本日午後。宅急便が一個口。我が家着。
家内が玄関へ走り、受け取る。その声。
「えーーっつ!届いた!今年も!今年も・・よ!」
大きな声を上げる事が珍しい我が細君である。
「よほどの荷に違いない」
「ありがとうございました」
宅配便業者に笑顔で感謝すること。これもめずらしい。
小走りにリビングにかけてきた彼女。
「ねぇ、これ見て!桃ヨ!もも!チー坊からだよ。今年も来たよ」
一人旅に出ているシティラピッド君が不在の他は、家内も年下も我が家に在宅中。
酔漢も今日は休日。
タイミングを計ったかのような贈り物である。
「どこから?広野町は警戒区域だろ。彼女はどこから・・・」
「伊達ってあるよ」
「福島の桃は・・・今年はないと思っていた」
チー坊は、酔漢、そして家内と共に東北福祉大学で同じ研究室にいた同級生。
古い付き合いであった。
以前、「落語の話」で、酔漢が落語をしていた事を語ったが、彼女は2回ほど、聞きに来てくれた。
必ず、花束を酔漢に渡してくれた、やさしい女性であった。
家内とは研究室ではよく話をし、また飲み会の席では、家内の隣には必ず彼女が座っている。これは我がゼミナールの当たり前な風景であった。
現在は、福島県広野町の役場に勤めている。
福島第一原子力発電所の事故の折、「役場ごと避難した」とは聞いていた。
福島県田村町内に役場機能を移設し、「町長はじめ、全員が町の機能を維持するため、奔走している」とも聞いていた。
実家は無事なものの、避難所生活を余儀なくされ、「大家族である彼女の実家は仮設住宅へ引っ越した」とも、聞いていた。
そして、放射能問題や、「農地の放棄」も報道され、「あの美しい桃の香り」は暫く味わえない。
桃だけではない、「故郷の味」「酔漢のソウルフード」そのものが、失われ、復興を待つまで味わえない。
これは、誰しもがそうであるように、あれだけの被害を受け、今だ復興の道しるべさえ見えない状況で、それは後々までの事と思っていた。
いつもと、変わらない箱。
しかし、昨日の「菓子」でもそうだけど「がんばろう」の文字がやはりそこにはある。
被災地へ向けて「くだまき」では「がんばろう」という言葉は使いたくなかった。
であるが、被災地では「がんばろう」の文字が目につくようになった。
前向きに、事を進めている。そんな意味であろうか。
「JAだて みらい」
農家のご苦労が察することが出来る。
上記ホームページでは、やはり「放射線量の測定結果」が事細かに記載されていた。
「おいしい桃を全国へ」の思いで、農家が丹精込めてこさえた、一つ一つの桃である。
いつもより「いとおしく」感じてしまう。
近所の桃ではないけれど、彼女は桃を届ける為に方々探したのであろう。
彼女の気持ちも、本当に嬉しい。
福島の桃には、クリス様のコメントが新しい。
我が家では、桃をお客様に出す時は皮を剥き、食べやすく切って盛りつけていましたが、私達がおやつに一人一桃を与えられますと、
「外で食べろ」
と言われ、よく洗った桃を外の日陰でかじったものでした。
3人も子供がいますと、親の方でもいちいち剥くのが面倒だったのでしょう。
既婚の上の弟宅で、食後に桃を奥さんが出してくれた時に思い出して、聞いてみたのですよ。
「あんた、桃は皮剥かねぇでも食えっか?」
したら、奴はこう答えたわけです。
「桃は皮剥かねくても食えっぱい」
やはり私の弟でした(笑)
夏の暑い日差しの中。
蝉が鳴く林から吹く風。
旬の桃を頬張る子供たち。
そんな風景が目に浮かびます。
福島からの便りは、残暑厳しい今日。
とても涼しい香りを運んでくれました。
チー坊。ありがとう。
家内が玄関へ走り、受け取る。その声。
「えーーっつ!届いた!今年も!今年も・・よ!」
大きな声を上げる事が珍しい我が細君である。
「よほどの荷に違いない」
「ありがとうございました」
宅配便業者に笑顔で感謝すること。これもめずらしい。
小走りにリビングにかけてきた彼女。
「ねぇ、これ見て!桃ヨ!もも!チー坊からだよ。今年も来たよ」
一人旅に出ているシティラピッド君が不在の他は、家内も年下も我が家に在宅中。
酔漢も今日は休日。
タイミングを計ったかのような贈り物である。
「どこから?広野町は警戒区域だろ。彼女はどこから・・・」
「伊達ってあるよ」
「福島の桃は・・・今年はないと思っていた」
チー坊は、酔漢、そして家内と共に東北福祉大学で同じ研究室にいた同級生。
古い付き合いであった。
以前、「落語の話」で、酔漢が落語をしていた事を語ったが、彼女は2回ほど、聞きに来てくれた。
必ず、花束を酔漢に渡してくれた、やさしい女性であった。
家内とは研究室ではよく話をし、また飲み会の席では、家内の隣には必ず彼女が座っている。これは我がゼミナールの当たり前な風景であった。
現在は、福島県広野町の役場に勤めている。
