日本サイクリング協会・会員証」を提示しなくてはなりませんでした。
あんがい面倒でした。

二番目が「ブリヂストン・ユーラシアロード」
ロードレーサーが市販されてはおりましたが、まだまだ主流ではありませんでした。
先にも、話しましたが、タイヤのメンテナンスが面倒だったのです。
ですが、酔漢自身も「タイヤが簡単に修理できれば、ロードの方がいいんでねぇべか」とは思っておりました。
長距離を走ってますと、どうしても、旅先で「パンクしたら」と考えてしまいます。
ロードに乗りますとタイヤも細く、パンク修理の頻度も高くなります。こうしたリスクを先に思うのでした。
この「ユーラシア」シリーズは、輪行仕様のランドナーと1.4/1タイヤのスポルティーフ、そして写真のロードと三種の構成。
一ランク上の「ダイヤモンド」は憧れではありますが、「ユーラシア」は手が届きそうな価格でした。
バランスは良かったし、ラグとかも丁寧に作られておりました。

三番目は「丸石エンペラーキャンピング」片倉シルクキャンピングは名車。しかし、丸石も「いい自転車つくってるよなぁ」と思います。
片倉の「赤」よりは「ボルドー」に近い丸石の赤。
「これがあれば、日本一周もできるよなぁ」とため息です。

最初の写真下段真ん中。
「シマノ600初期型」の写真。
「親父、質感あるゾ!」と、年下が覗き込んで話しております。
「俺の2300(トレック搭載)よりいいなぁ」
「シマノが横置きにこだわって、カンパの縦置きに対抗していた時代。カンパが横置きディレイラーを造るなんて想像できなかった」
「世界のシマノになっているんだよな・・」
三十年の歳月を思います。

写真を眺めておりまして、今は無き部品も数多く見られます。
「吉貝」「石渡」などなど・・・・。
懐かしさが込み上げてまいります。

今日連休最終日。
江の島へ向かう道路は今時のロードバイクが数多く走って行きます。
ですが、僕らの頃は常識だった「すれ違いの合図」は今は見かけることがなくなりました。
「無事で」の気持ちを込めた対向車との挨拶。
「サイクリストの誇り」でもあった訳です。
いつからなくなったのだろう・・・。
考えれば、「僕らの感覚」って「登山者」に近かったのかもしれません。

自転車も時代と共に変わってきた。
そう、思いながら、サイスポを眺めておりました。




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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なべ様へ (酔漢です)
2011-11-15 07:28:52
ケルビム!あこがれたなぁ。
75年ですから、写真のサイスポはやはり読まれておいででした?それとも、なべ様は「ニューサイ」だったでしょうか。
ニシキのロード。まだ健在!拝見したいです。
パンクして、タイヤを交換するのは当然ですが、チューブラーのメンテ(お針子さん)は何時やってました?帰ってからですか?
友人は、宿泊先では必ず夜なべ仕事としてました。(針と糸をもって・・もくもくと・・)
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Unknown (なべさん)
2011-11-12 15:35:39
75年というと・・・ 自転車を初めてオーダーした年です。ケルビムのランドナーでした。
北海道で車に追突して(80年)トップチューブを変形させてしまいましたが(T_T)
あとは78年にニシキのロード、旅行用で使ってました(輪行)まだ使ってます。
予備のチューブラーは1,2日なら1本、2泊以上なら2本をサドルバックに入れて走ってました。
足が筋肉痛になることのなかったあの頃ですが、いまは峠を行くと足がつって翌日は筋肉痛になるようになってしまった(T_T)
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野津様へ (酔漢です)
2011-11-08 18:56:27
HP移動のご案内、ありがとうございました。
出来上がる日を楽しみにしております。
セミドロップは、あれはあれで歴史だと思うのですが、乗りにくくなかったですか?
ユーラシアランドナーのハンドルは「日東グランランドナーB」というタイプでした。
カーブの均一性、耐久性、軽量化された素晴らしい形でした。
自身の高校には、ほとんど校則がなかったので、学校から管理されている思いがないのでした。校則は生徒会で作るものだったのです。
私服、共学、頭髪規定なし。僕も、愛車でそのまま23Kmの道を自転車で通ったことがありました。自作のランドナーでした。
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Unknown (野津)
2011-11-07 20:35:24
酔漢様へ

