ケンタッキー州には、バーボンの蒸留所が数多くあることは、何度かお話いたしました。
酔漢、ケンタッキーには行った事はございませんが、(スコットランドと共に、一度は尋ねてみたい土地ではあります)友人達に話を聞いたり、写真を見たりしますと、広大な草原と馬が、必ず写っておりました。
僕らのイメージする「アメリカの田舎そのもの」の風景でした。本当に広大な草原です。そんな草原の真ん中にそれぞれの蒸留所が点在するのでした。
点在というのは、例えば、以前スコッチのお話をいたしました際、「スペイ川には、スコッチの蒸留所が数多く存在する」とお話しました。それぞれの蒸留所が「お隣さん」よろしく、建っているのでした。その状態に比較しまして、バーボンの蒸留所は、「点在」なのでした。ケンタッキーは広い!
ですが、共通するところも見受けられます。蒸留所は決して、都会の真ん中にはないのです。スコッチそしてバーボンも自然と密接した土地に建てられております。
これは、日本もしかり。自然の恵み、そして土地、風土がそれ、そのままお酒の風味に変化するのです。決して人の手のみだけで作り出されるものではないのです。
「お酒の魅力の一つ」に「そのお酒の誕生した土地土地を思う」があるのです。
そして、それと同時に、「作り手の熱きおもひ」が伝わる→「作り手の熱きおもひを知る」事も大切な事ではないかと・・これは、酔漢の持論とするところです。
このお酒を眺める(えっ?酔漢さん呑むんじゃないの?)度に、創業者の想いを馳せることとなるのでした。(もちろん、眺めてばかりじゃありません。しっかり飲みます)
では、またいつものように、お話を始めます。すこし照れますが、酔漢結婚式での話しです。
酔漢、結婚式は塩竈神社で挙げました。家内も塩竈には少しばかり縁がございました。大学の友人達に多く出席して頂きました。家内は大学の研究室で知り合いましたので、共通の友人が多いのでした。このブログのコメンティター「丹治さん」はもちろん。前回のお話にも登場しました「まるた氏」「しんぺいくん」も出席していただきました。多くの方々からすばらしい贈り物を頂きましたが、忘れえぬものがございました。
一本のバーボンです。
やはり「バーボン」ですから、この男の仕業です。
しんぺい君です。
「酔漢、これ、まるた氏と一緒に・・受け取ってくれ」
「何っしゃ?二つもあっと」
「一つは残るもんだな。んでも、もう一つは、まぁおめぇなら、一晩だべ」
酔漢、包みを開けました。
「『フォア・ローゼズ』だっちゃ」
「まぁ、おめぇさんのこったから、この酒の出来た話くれぇ知ってるだろ?だったら俺達からのメッセージってこったぁな」
日本語で「4つの薔薇」と名付けられましたこのお酒ですが、ラベルには「4つの薔薇のコサージュ」があしらわれているのでした。
では、このお酒のお話を始めましょう。
1865年。ポールジョーンズはこの土地に蒸留所を創設いたします。独身のジョーンズさん。南部の美女に一目ぼれをいたします。
「なんとか、話しさぁできねぇべか」と想いがつのりまして、ある舞踏会で「結婚しねぇすか」とプロポーズをいたしました。
ですが、その美女すぐさま返事はいたしません。
「次の舞踏会まで待ってけねぇすか?お受け出来たら、胸に薔薇のコサージュば付けてくかっらっしゃ」と。
さて、次なる舞踏会。彼女は申しますと・・しっかり4つの薔薇をあしらいましたコサージュを白いドレスに付けて参りました。
2人はめでたく結婚。
それ以来、ジョーンズさんは、自身の作るバーボンに「4つのバラ」をつけ名前も「フォア・ローゼズ」としたのでした。
「フォア・ローゼズ社」は、禁酒法時代、やはり「おらほは『酒』作ってんでねぇんだおん。『薬』さぁつくってんのっしゃ」で乗り切りました。
