ある意味、一番安心していた男であった。
釜石南のボクシング部副将。愛車は「カワサキZⅡ」皮ジャンが似合い。バーボンを愛する男である。
釣りが趣味。自身も漁師である。
「くだまき」では「バーボンの話」で登場した男である。
「とんだ?七面鳥」ここで紹介した男である。
「しんぺい」君。彼。
秋田沖地震の時、僕らは東北福祉大学の学生食堂にいた。
震度4の揺れを感じた僕らは、長い横揺れにおびえた。
彼は冷静だった。しっかり食べかけのラーメンを抑えていた。
「お前ら、何慌ててるんだ?回りや天井見なきゃ状況が分からんぞ!」
そう言いながら、おもむろにテレビをつけた。
「震源は秋田県沖。津波警報発令」
彼は真剣にテレビを見ていた。
「長い横揺れだったから、海底での地震。震源は浅い。こりゃ、でかい津波がくる」
彼の最初の一言であった。
「津波?でかい?なんで解るんだ?」
「あたりめぇだ!横揺れっちゅうことは、海底で断層が崩れた証拠だ。津波が大きいに決ってる」
「おめぇ詳しいな」と同じ席にいた「まるた」氏がそうつっこんだ。
「あぁ地元にいれば、そうなる。釜石だかんな。津波の恐ろしさは身に沁みて、教えられるし、俺の爺さんは三陸津波もチリ地震津波も経験してる」
はたして、この地震による津波の被害はここで言うまでもない。
悲劇的な結果に終わっている。
秋田は津波の経験が少なかった。
当時、秋田周辺の日本海側では「地震」→「がけ崩れ」→「海側へ避難」。
これがセオリーだったと聞いた。
遠足に出かけていた幼児の悲劇は記憶に新しい。
秋田出身の同級生がいた。
彼は「津波が来るなんて」と話した。
「何言ってる!『地震』=『津波』って考えるべきなんだ」
彼は力説した。
やはり、暫く、その話題になった僕らの呑み会。
再び彼の話。
「津波の直前には必ず、引き潮が起きる。この引き潮の早さで津波の大きさが解る。早ければ早い程、大きいと考えていい。そして、『どこまで引くか』が問題だ。引いた海の質量の分だけ津波のエネルギーが計れる。引きが速いっちゅうことは、押し寄せるスピードも速い。そして、一番注意することは、水平線だ」
「水平線?なんでだ?」
「これはじいちゃんが言ってた。『大きい津波の時は水平線から煙が上がる』」
「火事じゃないんだろ?」
「5m以上の津波は白波を立ててやってくる。これは水平線から見える。白波が煙のように見えるらしい。俺もこれはみたことがねぇ。じいちゃんは二度みたらしい」
「釜石って、防潮堤が高いんだよね」
「あんなもん役にたつかぁ?まぁ釜石の防潮堤が壊れることはないとは思うが、あれを越える津波はあると思っている。というか。防潮堤を越えるって思ってた方が、助かるちゅうもんだ」
僕らは関心して聞いていた。
一番印象に残った彼の台詞。
「水平線から煙が上がる」
塩竈にいても聞いたことのない言葉であった。
大学を卒業し、実家「釜石市唐丹町小白浜」に住んでいる。
山火事、最近発生したチリ地震津波の時にも無事の知らせがあった。
今回はまだない。
「津波対策、震災前の画像と標識」
「ひーさんの散歩道」では、岩手県田老の様子が紹介されている。
ご覧のように、津波に対してはほゞ「万全」とも言える対策を立てている。
過去の経験測から生まれた防災対策である。
「これおも凌ぐ脅威は考えられなかった」
結果であった。
悔しい思いがよぎる。
助かった人は、より高台へと避難したに違いない。だが、逃げている途中。「ここまでくるのか」という疑問を持った方は少なくないだろう。
新地で被災した丹治さんは避難の途中こう聞いたという。
「過去、常磐線を越える津波の来襲はなかった」
果たして、津波は常磐線をはるかに超え、新地駅を残骸に変えた。
人類の英知を越えた自然の驚異とはかくものなのか。
釜石市唐丹の情報は少ない。
この二週間以上たった今日。「これは無事の証拠」と思っていた。
だが、その地域の写真を見つけた。
「岩手県釜石市唐丹町の状況について教えて!」唐丹町を案ずる方への答えとしての掲載。
三枚程ある写真。
彼の家が少しばかり高台とはいえ、津波が奥まで入り込んでいる様子が解る。
そして、酔漢が最も心配しているのは、「彼が当日、漁に出ていたのか」。
釜石市の郵便配達が再開されたと昨日の報道。
電話が繋がらず、葉書を出した。
考えられる全ての連絡先を記載した。
釜石南のボクシング部副将。愛車は「カワサキZⅡ」皮ジャンが似合い。バーボンを愛する男である。
釣りが趣味。自身も漁師である。
「くだまき」では「バーボンの話」で登場した男である。
「とんだ?七面鳥」ここで紹介した男である。
「しんぺい」君。彼。
秋田沖地震の時、僕らは東北福祉大学の学生食堂にいた。
震度4の揺れを感じた僕らは、長い横揺れにおびえた。
