酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

ある友人の手記 その八

2011-05-30 08:30:34 | 東日本大震災

「石油コンビナート」編チエーンメールは、職場でも話題になりました。年下君宛にもありました。

最初に職場の部下から携帯を見せられて最初に発した酔漢の発言は「デタラメに決まっている!」というもの。

「酔漢マネジャー。本当にデタラメなんですか?」

「デマに決まってるだろ?」

こうでした。ですが、実際大勢に送られていたその「デマメール」はどうやって送りつけているのだろう。

元の現況を操った人間を疑いたくなりました。

   

ふと知人からメールがきた。

 内容は自衛隊員から聞いた話として、福島原発は非常に危険な状態であり、本当はもう広い範囲で放射能が降っている。外出の際はマスクをして、完全防備をする事と、雨には当たらないようにとの事だ。重要な内容だから出来る限り多くの人に回して欲しいとあった。

 親しくしている人からのものだったが、すぐにチェーンメールだなと思った。職務上知り得た情報を気軽に話す自衛隊員などまずいない。妻のいとこに海上自衛官がいて被災地支援にも来てくれたようだけれど、そんな話は流れてはこない。海上保安庁の職員による中国船衝突のビデオ漏洩があったくらいだから、絶対にないとまでは言えないにせよ、内容自体も偽情報にありがちな事実と嘘を混ぜ込んでできている。原発が危険な状態なのは確かだし、広い範囲で放射性物質が降っているのも間違いないだろう。放射能から身を守るのに完全防備も嘘ではない。しかし問題はその量と距離だ。一番肝心な情報が抜けている以上、それを信用するわけにはいかない。だから誰かに転送する事はしなかった。

 他にもわざわざ原発の事を心配する電話もあったりした。

 少なくともそんな雰囲気になるくらい、どうやら原発の状況は悪化しているらしい。

 僕はとりあえず携帯のワンセグをつけてみた。

 福島第一原発の建屋が次々と水素爆発で壊れた上に、火災まで起こったりと、一号機から六号機までが何らかのトラブルが続いている。

確かに考えたくはない非常事態だ。

 それにしても民放テレビのキャスターたちは見るからに異様だった。

 喧騒と混乱が満ちあふれ、どう見ても取り乱し、パニックを起こしているとしか思えない者もいた。もっと爆発したりはしないのかだの、もうメルトダウンしているのではないかだの、政府は本当の情報を出していないだの、安全神話は嘘だったのかだの、とにかくヒステリックに騒いでいる。そんなに大騒ぎしたところで、起こっている事態は変わらないのに。

 僕には原発事故よりもむしろそちらの異様さの方が怖ろしく思えた。

 原発を作ったのは人間、田老の防潮堤を作ったのも同じ人間である。田老は自然に敗れた。でも原発だけは勝てるとでも本気で思っていたのだろうか?

 そもそも人の力ではどうやったって自然を制する事などできない。うまく自然と対話をしながら生きていく方がいい。

 エントロピーの法則ではないが、存在するものは必ずいつかは壊れる。その日がいつになるかだけの問題だ。

 想定外。その言葉が便利に使われ出している。

 政府も、東電も、マスコミも、みんな想定外のリスクに直面すれば、場当たり的な対応が許されると思っているかのように見える。

 どうあれ目立つ存在だけに、特にマスコミの反応は過剰で異常に思えた。

 マスコミが冷静さを失えば、世論もまたその影響を受ける。不要に扇動的な動きをすれば、世論が感情的になってしまうのは時間の問題だ。どう見てもパニックを煽っているとしか思えない状況だった。

 そもそも僕はずっと反原発派だ。

温暖化対策というが、自然界にはない物質を生みだすようなものが、自然にいいわけがない。単純にそう思っている。高レベル放射性廃棄物となるプルトニウムは半減期が二万年以上だ。あくまでも半減期であって、それですべての放射能が消えて無くなるわけではない。そんなものを管理し続けるというのはいくらなんでも無茶だろうと思う。二万年前は石器しか使えないような時代だったのが、今はこれだけの世界を作りあげた。だからこれから二万年たつ間にプルトニウムの安全な処理方法が見つかるだろうなどと考えるのは、現代人のエゴに過ぎない。危険なつけを解決法も見つけもせず、無闇に後世へ押し付けるのは、あまりにも無責任だと思う。

僕の愛聴盤にRCサクセションのアルバムで「Covers」というのがある。エディ・コクランの「サマータイムブルース」とかエルビス・プレスリーの「ラブミー・テンダー」などをカバーしているのだが、亡くなった忌野清志郎が過激な原発批判の歌詞をつけた曲があったために、所属レコード会社が発売中止にしたといういわく付きもものだ。後に別のレーベルから発売されたが、僕は今もそれらの歌を口ずさんでいる。

