彼と接点はないのですが、大学同期に広野町役場に勤めている友人がおります。(接点といえば、彼も彼女も酔漢の結婚式には出席していただいております)
原発のニュースを見るたびに彼女を思い出します。「怒り、呆れ、苛立ち、そして・・」2011-03-18 05:40:17 で語りました。
相馬市といえばあの平将門の末裔といわれる相馬氏の所領地であり、伊達氏とは対立関係にあったところだ。今も武門を誇るように野馬追いという騎馬が疾駆する勇壮な祭りがある。歴史的因縁のせいか、意識としては仙台と距離を取りたがるが、それでも通学・通勤圏でもあるので仙台に来る人も多い。
福島県は東北でも少し異質な難しい県である。まずとにかく広いので地理的特徴や気候風土が地域によって違う。そして歴史的にも複雑だ。宮城県なら伊達藩で、岩手県なら南部藩、青森県なら南部藩と津軽藩、秋田県は秋田藩と、大きな藩と県域がほぼ重なっている。そのためかある程度共通する何かがあるのだけれど、福島の場合は会津藩を中心に相馬中村藩や二本松藩、棚倉藩、白河藩、三春藩など幕末時点で十三もの藩に分かれている。それが戊辰戦争の時にもそれぞれ因縁があったりしたので、なかなかまとまった意識が弱い。そんな古い時代の影響が今でも残っているのかと首を傾げたくなるだろうけど、案外根強く残っている。大学の頃、会津出身の女の子とつきあっていたが、彼女のおばあさんくらいになると「前の戦争」と言うのは戊辰戦争で、薩長土肥の者とだけは結婚させないと言っているという話を聞かされた。仙台藩は奥羽越列藩同盟で一緒だったから僕は文句を言われないなとつぶやいたら、仙台は最後に日和ったと苦い顔をするのだそうだ。別に僕が日和った訳でないのだけど、そういうのは何だか背筋が妙に伸びたりする。いずれにせよ県庁所在地の福島市の他、郡山市、会津若松市、いわき市と、同程度の規模の町が点在していて、それぞれが意識し合っているところがあるのは間違いない。なかなかひとつの県としてひとくくりに考えるのは難しい地域である。それが福島という言葉にすべて集約されつつある状況は首を傾げたくなる。
どうでもいい事だが天正十八年(一五九0)に独眼竜伊達政宗と相馬義胤との間で起きた童生淵の戦い(小豆畑の合戦とも)で、伊達家重臣である亘理重宗の家臣に鷲足主水清久なる人物がいて、そこで討ち死にしているのだが、この人は僕のご先祖らしい。その合戦の場所は今の相馬市にあるそうだ。僕は相馬市にある松川浦温泉という海を望む温泉で、ご先祖を思いながら、討ち死にさせられた恨みはそこの湯に流してきました。というかそもそも恨みなんてないけれどね。
テレビからは内陸部には支援物資が届いているのに、避難所には配られていない状況について、被災者のニーズがつかめないためだという説明が聞こえてくる。
僕は思わず耳を疑った。
各自治体の被災の大きさは分かっている筈だ。町長すら行方不明のところがあるのに、細やかなニーズの集約など不可能に決まっているし、それを求めるのは疲弊している行政の負担を増やすだけだ。少なくとも今の段階ではまずは食糧と水が大量にいるに決まっている。津波なんだから濡れた人もいるので着替え、東北地方なんだからまだ寒いので毛布やカイロなどが必要なのは考えるまでもない。今は物資の偏在を憂うよりも、震災関連死を防ぐために、どこにでもそれらが有り余るほど用意すればいい。
そんな僕の考えをうち消すように、せっかくの支援物資なのだから無駄なく効率よく行き渡るようにするため、ニーズの集約は大事だと評論家という肩書きをもつ人物の声。それに頷くコメンテーター。
ただただ、ため息をついてしまう。
何でもかんでも効率を叫ぶのはいったいどういうわけなのだろう?