ですが、意外に小さな経営基盤でございましたので、カナダのシーグラム社に買収されております。よくCMなどで「キリンシーグラム」と聞く事があろうかと思います。そのシーグラムをキリンが買収したわけで「キリンシーグラム」です。
現在「フォア・ローゼズ社」はキリンの傘下にあります。
「フォア・ローゼズ・プラチナ(43度)」は、ケンタキー州200年を記念して販売されました。ですが、これが何故か日本限定の商品。「なして?」と思われる方がいらっしゃるかと思いますが、「キリンだったから出来た」というのが、答えでしょうか。不思議な気がします(変な話ですが)。
どうしても、話題がラベルを中心に話される機会の多い、お酒ですが、香りのよいお酒です。仕込みの樽は新樽。熟成期間もほぼ6年。スタンダードな作り方をしております。酔漢が最近飲みましたのは「フォア・ローゼズ・ブラック(40度)」
黒いボトルに赤い薔薇がなんとも、きれいな顔をしています。(薔薇が黒に栄えて、より赤く見えます)味も、スタンダードなタイプよりかは、しっかりした味です。それとより果実の香りがいたします。アルコール度数は40度ですから、ストレートで楽しみやすいバーボンです。
「しんぺい。流石だべ。フォア・ローゼズか。お前さんしか思いつかないプレゼントだなや」
「それを言うのなら、おめぇも『フォア・ローゼス』の話さぁ知ってたって・・」
「おめぇ流に言えば『軟派バーボン』なんだろ!」
「それを言うなって、たまには恋しくなる味でもある・・」
バーボンの話には、欠かせない、しんぺい君でした。
恋の願いが叶いましたら・・このお酒は似合います。
次の年。長男が誕生いたしました。長男誕生のお祝いに丹治さんから日本酒が贈られました。
地元塩竈の地酒「勝来」でした。
うーーん。お酒のプレゼントは奥が深い。
酔漢、ケンタッキーには行った事はございませんが、(スコットランドと共に、一度は尋ねてみたい土地ではあります)友人達に話を聞いたり、写真を見たりしますと、広大な草原と馬が、必ず写っておりました。
僕らのイメージする「アメリカの田舎そのもの」の風景でした。本当に広大な草原です。そんな草原の真ん中にそれぞれの蒸留所が点在するのでした。
点在というのは、例えば、以前スコッチのお話をいたしました際、「スペイ川には、スコッチの蒸留所が数多く存在する」とお話しました。それぞれの蒸留所が「お隣さん」よろしく、建っているのでした。その状態に比較しまして、バーボンの蒸留所は、「点在」なのでした。ケンタッキーは広い!
ですが、共通するところも見受けられます。蒸留所は決して、都会の真ん中にはないのです。スコッチそしてバーボンも自然と密接した土地に建てられております。
これは、日本もしかり。自然の恵み、そして土地、風土がそれ、そのままお酒の風味に変化するのです。決して人の手のみだけで作り出されるものではないのです。
「お酒の魅力の一つ」に「そのお酒の誕生した土地土地を思う」があるのです。
そして、それと同時に、「作り手の熱きおもひ」が伝わる→「作り手の熱きおもひを知る」事も大切な事ではないかと・・これは、酔漢の持論とするところです。
このお酒を眺める(えっ?酔漢さん呑むんじゃないの?)度に、創業者の想いを馳せることとなるのでした。(もちろん、眺めてばかりじゃありません。しっかり飲みます)
では、またいつものように、お話を始めます。すこし照れますが、酔漢結婚式での話しです。
酔漢、結婚式は塩竈神社で挙げました。家内も塩竈には少しばかり縁がございました。大学の友人達に多く出席して頂きました。家内は大学の研究室で知り合いましたので、共通の友人が多いのでした。このブログのコメンティター「丹治さん」はもちろん。前回のお話にも登場しました「まるた氏」「しんぺいくん」も出席していただきました。多くの方々からすばらしい贈り物を頂きましたが、忘れえぬものがございました。
