酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

ハンバーガー?バーボン

2008-07-17 10:02:53 | バーボンの話
「火曜日には必ず返すからハンバーガーおごってくれないか」
毎度お馴染み、「ポパイ」に登場いたします「ウィンピー」です。
この番組は、白黒テレビで見ておりました。
「ハンバーガーってなにっしゃ?」
「ハンバーグをパンで挟んだものだっちゃ」
今でこそ、メジャーになりました「ハンバーガー」ですが、当時(酔漢が幼稚園位の頃まで)は、本当に珍しい食べ物でした。
小学校の頃、仙台市内、青葉通りに「サンライズハンバーガー」が出来ました。
結構な賑わいだったかと記憶しております。
ところで「ハンバーグ」は、ドイツの「ハンブルグ」が英語読みになったものだと言う事は、知られております。こうやって見ますと「バーボン」はフランス語のブルボンですから、言葉の端からも「アメリカが移民の国」だということが解ります。
「ハンバーグ」は「肉料理」ですが・・。
ハンブルグという土地は肉牛が育ちにくく、牛肉は大変貴重だったとか。少ない牛肉をボリュームをつけるように、いろいろ混ぜ合わせてステーキのようにして。出来ましたのが「ハンブルグ」→「ハンバーグ」でした。
「『ドイチュフルビーフステイク』こいづなんだべな」
「きっと、ボリュームたっぷりのステーキでねぇかや」
出てまいりましたのが・・「ハンバーグ」でした。
ドイツ生まれのハンバーグがアメリカで「ハンバーガー」になり現在に至る。
バーボンの初期、スコットランドからの移住者が、「バーボン」を作り始めた、お話はいたしました。
ですが、「ドイツ生まれのバーボン」があることは案外知られておりません。
(前々回の更新で「ブッカーズ」の話をしましたが、彼ら一族もドイツからの移住者なのでした)
市販されているバーボンで、とうもろこし(とうみぎ)の含有率が非常に高いお酒です。銘柄は皆様よくご存知「I・W・ハーパー」です。

ここで、アメリカの法律を少し整理しましょう。
「バーボン」→とうもろこしの含有率が51%以上。
「コーンウィスキー」→とうもろこしの含有率が80%以上。
この「I・Wハーパー」は、とうもろこしの含有率が86%以上。独特な滑らかさは、このとうもろこしの高さにあるのです。
「含有率80%以上では『コーンウィスキー』でねぇのすか?」
たしかに、含有率からすれば、「コーンウィスキー」なのですが、熟成樽の内側をしっかり焦がしております。「コーンウィスキー」は熟成樽の内側は焦がさないのです。この差が名称を分けております。

アメリカへやってまいりました「アイザック・ウルフ・バーンハイム」さん。19歳の頃でございます。
「アメリカさぁ渡って来たんだけんど、何したらいいんだべ」
ペンシルバニアで雑貨を売りながら生活しております。
しかし、生活は一向に良くなりません。
ケンタッキーにおります、叔父さんを訪ねます。
「卸商でもやったらいいっちゃ」
これが少し当たって、まあまあ生活できるようになりました。
「弟も呼んでやっちゃ」
ということで、兄弟会社を設立。「酒の樽売り」を始めました。
「あんちゃん。樽は飲むうちに酒がまずくなっちゃ」
「んだなや。ガラスの瓶さぁ入れてみっぺ」
これが、大成功。
品質の良さが広まります。貧乏していた、ドイツ移民が、ここですでにアメリカンドリームを手に入れるわけでございます。
ケンタッキーと言えばダービー。(「アーリータイムズ」で作る「ミントジュレップ」が飲みたい!今日の気温33度!)その第1回・2回と出走した「ハーパー」という馬がおりました。
「あんちゃん、馬主さんさぁ頼んで、名前ば頂くべさ」
となりまして「ハーパー」はその馬の名前なのでした。
名前を変えたとたんに、大当たり。しかも、やとったセールスマンが、これまた伝説を作るほど、優秀。
現在この「I・Wハーパー」のマークになってます「シルクハットに燕尾服。帽子に手を添え、深々と頭を下げている御仁」
彼が飛躍的にこのお酒を広めていくのでした。
「毎度ありがとうござりした・・」当時このセリフは珍しい光景として語り次がれました。
禁酒法解除(1933年)免許第一号を頂きます。
「I・W」は「アイザック・ウルフ・バーンハイム」の略。
ドイツ人の不屈の魂がバーボンをも変えたのでした。

バーボンは普通6年位が一般的な熟成期間。ですが、これは旨い!本当に旨い!
「I・Wハーパー12年(43度)」。
スコットランドと違って、気候の変化の激しいケンタキー。それぞれの蒸留所が工夫に工夫を凝らして、熟成樽の管理をしております。ですが、限界もあるようで、長期熟成をしないような工夫もされております。
1961年。12年ものを発表。これが大好評を呼びます。
レンガ作りの倉庫を持っていたが故にできました業でございます。
当時は「バーボンは長期熟成すればまずくなる」の常識を覆しました。
このお酒も是非一度お試し下さい。
「とうみぎの味さぁ少しすっちゃ!」です。