それは被災者側の論理ではなく、運営者側の論理だ。
ニーズを聞くより先に、せっかく助かった命を救うことが先決だろうに、無駄が溢れているこの国で、こういう時こそ無駄なくらいに物があってもいい。物資の偏在は足りないところが出るから問題なのであって、どこでも余る分には構わない筈だ。
しかし評論家は譲らない。
ニーズに合わず、物が余ると、被災者が処理しなければならず、逆に負担になってしまう事もあるのです。
僕はすかさずそれにつっこむ。
おいおい、それを憂うのは、まず助けてからの話だろう?支援のミスマッチを考えるのは避難所運営がうまくいくようになってからの話でいい。
役割とは何だろう?
たとえば被災地では多くの消防団員が避難誘導などで前線に出て命を落としている。消防団員は基本的にボランティアのようなものだ。特に地方では自治組織のひとつである。評論家の言葉で救われた者はいないが、消防団員たちが救った命はたくさんある。生かされた命がたくさんある。そうやってつながれたものを、今度は評論家らが知恵を出して援助してくれればいい。それが個々の役割だろうと思う。
それなのに物資の効率化のために、つながれた命を削るのか?
当然僕の声は届かないから反論もなく、阪神淡路大震災ではどうだったのかの話に変わった。
何かといえばすぐに阪神淡路大震災だ。
どちらも大きな悲劇だし、学ぶべき事はたくさんある。けれど起こっている事の質がまったく違っているから、その経験がすべてにおいて生きるわけではない。特に今回は地震被害よりも、津波の被害が甚大で、地域性もまったく違う。しかしそのどれもが頭には入っていないようだ。東北地方がいかに広いかという感覚がないし、地図の見方も妙に二次元的で、等高線のあるものは見たことがないのかと聞きたくなる。三次元で見た地形の複雑さや後背地の状況がまったく分かっていないらしい。知識では知っている筈なのだ。面積の大きい県はというクイズを出せば、東北の県が上位に来る事くらい知っている。リアス式海岸が入り組んだ地形だというのも地理の教科書に載っている。しかしそんな知識は現実とつながらない、ただのクイズ用の情報でしかないという事なのだろう。
口では未曾有と言いながら、対応は過去の経験に依存したまま。
それでうまくいく筈がない。
前例のない事だからこそ必要なのは、まず最前線に権限を持つチームを送り出す事だ。 自衛隊がうまく機能しているのは、自己完結できる組織だからだけではない。今回は陸・海・空がばらばらに活動するのではなく、現地を知る東北方面総監の君塚陸将指揮のもと現地で一元化されて動いているからだろう。
だが政府が前線に立つ姿はまったく見えてこない。
マスコミはたくさんの悲劇を映し出し、誰に向けられているのか分からない忠告を繰り返すよりも、怠惰な権力に重い腰を上げさせる事こそ仕事だと思うのだけれど。
ため息に埋もれていると、妻がたくさんのプチトマトを持って帰ってきた。仙台朝市は店を開けていたのだという。駅前のビルの谷間に並ぶ常設市場だが、朝市という呼称だけれど朝だけに限らず、夕方まで開けている店も多い。店の人によると、みんな食糧がなくて困っているようだから、とにかく近隣を駆け回り、品物をかき集めてきたのだそうだ。
なんて逞しさだろう。
終戦後、空襲で焼け野原になった仙台を支えた闇市から続いているだけに、何だか力強い。仙台は太平洋戦争の時、東京以北では最大規模の空襲を受けた。百二十三機のB29によって仙台の中心地は壊滅的被害を受けた。ちなみに宮城県で最初に空襲を受けたのは塩釜だ。その塩釜にも未だに闇市と呼ばれる市場がある。
それにしても脆弱な政府や報道のパニックに比べ、なんて地に足がついた潔さだ。
それが本当は商売のためだろうと、偽善だろうと構わない。
こんな時だからこそ、行動が一番の説得力を持つ。
