酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

ジャスコな話3 小学校の頃 再び(それと付録)

2007-07-28 08:49:09 | 塩竈小学校の頃の話
「子供だけで行ったらだめだかんな。必ず大人と一緒でねくてだめだかんな」
ジャスコオープン前日は、町全体が賑わったような感じでした。酔漢自身は、あまり興味がありませんでしたし、親も開店だからと言って、わざわざ出かけるといった風ではありませんでした。
オープン当日は、ジャスコ屋上にアドバルーン(なつかしいなぁ)が上がり、花火の音と共にオープンしたのでした。
当時、塩竈市内には、松屋(食品スーパー)があったほか、45号線沿いにはトーコーがあっただけでした。ジャスコの出店は、大手というだけあって、かなり騒がれての出店です。
「おめぇジャスコで何買ったのっしゃ?」
「おれ、あたらしいジャスばぁ買ったっちゃ」
(洒落のようで、ほんとの話。やっぱアディダスだっちゃ!)
推察の粋を出ませんが、年商60億位あったのかな?と思います。実際、週末はかなり混んでおりましたし、駅や港に近いといった立地も後押ししておりました。
遠足の前日ともなりますと、必ず誰かと店内で会うのでした。
「あたらしいプリッツだべ。ここにしかねぇおんな」
「んだ、だってコマーシャルよりはぇぇんでねぇかや」
お菓子の新製品の導入は、やはり早いのでした。カールおじさんとかよく来てたしね。ぼくらは結構ジャスコを使っておりました。

ここ20年くらいの間に、塩竈周辺には大きなGMS型店舗がオープンしました。
多賀城、利府のイオン。少し遠いけれど長町モール西友、で、今年の名取SCなど
塩竈より車で20分圏内で、余裕で大型店で買い物ができる環境になりました。
売上高もどうでしょうか年商40億位かな。(もう少しあるかな)

今年3月、ジャスコ塩釜店は閉鎖し、解体され本当にその役割を終えました。閉鎖時点で、ジャスコで一番古い店舗だったと記憶しています。で、同時に駅反対側にイオン系のマックスバリューがオープンしました。

商店街には空き地が増え、港に停泊している船の数は数えられる。帰塩し、街中を歩くと、気のせいか老人が多いように思える。塩竈市内は、商業施設が衰退している街となりました。あの事故以来、ジャスコを好きになれない酔漢ですが、なくなるのは少しだけさびしいような気もするのでした。

で、話しは変わります。まったくこのお話とは関係のないことですが。
昨日、夏高宮城大会の準決勝が行なわれました。
結果はみなさんご存知の事と存じますが。利府高野球部監督は小原君だったのですね。酔漢と高校時代の同窓でした。でそのことを宮城県高校野球連盟副会長からのお知らせで知りました。副会長はやまさんでした。(「ヤクルトスワローズの話その2」をお読み下さい)小原君にも甲子園に行ってもらいたかった。
で、決勝です。
仙台商業が久しぶりに決勝進出です。さぁここまで来たら、仙台商業に甲子園に行ってもらいましょう!
     仙商 仙商 仙商  打撃のナイン

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