彼は冷静だった。しっかり食べかけのラーメンを抑えていた。
「お前ら、何慌ててるんだ?回りや天井見なきゃ状況が分からんぞ!」
そう言いながら、おもむろにテレビをつけた。
「震源は秋田県沖。津波警報発令」
彼は真剣にテレビを見ていた。
「長い横揺れだったから、海底での地震。震源は浅い。こりゃ、でかい津波がくる」
彼の最初の一言であった。
「津波?でかい?なんで解るんだ?」
「あたりめぇだ!横揺れっちゅうことは、海底で断層が崩れた証拠だ。津波が大きいに決ってる」
「おめぇ詳しいな」と同じ席にいた「まるた」氏がそうつっこんだ。
「あぁ地元にいれば、そうなる。釜石だかんな。津波の恐ろしさは身に沁みて、教えられるし、俺の爺さんは三陸津波もチリ地震津波も経験してる」
はたして、この地震による津波の被害はここで言うまでもない。
悲劇的な結果に終わっている。
秋田は津波の経験が少なかった。
当時、秋田周辺の日本海側では「地震」→「がけ崩れ」→「海側へ避難」。
これがセオリーだったと聞いた。
遠足に出かけていた幼児の悲劇は記憶に新しい。
秋田出身の同級生がいた。
彼は「津波が来るなんて」と話した。
「何言ってる!『地震』=『津波』って考えるべきなんだ」
彼は力説した。
やはり、暫く、その話題になった僕らの呑み会。
再び彼の話。
「津波の直前には必ず、引き潮が起きる。この引き潮の早さで津波の大きさが解る。早ければ早い程、大きいと考えていい。そして、『どこまで引くか』が問題だ。引いた海の質量の分だけ津波のエネルギーが計れる。引きが速いっちゅうことは、押し寄せるスピードも速い。そして、一番注意することは、水平線だ」
「水平線?なんでだ?」
「これはじいちゃんが言ってた。『大きい津波の時は水平線から煙が上がる』」
「火事じゃないんだろ?」
「5m以上の津波は白波を立ててやってくる。これは水平線から見える。白波が煙のように見えるらしい。俺もこれはみたことがねぇ。じいちゃんは二度みたらしい」
「釜石って、防潮堤が高いんだよね」
「あんなもん役にたつかぁ?まぁ釜石の防潮堤が壊れることはないとは思うが、あれを越える津波はあると思っている。というか。防潮堤を越えるって思ってた方が、助かるちゅうもんだ」
僕らは関心して聞いていた。
一番印象に残った彼の台詞。
「水平線から煙が上がる」
塩竈にいても聞いたことのない言葉であった。
大学を卒業し、実家「釜石市唐丹町小白浜」に住んでいる。
山火事、最近発生したチリ地震津波の時にも無事の知らせがあった。
今回はまだない。
「津波対策、震災前の画像と標識」
「ひーさんの散歩道」では、岩手県田老の様子が紹介されている。
ご覧のように、津波に対してはほゞ「万全」とも言える対策を立てている。
過去の経験測から生まれた防災対策である。
「これおも凌ぐ脅威は考えられなかった」
結果であった。
悔しい思いがよぎる。
助かった人は、より高台へと避難したに違いない。だが、逃げている途中。「ここまでくるのか」という疑問を持った方は少なくないだろう。
新地で被災した丹治さんは避難の途中こう聞いたという。
「過去、常磐線を越える津波の来襲はなかった」
果たして、津波は常磐線をはるかに超え、新地駅を残骸に変えた。
人類の英知を越えた自然の驚異とはかくものなのか。
釜石市唐丹の情報は少ない。
この二週間以上たった今日。「これは無事の証拠」と思っていた。
だが、その地域の写真を見つけた。
「岩手県釜石市唐丹町の状況について教えて!」唐丹町を案ずる方への答えとしての掲載。
三枚程ある写真。
彼の家が少しばかり高台とはいえ、津波が奥まで入り込んでいる様子が解る。
そして、酔漢が最も心配しているのは、「彼が当日、漁に出ていたのか」。
釜石市の郵便配達が再開されたと昨日の報道。
電話が繋がらず、葉書を出した。
考えられる全ての連絡先を記載した。
家が海岸で波に飲まれても離れた街に仕事に行ってればセーフ! また学校に行ってた子供も助かったりしている。
しかし、自分が助かっても家族が揃わなければ、やはり悲惨なことですね。
今、ガソリンを入れる為に今朝の6時から並んでます。
朝は寒かったのですが今日は天気がいいので助かりました。
日差しが暖かいです。
唐丹町は確か仙台藩の藩境の記憶があります。
ご友人、無事であることを祈ります。
ガソリンのことが気になって帰塩できずにおります。自分がガソリンスタンドへ並ぶことはまかりならないと、こう思いました。
湘南ナンバーですので、被災地の方へ優先すべきだろうと。
唐丹は確かに藩境でした。
峠があるんですよね。
山から海がすぐでした。
山火事で船が焼ける。
これは本当なのだと、行ってみて初めて分りました。