そう。やれる事をやればいいんだ。
とりあえず僕は水を汲んでくる。それが僕にできる事だ。
三月十五日、実家にはまだ電話が通じない。衛生状況の問題か、首筋や足、皮膚の柔らかいところなどに発疹が出始めている。歯磨きはしているのだが、歯茎も少し腫れ出してきた。さすがに頭も痒くなってきた。仕方がないので水をつけたブラシで髪をすいた。そもそもくしけずる習慣は髪型を整える以上に、衛生的な配慮が大きかったんだろうなと実感する。
日課になった朝の水汲みをして、新聞を読む。
五日目になるのに、相変わらず津波の被災地は何も進んでいないようだ。物流の回復もまったく望めそうにない。ひとつだけ急速なのは犠牲者数の増加だ。つまりようやく捜索活動が本格化してきたという証と言える。広域で把握が難しいにせよ、あまりにも初動が遅い。自衛隊にしても二万人から五万人、そして十万人へと増派されていくのは、政府が当初は災害規模を軽く見ていたという事だろう。情報の伝達だけならば明治初期でも、旗信号で大阪から岡山まで米相場の値段をわずか十八分で伝えていた記録がある。少なくとも現代ならば短時間で相当な情報を集められた筈だ。結局のところ受け取った側の判断力の問題なのだろうと思う。すぐ首相自らヘリコプターで飛んでも、原発の視察だけで帰るのだから、原発問題で頭がいっぱいになっていたと指摘されても仕方がない。彼らにとってこの震災はイコール原発事故だという事だ。理系で原子力に詳しいと自認する首相は、原発事故でひとりも犠牲者を出していない事にこだわりながら、すでに何万人もの犠牲者が出ている震災には興味がないらしい。ちなみに福島原発でも女川原発でも、放射能ではなく、津波によって職員に犠牲者が出ている。
いまだに僕の家から十キロ先の荒浜はまったく手つかずのままで、遺体はどんどん沖へと流されている。人知れず腐乱し、そして永遠に消えてしまう遺体を思う家族は、どんな気持ちでいるのだろう。もし魂というものがあるのなら、そうなってしまった人の魂は、それでもこの国を、この町を愛してくれるのだろうか?
身元が分からないまま腐敗が進む遺体は、仮埋葬として土葬するらしい。遺体という呼称であっさりくくられるけれど、本来はひとりひとり自分の名前があるのに。
春の山屍を埋めて空しかり。そんな高浜虚子の俳句を思い出す。
被害の少ない仙台市内陸部も完全に機能を失った感じがする。地下鉄は動き、バスも一部走り出してはいるが、車でなければ通勤できない人たちもたくさんいる。東京とは違い、公共の交通機関が県内や市内をあまねくフォローしているわけではない。車に生活の多くを依存している社会だ。それは宮城県はもちろん東北、いやそれ以外の地方都市も多くはそうだろう。車以外の代わりの交通手段がない地域はいくらでもある。ちなみにカー用品のイエローハットの店舗数が全国で一番多いのは宮城県だ。それだけの数が成り立つほど、車に依存した地域だといえる。
人が動けなければ、何も動かない。人間の社会なのだから当然の事だ。
それに少なくとも宮城県沿岸部で生まれ育った人ならば、この震災で消息の分からない人や犠牲者が、親戚や知人でひとりもいないという者はいないだろう。これだけ日数がたっても、行方不明者は増える一方、遺体が発見されてもガソリンがなく確認にも行けない状況だから、すべてが停滞するのは当たり前だ。
これは後で聞いた話だが、この震災では安否確認にツイッターやネットが有効だったと言う論調があるという。僕はどうも過大評価だし、広めているのは通信会社の販促の人じゃないかとさえ勘繰ってしまう。