他にも僕らくらいの世代なら、ジェーン・フォンダが主演した「チャイナ・シンドローム」という映画を覚えている人も多いだろう。米国の原子炉がメルトダウンを起こしたら、地球を突き抜けて反対側の中国まで達するという事からついたタイトルだ。もちろん物理的にそんな事はあり得ないし、それ自体が映画の中のジョークだ。でも僕は原発に対する懐疑的感情を今でも強く持っている。

しかし反原発である事は、反科学とイコールではない。

 僕は前日に新聞で原発事故の簡単な概略だけ知った後、すぐ妻に「スリーマイルアイランド以上、チェルノブイリ以下かな」とため息混じりで予想した。汚染度の激しい地域はチェルノブイリと同等かも知れないとも口にしていた。つまり長い間、人が住めない地域になるという事だ。もちろん素人の当て推量だから、占いみたいに当たるも八卦、当たらぬも八卦というレベルの予想である。でも一応は原発に関する本はこの二十年くらいで様々読んできて、TMIにしてもチェルノブイリにしても、過大評価論者から過少評価論者まで、幅を持って目を通してもいる。それで僕の脳味噌でも理解したのは、本当は誰も正確な被害は分からないという事だ。広島や長崎の被爆から始まり、核実験のアトミックソルジャーやビキニ環礁の住人、様々な原発事故、そして動物実験などで集められたデータはある。しかしすべての因果関係を証明し、明確にするためには人体実験を繰り返し行う以外に方法はない。でも専制君主の時代ならともかく、現代においてはそんな事が出来るわけはない。だから人体への影響と説明されているものは基本的に蓄積された歴史からの類推である。それをより悲観的に解釈するか、楽観的に解釈するか、結局はその違いに過ぎない。

最後に判断すべきは自分自身でしかないという事だ。

 チェルノブイリ原発事故の時、僕は二十二歳だった。八千キロも離れた日本でも母乳からまで放射能が検出されと一部では騒ぎになった。特にヨーロッパではパニックと言っていい状況となり、今後世界では白血病やガンが増えると断言した者もいた。しかし結局のところチェルノブイリ近郊をのぞけば騒がれたほどの被害は確認されていない。悲劇的だったのは政治の犠牲になった作業員たちと近隣住民だ。今回も深刻なのは福島原発の周辺と作業員だと考えるのが妥当だろう。

ともあれ福島原発から仙台までは約百キロある。チェルノブイリから現在ウクライナの首都であるキエフと同程度の距離だ。チェルノブイリ事故の時、キエフの住民は退避になってはいない。今も深刻な影響が残っているほどならウクライナはわざわざキエフを首都にしないし、順調に人口を増やし続けて二百五十万人も住む都市にはなっていない。当然、そこに政府要人が住んだりする筈もない。

僕は勝手に福島原発の一部の炉はメルトダウンしていると考えていたが、それで放射性物質、特にプルトニウムやストロンチウムが降ってくるとしても、原子炉は停止して制御棒も入った状態だから、冷戦時代の米ソから始まり、原爆実験で撒き散らした量と大して変わらない程度だろうと思った。大気圏中での核実験が禁止されたのは僕が生まれる前の年(一九六三年)で、それまでにアメリカだけで三百回以上の地上実験がある。ソ連だって変わらない程度はあったし、あまり報道されてはいないがセミパラチンスク実験場の汚染の深刻さは相当なものだ。中国もイギリスもフランスも二桁の回数で大気圏内実験をやっている。地中実験も含めれば世界で核実験は二千回を越えているのだ。ちなみに僕や妻が生まれた頃は、過去ににおいて一番フォールアウト(放射性物質の降下)があった時期だったのは観測結果で分かっているが、それでも僕らはしぶとく生きている。

二十年くらい前にはソ連が放射性廃棄物を日本海に投棄していた事件だってあった。米ソの原子力潜水艦は原子炉を積んだまま何隻も沈没しているし、事故で冷却水や放射能漏れも数限りなくあり、米のSL1事故で亡くなった作業員の遺体は放射性廃棄物扱いされたといわれてもいる。

そうさ。この世界はとっくに汚染されている。

ゴジラはビキニ環礁での水爆実験で目覚めたし、東京に上陸した日は第五福竜丸が日本に戻ってきた日と同じである。それが偶然である筈がない。世界は汚染され、その後の時代を生きる人たちへのリスクとして怪獣の形で伝えられてきた。

 そもそも人は生きているだけでリスクを負っている。車に乗れば、いや道を歩いているだけでも交通事故に巻き込まれるリスクはある。もちろん飛行機だってそうだ。紫外線を浴びれば皮膚ガンの発ガンリスクは高くなるし、タバコなどとんでもない毒性だ。命を救う筈のワクチンも一定の確率で亡くなる事だってあるし、全身麻酔も目を覚まさない可能性が医師から説明され、了承のサインをする。他にもたくさんのリスクと可能性が転がっている。