昭和20年。占領軍が苦竹におりました仙台。
英語ができます父はアルバイトをしておりました。
部隊は「1237空挺団」(ワン・ツ・スリー・セブン・エアボーン)。クラブの中ではジャズがかかり「バーブ佐竹さん」が歌っておりました。
将校クラスが好んで呑んでおりましたお酒は・・
「『I・Wハーパー』だった」
と、父が話しておりました。

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
クリスマスは、夢のようなご馳走だったそうですね。 (すず)
2008-07-17 10:29:20
 苦竹に占領軍が居た当時、石巻の叔父(大正元年生まれ)は、ほかの叔父たちと石巻から歩いて通って、雑役の仕事をしていました。食堂のごみ箱に美味しそうなお肉の残りや何かが捨てられると、みんなでこっそり持って帰って来たそうです。なので、あの頃食べたかったナポリタンやピザが大好物で、作ると一番先に手が出ます。
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Unknown (ひー)
2008-07-17 11:04:44
ポパイを見ていたころは、ハンバーグなんて食べたことなかったですね。
バーボンの歴史・・・奥が深いですね~
何も考えず、IWハーパーもアーリーもターキーも飲んでました。まぁいずれこの3種だけですが。
自衛隊の中は一種独特の世界です。
進駐していたころの名残ですかね。
三沢の米軍基地もアメリカそのものです。
昔の苦竹の写真を本から撮っていたような気がするのですが、あったらUPします。
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同じかも・・・ (酔漢です )
2008-07-17 12:18:07
すず様へ
父もいろいろ貰っていたようです。
特に、将校さん達からは、高級な?(当時としては)缶詰とか頂いたようです。
クリーニングのお手伝いが主だったようで、よく、兵舎の中へ届けてもいたそうです。
叔父様は石巻から歩かれておられたのですか?
急に、違った文化が入ってきたのでしょうね。
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横須賀で・・ (酔漢です)
2008-07-17 12:21:42
ひー様へ
一度、横須賀基地内に入ったことがございます。なるほど、文化が全く違っておりました。
当時の苦竹の写真はまだ見た事がございません
その昔、「東北博覧会」なるものが、苦竹でありまして、入ったことがありましたが、酔漢幼稚園の頃です。本当に記憶が   少しです。
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初めて知りました (丹治)
2008-07-17 12:29:33
ハンバーグがハンブルクだってこと・・・ぢゃなくて、ドイツ生れのバーボンがあるってこと。I.W.ハーパーのI.W.がアイザック・ウルフだってこと。
察するに綴りはIzaak Wolf Bernheim(イツァーク・ヴォルフ・ベルンハイム)。ドイツ人がアメリカに移民すると、名前あるいはその綴りをを米国風に変えることがあります。この人のウルフも恐らくは本来ヴォルフだったんじゃないでしょうか。たとえば他にミュラー(Müller)⇒ミラー(Miller)、ルートヴィヒ・シュナイダー(Ludwig Schneider)⇒ルイス・スナイダー(Louis Snyder)なんてのがあります。悲惨な例はフレーリヒ(Fröhlich)⇒ゲイ(Gay)。だって、ゲイっていったら、米国の俗語じゃねぇ・・・
ハンバーガー(ハンブルガー)は「ハンブルク人」の意の名詞、ないしは「ハンブルクの」の意の形容詞。ドイツ語では地名に-erの接尾辞をつけると、「~の」の意の形容詞になります(無変化)。
因みにある日本人ガ』ドイツを旅行してレストランに入りました。品書きを見ると(ドイツ語でメニューというと定食の意味になります)、「ドイツ風ビフテキ」(Deutsches Beefsteak)ってのがあって、値段も安目。「ビフテキ」に反応した我が同胞は早速註文。ところが出てきたのは何とハンバーグだった・・・ってな笑い話があります。ドイツではハンバーグのことをドイツ風ビフテキっていうそうです(藤田五郎『ドイツ語のすすめ』より)。小生が向うで食べた感じではフリカデレがハンバーグに近いと思います。
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先生、見事なご解説! (酔漢です )
2008-07-17 12:42:24
丹治様へ
実は「ハンバーグステーキ」の話は、丹治様からその昔(相当昔?)に聞いておったお話でした。勝手ながら拝借いたしました。ご容赦下さい。解説ありがとうございます。
ご専門分野ですものね!
ありがとうございました。
工大で先生の授業を一度受けてみたい酔漢です。
「おにたん」って呼ばれていたりして・・・
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しばらく (ひげ親爺)
2008-07-17 15:52:36
通り過ぎる時間の早さ、真ともじゃあないよ!
何時の日付から読んでないのだろうか?
仕事にかまけていたわけではないのですが・・
「ハーパー」にはそう言う歴史があるんですか。久しぶりに飲んでみようか。
ここのところジャズも聴いていないし、何から聴こうかな?・・・「バーブ佐竹」がジャズを歌っていたなんて、どんな顔をして歌っていたのかな・・・。
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ご無沙汰いたしておりました (酔漢です)
2008-07-18 06:58:55
ひげ親爺様へ
お元気そうですね。このブログでも紹介いたしております「ひーさんの散歩道」(ひー様のブログ)で、今の文化横丁の写真が掲載されておりました。
たぶん、「あのあたりだったな」と思いました。
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サンライズ (クロンシュタット)
2008-07-19 06:24:21
「サンライズハンバーガー」が出来たときは、かなりの話題になりましたよね。
川内へ行くバスの乗り場があのあたりですので、毎日横目で眺めていました。
でも、やはり貧乏人は、ほんの数回しか買えませんでした。
今のマクドナルドなんかと比べると、とてもシンプルなハンバーガーでした。
「サンライズ」→「東宝でロードショウ」が、黄金デートコースでしたが、私は...