ツイッターにしても、グーグルにしても、被災地の外にいる人たちにとってはとても役立つツールだったように思える。つまり被災地にいる人の安否を遠くに住む人が探すには有効だったが、これもまた電話やバスと同じで、近く同士ではそれほど役には立たず、遠くとつなぐ方法としては有効だった。どうも人間というものは、より遠くへつながると復旧が早く、役に立っているように思えるものらしい。
被災地の多くは、過疎の町で高齢化が進んでいる。携帯ならばともかく、ツイッターやグーグル、スカイプなどは知らない人が圧倒的だ。そもそも電気が通っていなければどんな機器も充電ができない。
それより何よりも、考えてみて欲しい。
どんなにグーグルで検索して生きていると分かっても、家族ならば顔を確認するまで安心などできない筈だ。同姓同名かもしれないし、入力ミスかもしれないのだから。僕だって少なくとも直接会話ができるまでは両親の状況を憂え続けている。それに身元不明の遺体を確認する方法は、直接安置所に行く他にない。
通信機器の便利な機能より、もっと必要なのは直接会話ができる手段、会いに行ける手段であり、むしろ移動するためのガソリンが重要なのだ。
ただ電力が復旧した後の仙台市内では、家が電化やプロパンガスの人たちがツイッターで集まり、ボランティアとして自宅のお風呂を開放したりしている。また津波により教材不足に悩む教諭がツイッターでつぶやいたところ、教材会社が無償で提供してくれたらしい。そういう復興段階では確かに役に立つものだろう。いずれにせよ最前線の外側にいる人たちにとって有用なツールだ。
いずれにせよ今回の震災では「情報」というものについてとても考えさせられる。
テレビやラジオはもちろん、ネット、メール、ツイッターなどで、いろいろな映像を見て、様々な言論を聞く事ができるし、地図もリンクしている。それで多くを知った気になってしまうのが情報社会の欠点だと思える。実際には現実の距離感や、規模、数量などは分からない。たとえば仙台市と気仙沼市は同じ宮城県内だが、車で往復すれば平時でも五時間ほどはかかる(列車でも同じくらいだ)。岩手県も同じで、三陸海岸の後背地は北上山地だから、内陸の盛岡市から宮古市へも往復五時間だ。県内でも用事に手間取れば一泊するくらいの距離感がある。ちなみに仙台市の面積は約七八八平方キロで東京二十三区の約六二二平方キロよりはるかに広い。そこに地下鉄がわずか十五キロの一路線。東京から中央線で中野までの距離だ。あとは他都市と結ぶJR線しかない。市内での移動は車が中心だから、ガソリンの枯渇がいかに深刻か分かるだろうか?ちなみに石巻市は約五五五平方キロで市内移動はほぼ車に頼る。そういった現実的な感覚は「ガソリン不足」だけでは伝わらない。また地域の産業構造の違いもあり、ホワイトカラーの発想ではうまくフィットしない事も多い。
それと個人が発する情報の多くは、本人は悪意のつもりはなくても、根拠に乏しいデマや無知を広める結果になっている。それによって起こった実害も相当に大きい。国会議員すら安易に掲示板の書き込みを信じて指示を出し、現場を混乱させたらしい事は内閣府政務官さえ証言している。
どんなに便利なツールも、使っているのは所詮人間であり、その人の主観からは逃れられない。それどころか主観を拡張しているとさえ言える。
岩手県の宮古では昭和三陸大津波の経験から「此処より下に家を建てるな」という石碑の警告に従い、被害のなかった集落があり、やはり先人の知恵や経験はすごいと賞賛する向きもあるが、それと同様に津波伝承を守って集まったがゆえに、津波にのまれて多くの人が犠牲になってしまった気仙沼のお伊勢浜地区のようなところもある。なぜかそちらの情報はあまり流されないが。
結局のところ、最新の技術をつくした情報であれ、古来の経験から生まれた伝承であれ、どちらも人知の域を越えるものではない。
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