当時、友達の間で人気のあった自転車です。校則でドロップハンドルは禁止だったのでセミドロップ?に替えた記憶が・・・高かったのは覚えてますが、そんないいものとは知らなかったですね。さすがに現存はしてないです。
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野津様へ (酔漢です)
2011-11-04 10:32:18
自転車の話題で繋がるとは・・・。
赤のユーラシア。
いいですねぇ。
部品は二番手を使いながら、完成度は一流の市販車でした。
ブリヂストンならでは。でした。
これで通学。
流石です。
現存してますか?
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赤のユーラシア! (野津)
2011-11-02 15:30:14
懐かしい!高校の時これで通学してました。
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クリス様へ (酔漢です)
2011-10-12 08:02:24
峠を自転車で越える時って、以外に足は痛くならない(これは、僕の経験)のです。ですが、背中が攣ってきます。スポーツ自転車のハンドル(ドロップ)は上半身の力を下半身に効率よく伝えます。坂道は引手と引き足が決めて。
これは、普通の自転車にはできなくて、ペダルにもクリップがついてませんと無理なんです。
「ママチャリ」は、走らない。止まらない。曲がらない。ので怖いです。楽ちんなんですが。

一日往復15km。
かなり走ってますね。
これを機に、ロードバイクなどは。
この軽さをお知りになられましたら、感動すると思います。

自転車走らせるのには、一番いい季節になったなぁ。と、仕事に行きます。


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本当の体育の日 (クリス)
2011-10-11 13:27:49
今でも、体育の日=10月10日と思ってしまいます。
大学時代は、ハッピーマンデーとやらで割を食う月曜日の振替講義があったものです…。

えー、記事中のサイクル誌の刊行当時、影も形もどころか、両親も結婚しておりませんでした(←80年生まれ)
自転車を通勤のアシとしておりますが、真っ当な自転車乗りではなく、チャリンコ乗りと呼ぶ方が正しいような、自転車のメンテは他人任せの私が割り込めるような話題ではないのですが、ふと思い出したことがありまして…。

つい最近まで働いていた職場(←派遣技術者なのです)は、殊に子持ちの人が多く、大抵は私より一回り近く上の方々だったので、大きいお子さんが結構いらっしゃいまして。
その中に、もうすぐ中学生になるくらいのお子さんがいる方の話です。

「中学生になると、みんな一律ママチャリ(←学校指定の模様)になるから、もう今から周りはママチャリなんだけど、うちの息子は昔買ってあげた一文字ハンドルのやつをまだ乗り回しているんだよねぇ…」
「私もそのタイプの自転車ですよ。ママチャリだと、不安定だし、立ち漕ぎも出来ないし…」

小学生当時の私の周りでは、如何に早く一文字ハンドルの自転車を買って貰うかが、ちょっとしたステータスでした。

「でもさ、あれって、こう、漕ぐ時に前屈みになるでしょ?一人だけ姿勢悪いみたいだし、見ててカッコ悪いなって思っちゃうのよね。スピードも出なそうだし…」
自転車の知識乏しいワタクシですら目を剥きました。
「逆です、逆!むしろ、前傾姿勢が一番スピード出ますから!」
その場に居合わせたもう一人も、
「私もママチャリだと走りづらいですよ。やっぱり一文字になってる方が安定してて良いです。
それに、競輪選手とかは、みんなそんな体勢じゃないですか」
という援護射撃をくれました。
「ラクダの背中が理想らしいですよ。ママチャリって、むしろ公道(←正確には歩道ですね)を走るために、"スピードを出しづらい"設計なんです。上体起きてるし、不安定で丈夫じゃないし…」
と力説しまくった私でした。


そんな私の愛車と呼ぶもおこがましい愛チャリは、カイ○ズホームのPB商品のシティサイクル(外装ギア6段タイプ)、気軽な街乗りとしては、ちょいとばかしスポーティなタイプです。
購入店に頻繁にメンテして貰いに行くのですが、毎度一日に往復15kmくらい走る、と申告すると、軽く驚かれます。先だって、ギアの調子が悪くて持ち込んだ時にも、
「あー、だから買って一年くらいでこんなに後輪が擦り減ってるのね…」
と呆れ返られる始末。
ちなみに、ギアは6速が最も消耗しており、続いて漕ぎ出しの1速が、3速と4速は同程度、2速と5速はほとんど使っていないことを指摘されました。見て分かる程に使い込んでたようです…。
私は、毎日の通勤で、こういった自転車の耐用想定の、3倍の早さで消耗しているらしいです(決して赤くはないのですが…)
自転車といふものは、往復数km程度で、数年での買い替えを想定しているとのことでした。
確かに、北関東に出て来て4年弱、今の自転車は2台(代?)目です…。