一本のバーボンです。
やはり「バーボン」ですから、この男の仕業です。
しんぺい君です。
「酔漢、これ、まるた氏と一緒に・・受け取ってくれ」
「何っしゃ?二つもあっと」
「一つは残るもんだな。んでも、もう一つは、まぁおめぇなら、一晩だべ」
酔漢、包みを開けました。
「『フォア・ローゼズ』だっちゃ」
「まぁ、おめぇさんのこったから、この酒の出来た話くれぇ知ってるだろ?だったら俺達からのメッセージってこったぁな」
日本語で「4つの薔薇」と名付けられましたこのお酒ですが、ラベルには「4つの薔薇のコサージュ」があしらわれているのでした。
では、このお酒のお話を始めましょう。
1865年。ポールジョーンズはこの土地に蒸留所を創設いたします。独身のジョーンズさん。南部の美女に一目ぼれをいたします。
「なんとか、話しさぁできねぇべか」と想いがつのりまして、ある舞踏会で「結婚しねぇすか」とプロポーズをいたしました。
ですが、その美女すぐさま返事はいたしません。
「次の舞踏会まで待ってけねぇすか?お受け出来たら、胸に薔薇のコサージュば付けてくかっらっしゃ」と。
さて、次なる舞踏会。彼女は申しますと・・しっかり4つの薔薇をあしらいましたコサージュを白いドレスに付けて参りました。
2人はめでたく結婚。
それ以来、ジョーンズさんは、自身の作るバーボンに「4つのバラ」をつけ名前も「フォア・ローゼズ」としたのでした。
「フォア・ローゼズ社」は、禁酒法時代、やはり「おらほは『酒』作ってんでねぇんだおん。『薬』さぁつくってんのっしゃ」で乗り切りました。
ですが、意外に小さな経営基盤でございましたので、カナダのシーグラム社に買収されております。よくCMなどで「キリンシーグラム」と聞く事があろうかと思います。そのシーグラムをキリンが買収したわけで「キリンシーグラム」です。
現在「フォア・ローゼズ社」はキリンの傘下にあります。
「フォア・ローゼズ・プラチナ(43度)」は、ケンタキー州200年を記念して販売されました。ですが、これが何故か日本限定の商品。「なして?」と思われる方がいらっしゃるかと思いますが、「キリンだったから出来た」というのが、答えでしょうか。不思議な気がします(変な話ですが)。
どうしても、話題がラベルを中心に話される機会の多い、お酒ですが、香りのよいお酒です。仕込みの樽は新樽。熟成期間もほぼ6年。スタンダードな作り方をしております。酔漢が最近飲みましたのは「フォア・ローゼズ・ブラック(40度)」
黒いボトルに赤い薔薇がなんとも、きれいな顔をしています。(薔薇が黒に栄えて、より赤く見えます)味も、スタンダードなタイプよりかは、しっかりした味です。それとより果実の香りがいたします。アルコール度数は40度ですから、ストレートで楽しみやすいバーボンです。
「しんぺい。流石だべ。フォア・ローゼズか。お前さんしか思いつかないプレゼントだなや」
「それを言うのなら、おめぇも『フォア・ローゼス』の話さぁ知ってたって・・」
「おめぇ流に言えば『軟派バーボン』なんだろ!」
「それを言うなって、たまには恋しくなる味でもある・・」
バーボンの話には、欠かせない、しんぺい君でした。
恋の願いが叶いましたら・・このお酒は似合います。
次の年。長男が誕生いたしました。長男誕生のお祝いに丹治さんから日本酒が贈られました。
地元塩竈の地酒「勝来」でした。
うーーん。お酒のプレゼントは奥が深い。
いい話を聞かせて頂きました。
勝来さんの倉庫はまだ健在では?いつも素通りなので、塩竈神社の前の通りは、いつかゆっくり歩きたいと思ってます。
一の蔵の元祖?