苦竹の東北博覧会は私も行きました。
それを機会に仙石線が高架・複線延長になったような記憶があります。

「占領軍」といえば、川内の奥には高校生の頃まで「米軍住宅」が残っていました。
白塗りの一戸建てが、余裕を持って建てられていました。
米軍の(子供用?)に作ったのが二高のプールでして、でかいし深いし、たまったものではありませんでした。
まあ、おかげで水泳部は強かったですよね。
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チャー (丹治)
2008-07-19 12:02:34
酔漢さん、チャーが出ましたか。光村図書の国語教科書中三用。出典は魯迅の『故郷』でしたね。小生の学年では「しばた」先生がヤン小母さん、「あべてる」先生がルントウと呼ばれてました(呼んだのは小生だけか)。いや、特に深い意味はありませんよ。雰囲気が何となく・・・酔漢さんの学年は如何でしたか。
苦竹の米軍キャンプでは小生の父方の爺さんも仕事をしてたことがあります。んで、ビフテキを食って「こんな旨いもの食ってる奴らと戦争して、勝てる訳がない」ってしみじみ思ったそうです。しみじみ思ったというよりは、食った瞬間「負けた」ってのが正直な所だったんじゃないでしょうか。その次に出てきたのが「日の丸弁当じゃビフテキに勝てる訳がない」ぢゃないかと・・・
この手の話は時々聞きますね。予備校時代英語を教わった先生が(残念ながらS教授でもピョンピョンでもありません)少年時代、米軍将校の家に行く機会があったそうです。そこで電気掃除機と電気扇風機を見て、「こんな便利な機会を使ってる国と戦争して、勝てる訳がない」と思ったそうですよ。先生、授業中に言ってました。
「すずさん」も書いてらしたスパゲッティ・ナポリタンですが、あれ、米軍の兵隊飯だったそうですね。ガキの頃、日曜日に仙台に行ってチロルでナポリタンを食べるのが楽しみでした(あの頃のチロルは、確か藤崎かどこかのデパートに入ってたような気がします)。ドイツに行った時に、イタ飯屋でSpaghetti Napolitanaってのを頼みました。「ナポーリターナ⇒ナポリ風⇒ナポリタン」だと思ったからです。ところが出てきたモノはといえば・・・茹でたパスタにトマトソースがかかっただけの至極あっさりしたヤツだったんです(ミートソースの肉抜きだと思って頂ければ当たらずといえども遠からずです)。「何ぢゃこりゃ」って思いました。それで長いこと疑問だったんですけどね。この間、兵隊飯のビジュアル本を見てて長年の疑問が氷解したって訳です。
台所でイタズラするようになってから、あれこれパスタ料理にも手を染めてますけどね(さすがにパスタの手討ちをするまでには)・・・あの頃食ったナポリタンが妙に懐かしいです。
苦竹っていえば、こんなこともありました。大学院の学生の頃だったでしょうか。通路を挟んで向かい側のシートに爺さん二人。どうやら軍隊時代の昔話をしてるらしいのです。爺「榴ヶ岡には四連隊」。小生(心の中で)「ウンウン」。「川内には師団司令部と亀岡に輜重兵連隊」。「ウンウン」。「スポーツセンターがあったとこに砲隊と工兵隊」。「そうだそうだ」。宮城野原には「騎兵連隊」。「その通り」。電車は苦竹の駅に入ります。「ところで苦竹には何隊があったんだっけ・・・」「?????」。「爺さん、違うだろ!!!」危うく口にしかけた小生でした。
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