 もっともすべては僕の考えであって、別にそうではないよという人がいてもいい。あくまでも僕にとっての世界とはそういうものだという事だ。僕は僕以外の世界を否定はしない。けれど絶対的な真実なんてない事だけは確かだ。タバコを百歳まで吸い続けても元気な人は間違いなくいる。一時は麻薬で廃人同然と言われたエリック・クラプトンも、まだ元気でギターを弾いている。問題は何を選択するかであって、それぞれ人はその選択の理由を探している。

 だからこの文章の中の話はあくまでも僕が選択した事の話に過ぎない。

 その視点で話を続けよう。

 少なくとも僕は原発から二百キロも離れた東京にある放送局が、そこまでパニックする理由は今のところないだろうに、と思った。むしろ大騒ぎしたいのは福島県の沿岸部の人たちの筈だ。これで地震被害、津波被害、原発事故と三重苦にさらされる事になった。放射能は目に見えないだけに、風評被害も加わるのは時間の問題だ。それなのに弱者目線の報道はほとんどなく、「日本に」大変な事が起きたと煽っている。大変なのは東北を中心とした太平洋沿岸部なのに、日本全部に範囲を拡大する事にどんな意味があるのだろう?

 政治の側からみれば、「戦後最大の日本の危機」と言った首相だから、日本人全員で痛みを分け合おうという口実で、消費税を引き上げ、復興財源に当てようとするのには、全国民レベルの危機であった方が都合がいい。マスコミの側からみれば、危機を煽れば煽るだけ視聴率が高くなるのかもしれない。

 いずれにしても被災地はおいてけぼりだ。

 僕はふと渦中にあるひとつの町を思う。

 かつて原発からすぐそばの浪江町にある小さな温泉宿に泊まった事がある。眠っていると真夜中に金縛りにあい、どこからか規則正しく行進するような足音が聞こえてきて、目を開けるとゲートルを巻いた足が見えた。そのいでたちから旧日本陸軍の兵隊だなと思っていると、行進は僕のお腹を踏みつけて、整然と通り抜けて行った。奇妙な事にそれからしばらくして胆嚢炎になり、胆嚢を摘出したのだが、踏まれたのはちょうどその辺りだ。別に本気で幽霊を信じているわけではないが、その宿は退避勧告が出された中にある。今頃はそんな幽霊だけが住んでいる町になっているのだろうか?

 

 ニュースは原発から被災地の状況に変わった。

 死者はどんどん増え続けている。行方不明者もまた増え続けている。

 普通ならば、死者数が増えると行方不明者の数は減る。それなのにどちらも増え続けている状況は異様でさえある。それは未だに孤立者や安否確認が滞っている状態だという事だ。

 避難所生活の状況もむしろ悪化しているようだ。何もかもが不足しているという声が聞こえてくる。更に自宅で頑張る被災者などはまったく触れられもしない。石巻辺りには相当数いる筈だし、場所によってはそちらの方がひどい状況だろう。

日本はどんな災害でも、最初の三日間を自力で頑張ってくれれば、必ず国が救済すると豪語していた。しかしどうやらそんな安全神話も、原発同様に崩壊したと言っていい。政府はどうも原発問題で手一杯らしく、被災地支援は後回しにしているように感じる。かけ声のわりに何の対策もうっていない。災害が広域過ぎて地方自治体だけではうまくいかないのは目に見えている。関西広域連合や近隣の自治体がいち早く支援してくれたが、国が入らないと効率が上がらない事もある。たとえば二つ隣の奥さんが生まれた気仙沼市は宮城県だが、この町に入るには岩手県の一関市から沿岸に下るのが近道であり一般的だ。その方が効率的なのは宮城県や岩手県南部の人ならほとんど知っている。特に今回のように海沿いの国道が断絶した場合は、気仙沼に物資を送るなら宮城県だからといって仙台市から送るのではなく、岩手県の一関市からにした方がいい。しかし県が違うのでその当たりの調整は難しくなる。一関市は同じ岩手県の大船渡市などにも物資を送る拠点になるからだ。福島県の相馬市や新地町も似た状況かもしれない。原発問題もあり南側が遮断されているため、内陸で山越えになる福島市からよりも、宮城県南からの支援ルートを確立した方が早くて安全に運べそうな気がする。いずれにせよ今回のように広域被害の場合、県や市町村を越えて指揮ができるよう、政府から調整役を派遣すべきだ。事実、状況に即して県の垣根を越えられる自衛隊が一番効率的に機能している。

孤立状況の相馬市には大学の頃の友人がいる。数年前に偶然仙台駅の東口で会った時は、インドにはまってしまい、しばらく滞在して帰ってきたばかりだと言っていた。南インドは昨年もテロ事件があったり、治安は決してよくはないようだが、今はもしかしたらインドの方が住みやすいかもしれない。そのインドからも被災者支援の毛布が届いたりしているようだが、せっかく多数の国々から支援表明があるのに、それを受け入れられる態勢もないようだ。もしかしたら単に政府の面子なのかも知れない。だとしたら実にくだらない見栄だ。


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