今日は飲み会で、尾島町に行って来ます。
今日みたいな日(暑い)は、ビールが美味しいだろうな。夕方あの辺りは、海風が気持ちよく入ってくるんです。
今すぐ一緒に行きたい気分。
それ以来、母親にはそのたびに言われてますよ。「お前はそういうことにはよく気がつく」って(「口から先に生れた」「五分の虫にも一寸の魂」・・・我が母親の為にある言葉です)。勿論のこと、小生は言われるたびに言い返しております(「この親にしてこの古あり」ですかナ)。「酒飲みの心は酒飲みぞ知る」って。ね、そうでしょ、酔漢さん。
(酔漢さんのブログの)ケンタッキー人の言葉には妙な親しみを覚えます(何故だらう)。一度でいいから、ケンタッキー訛りの英語を聞いてみたいなぁ・・・そういえばケンタッキーフライドオヤジの英語も、あんな訛りだったんでせうかね・・・
蒸留所が点在・・・いかにもケンタッキーですネ。何でもアメリカじゃ「隣の家まで車を飛ばして何時間」だそうですから(モンゴルはもっと強力で、「○×さん?ああ、一ヶ月前まで十キロ先に住んでたよ」となうさうです)。
贈り物はやはり「メッセージ」が込められておりませんと。
特にお酒はそうでしょうね。
マンガの話ですが、「あぶさん」から「野村監督(楽天)」へ、お酒が贈られました。
「雪の松島」です。南部杜氏の酒にあって、言う処の「辛口」なお酒です。(ご存知のことと思いますが)
来年は「辛口の野球を・・」というメッセージ。
うーーん。お酒のプレゼントは奥が深い。
一昨日は、吉祥寺駅の階段を踏み外し(足が自分の意思ほどには上がらない)、数段分ですが落っこちてしまいました。
体調が悪いと、なぜかやたらと塩竃の風景が目
に浮かびます。
尾島町ですか...200海里規制以前のあのあたりのにぎやかさを、おぼろげに記憶しております。
景気の良い時代は、塩竃のパチンコはものすごく玉が出ました。釘が甘々でしたから。
年に数回しか帰って来れない漁師さんのため、とにかく出しまくっていたらいしいです。
酔漢さんは塩竃神社で結婚式を挙げられたのですね。
そういうハレの儀式のときは、新郎新婦は、表参道のあの階段を昇り降りするのでしょうか?
文金高島田では、あの階段はアクロバットですね。
ところで、我が家の息子たちが生まれたときに、気前よくお祝いを贈ってくれた伯父は、一時期○田聖子の義父でした。
そうビビビの...
彼女が地元に挨拶に来たときは、ワイドショー様があふれかえっていました。
なんか復縁の噂もあるようで。ふーん。
時にその勝来ですが、現在でもそこそこ需要があるとか(選挙が近くなると縁起物で売れるんださうです)。一ノ倉(別の話になってしまいますネ)・・・じゃなくて一ノ蔵酒造では現在も作っています。
「おらほで作(つぐ)ってんの、酒(さげ)でねぇおん、薬だおん」の話ですけどね・・・「ゼームショ来たど!!!」っていうと村中の小川が白濁したって話を思い出してしまいました。そりゃそうでしょうよ。蒸留しなけりゃ「薬」とは言えないでしょうし・・・
検査に来たはずのゼームショさん、帰る時は何故か桜色のほっぺたで千鳥足だったとか。古き佳き時代の話ですなぁ。構造改革特区とやらでドブロク製造が認められた地域がありますがネ。大っぴらに作ったんじゃ、旨さも半減。某書に曰く、「隠れて飲んだ水は甘く、盗んで食ったパンは旨い」。それでもドブロクならば飲んでみたい丹治でありました。
いろは横丁のラーメン屋、ススキノ?
マイケル・・・Oさんなら私も友達ですが?
ご自愛くださいませ。ご無理はいたしませんように。
結婚式当日は表参道は流石に歩きませんでした。本殿から志波彦様へ降りる階段をおりまして、社務所へ向かいました。小雨が降っておりました。
利府の梨畑の近くで、くわがた虫取りに。
喉が渇くと、すいか畑へ向います。(チャーが登場!しません・・ネ)
痛んだものを選んで、頂きます。
そのすいかの味は忘れられません。
ひー様のブログにお邪魔しまして、コメントしました。
「第七ススキノ」だったような記憶があります。(違っておりましたらすみません)
ここは、独立してましたので、他のすすきのとは、味が違っておりました。