これに買い替えるまで、内装ギアの自転車しか乗っていなかった私は、購入後わずか10分でチェーンを外しました…orz
内装ギアの時によくやっていた、"止まって、ギアチェンジして、一旦後ろ漕ぎしとく"という癖が、丸っきり仇になったのでした…。

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もり様へ (酔漢です)
2011-10-11 10:03:59
丸石エンペラーは名車です!
シルク(片倉)。ダイヤモンド(ブリヂストン)。ベニー(山口)。メルクス(宮田)。アルピナ(岡本)etc・・・・。
当時の名前を思い出します。
この年(75年)ナショナルが初めて「デモンタブル」を発売。フレーム分断を量販車として初めて販売しました。「ルネ・ルス」の手作りだけの物でしたが、車のトランクに自転車のコンセプトは新しかったのですが、輪行主流の日本には、定着しなかったですね。ですが、あのコンセプトは残ってもよかったかも。今折りたたみが、そぞろに売れておりますものね。
パールレッド。パール塗装はきれいだったなぁ。日にあたるとキラキラするんですよね。
僕はてっきりボルドーかと思ってました。
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ぐずら様へ (酔漢です)
2011-10-11 09:27:50
「山口屋」にはほぼ毎日通ってました。
ネットがない時代。ツール・ド・フランスの速報をFAXで見せてくれる唯一の店でした。
オーダーは構想と図面を作りました。
トーエイのランドヌース。フランスのイメージで作りたかったのでした。
ディライラーは「ユーレードッパー」
頭の中だけで終わりました。
「サイクル野郎」見ました。確か「キング」だったかと(記憶違いかも)最初、フラッシャー付の自転車で旅に出ようとする主人公です。最初(初日)の峠で断念。本当に「旅の出来る自転車」を誂えて再び挑戦。日本一周の旅へ。
「自転車は自分にあってこその自転車。形だけではダメだ」親父さんの台詞は本当にそう思いました。
実際に長距離を走りますと、あのマンガ以上の経験をするわけでした。

トンネルの中で長距離トラックが猛スピードですぐ脇を通過。直後、身体が自転車事空中に浮いて、ペダルが空回り。3m近く前方に移動。(空中走法?)死ぬかと思った・・・。
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ひー様へ (酔漢です)
2011-10-11 09:10:39
やらかした事は何度も。
ですが、母が、マジックテープでズボンの裾を止めるバンドを作ってくれました。
今は市販されてますが、当時もあったのかなぁ。デカイカバンを4つ。
リアサイドバッグ。フロントサイドバッグと呼んでました。
ハンドルを切るとき重くなるので、フロントにはつけることが少なかったです。
普通のフロントバッグ(ハンドルにつける物)だけにしてました。
キャンピングは体力勝負の自転車でした。
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憶えてるよ~♪ (ぐずら)
2011-10-10 23:31:39
一大サイクリングブームだった70年代半ばごろ友人達の何人かも自転車にはまりにはまって、
立町の山口屋に通ってオーダーチャリ作ってたなぁ~
オイラにとってこの時期は自転車氷河期のノーチャリ時代だったけどね・・・
そういえば、今思い出したんだけど庄司としおのサイクル野郎ってマンガあったよね
サイクリストのバイブルとか云われてなかったっけ?
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Unknown (もり)
2011-10-10 19:21:49
懐かしいですね!

三番目の丸石エンペラーキャンピングを
持っています。
色はパールレッドのような感じです。
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あったあった (ひー)
2011-10-10 14:40:25
あのサイドバック・・・
つけている人居ましたね。

カタログの自転車も懐かしい感じです。

同じようでも今のはスリムでカッコイイですからね。
水筒や空気ポンプが付いていましたね。

よくジーパンの裾をチェーンに絡ませていました。
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