酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

ジャスコな話1 小学校の頃 再び

2007-07-17 11:54:23 | 塩竈小学校の頃の話
「ジャスコ出来んのっしゃ」今朝の河北新報に載っていた記事の話題でした。
昭和48年春の事です。
「ジャスコ?何っしゃ?」
「ジャスだべ。体操着かや」(解説 仙台弁 「ジャス」ジャージの事。酔漢自身大学入学時まで、この言葉が方言だとは知りませんでした。ちなみに岩手九戸あたりが北限。福島は浜通りあたりは使ってない様子。山形は市内と仙台より周辺。酒田、新庄は正確にジャージと言っていた模様。秋田は不明)
「なんでも、関西の方のでけぇスーパーみていだど。食品はあたりめぇだけんど、電気製品なんかも売ってんだとや」
「エンドーチエーンよりでけぇのかや」
「5階建てなんだとや」
「塩竈さぁもついにデパート出来んだなや」「デパートとは違うみてぇだど」
「どこさ出来んのっしゃ?」
「貨物駅のそばだっちゃ。今、整地しってぺ」
「北浜かや、近ぇんでねぇか」
「5階立てだったらっしゃ、合同庁舎よりでけぇんでねぇか。ほしたらっしゃ、塩竈で一番高い建物だべ」

ジャスコ塩釜店出店の話題でした。当時の大手スーパーは駅前立地、ペンシル型複合ビルの中規模GMS(ゼネラルマーチャンダイジングスーパーマーケット 総合スーパー)の建設を競い合っている時代でした。仙石線西塩釜、東塩釜間の複線化に伴う、高架線事業が見越されている為、将来的には本塩釜駅前立地となるのです。出店には、商店街などから反対運動も出ました。また、塩竈神社より塩竈港を見下ろす丘の直線状に立地するため、景観保護の観点からも出店反対運動が出たと記憶しております。
これからの話は、ジャスコ建設前から出来上がるまで、僕らのかかわったジャスコ塩釜店にまつわるお話です。

話はそれより少し前、整地された広大な空き地に「木下大サーカス」が来る事から始まります。
酔漢は商店街を母と買い物をしておりました。
途端、チンドン屋の登場です。(塩竈には、県内唯一のチンドン屋が昭和57年まで存在しておりました。「塩竈楽団」です。5人編成の列記とした正統派のチンドン屋でした)テレビドラマで登場するような場面でした。お馴染みの音楽が商店街に響き渡ると、僕は御茶屋さんを飛び出しました。母はお茶の試飲をしながら、おばさんと談笑中です。(菅原園です)と、いつもより、チンドン屋さんの人数が多い事に気づきました。
ピエロがおりました。何かビラを配っております。僕はそのビラをもらい、再び店の中へ入りました。
「何もらってきたのっしゃ?」
「なんだかしゃねけっと、もらってきたっちゃ」
「んで、見せてけらいん。   サーカス来んだなや」
「サーカス?」
「北浜の空き地に来週からサーカス来んだとっしゃ」
それから、3日後、巨大なテントが空き地にお目見えいたしました。
サーカス本番は、まもなくでした。で、相変わらずエツジ(5.6年時の学級担任)の登場です。
「あさってから、木下サーカスやるんだけんど、いいか絶対子供だけで見さぁ行ぐんでねぇど。と、言っても行ぐ奴は必ずいるんだけんど。今度はバツ当番じゃすまねぇかんな」
「親とならいいんでしょ」ゆきえちゃんです。
「親とならいいんだ。今から割引券配からっしゃ」
「学校で割引券配ってけんのすか?」
「市内の小学校さぁ配られんのっしゃ。100円引きだけどな」
「わたし、お父さんちょうど塩竈に帰ってくるから、連れてってもらうのっしゃ」
「何、ゆきえ。お父さんの船帰ってくんのか?どのくらい行ってた?」
「今回はだいたい2ヶ月ちょっとかな。九州の港には行ってたけど。塩竈は久しぶりっしゃ」
ゆきえちゃんのお父さんは遠洋漁業の船の機関長でした。
「んで、くれぐれも、親と一緒でなくてはだめだかんな」

「おれ、サーカス見た事ねぇおん。酔漢あっか?」後藤君です
「おれ、仙台さぁボリショイサーカス見さぁ連れてってもらった事あるおん」
「おれ行った事ねぇおんな。んで、今度火曜日にかあちゃん仕事終わってから連れていってもらうことにしたのっしゃ」
正直、酔漢自身はあまり興味はありませんでした。父の仕事が忙しかったし、先にみた、ボリショイサーカスの印象が強烈だったからかもしれません(仙台スポーツセンター脇でやりました)
クラスでも、毎日、一人づつ、サーカスを見たという友人が増えていくといった感じでした。
空中ブランコ、バイクが球体の中を衝突もせず走って行く様子やトラの火の輪くぐりなど。
塩竈市最初で最後(これ以降はおそらくサーカスは来ていないと思います)のサーカスは一ヶ月の興行を終了し、去っていきました。僕らより3つ下の学年には、サーカス関係者の子供が転校してきたそうです。
サーカスで賑わった街の様子はとたんに静けさを取り戻しましたが、例の空き地では、大型クレーンが数台、大きな音を立てておりました。いよいよジャスコ塩釜店の工事が始まりました。鉄骨が組上げられ、だんだんと建物の形が見えてきました。
「北浜さぁ帰る奴は工事現場さぁ近づくなよ。何落ちてくっかわかんねぇからっしゃ」エツジは注意するよう、ほとんど毎日話ししてました。
「そんな事あるわけねぇっちゃ」
僕らは本当に何か落ちてくるなんて考えもしませんでした。
ある事件(事故)を見るまではね。

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