福島第一原子力発電所の事故の折、「役場ごと避難した」とは聞いていた。
福島県田村町内に役場機能を移設し、「町長はじめ、全員が町の機能を維持するため、奔走している」とも聞いていた。
実家は無事なものの、避難所生活を余儀なくされ、「大家族である彼女の実家は仮設住宅へ引っ越した」とも、聞いていた。
そして、放射能問題や、「農地の放棄」も報道され、「あの美しい桃の香り」は暫く味わえない。
桃だけではない、「故郷の味」「酔漢のソウルフード」そのものが、失われ、復興を待つまで味わえない。
これは、誰しもがそうであるように、あれだけの被害を受け、今だ復興の道しるべさえ見えない状況で、それは後々までの事と思っていた。
いつもと、変わらない箱。
しかし、昨日の「菓子」でもそうだけど「がんばろう」の文字がやはりそこにはある。
被災地へ向けて「くだまき」では「がんばろう」という言葉は使いたくなかった。
であるが、被災地では「がんばろう」の文字が目につくようになった。
前向きに、事を進めている。そんな意味であろうか。
「JAだて みらい」
農家のご苦労が察することが出来る。
上記ホームページでは、やはり「放射線量の測定結果」が事細かに記載されていた。
「おいしい桃を全国へ」の思いで、農家が丹精込めてこさえた、一つ一つの桃である。
いつもより「いとおしく」感じてしまう。
近所の桃ではないけれど、彼女は桃を届ける為に方々探したのであろう。
彼女の気持ちも、本当に嬉しい。
福島の桃には、クリス様のコメントが新しい。
我が家では、桃をお客様に出す時は皮を剥き、食べやすく切って盛りつけていましたが、私達がおやつに一人一桃を与えられますと、
「外で食べろ」
と言われ、よく洗った桃を外の日陰でかじったものでした。
3人も子供がいますと、親の方でもいちいち剥くのが面倒だったのでしょう。
既婚の上の弟宅で、食後に桃を奥さんが出してくれた時に思い出して、聞いてみたのですよ。
「あんた、桃は皮剥かねぇでも食えっか?」
したら、奴はこう答えたわけです。
「桃は皮剥かねくても食えっぱい」
やはり私の弟でした(笑)
夏の暑い日差しの中。
蝉が鳴く林から吹く風。
旬の桃を頬張る子供たち。
そんな風景が目に浮かびます。
福島からの便りは、残暑厳しい今日。
とても涼しい香りを運んでくれました。
チー坊。ありがとう。
福島は、地震、津波、原発と多くの課題を抱えてしまいました。
福島の友人たちと連絡を取り合っておりますが、まだ復興には程遠い状況のようです。
また、お立ち寄りください。
ご友人からの桃。
食してみて、「やはりおいしい」と思いました。
例年の4割ですか。この数値は知りませんでした。風評でしょうか。
農家が丹精込めて作った桃です。
少しでも、多くの人たちへ届くことを祈っております。
小名浜と仙台平野の冬の平均気温が氷点下にならない。
これは東北では、珍しい土地だったと知りました。
「仙台からは山が見えない」
青森から大学に来ていた友人がそれが一番さみしいと申しておりました。
その前の日にテレビで福島の果樹農家が例年の4割しか売れないと嘆いているのを見ました。
福島の温泉に行って、帰りに桃を1箱買おうかとも考えましたが、天童のかき氷に心奪われて山形に行ってしまいました。
そんな次の日にもらった桃はとても甘くて美味しいものでした。
あ~、やっぱり土湯峠の涼しい温泉に行って帰りに桃を買ってくればよかったと後悔した次第であります。
一生懸命に育てた桃が売れない農家は、この怒りをどこへぶつけたらいいのでしょうね。
私が生まれ育ったのは、郡山市でもずっと外れの、かつては安積原野と呼ばれた地域になります。
阿武隈川より標高が高くて水が引けず、安積疏水で猪苗代湖の水の供給を受けることで、米作りができるようになったと教わりました。
ご当地の踏み絵?だったか、そんなサイトで県民性チェックをした時に、
『ファン・ドールンを知らない日本人がいるなんて、信じられない』
という項目に思わず吹きました。普通知らないだろう、と(笑)
今でこそ県の中心という恵まれた立地から、交通の要衝、物流や産業の中心地としての発展がありますが、こういった時代背景があるせいか、郡山は新しく、そしてよそ者が多い土地だったのでしょう。
そして、山で隔てられて、東西への移動があまりなかったらしく、県民性や文化なども山で三分割されますね。
私が初めて仙台で冬を越した時、
「やっぱり仙台のが、ちっとあったけぇなぁ」
と思いました。海っ端の気候を身をもって実感しました。
太平洋側ですから、地元と一緒で、結局風は強いんですけど。
雪が真横に降ることが度々あった、と申しますと、関東平野の方々は一様に押し黙ってしまわれますね。5cm積もったら大雪、の方々ですから…。
千葉は梨有名ですね。
実は私が今住んでいるところのすぐ近くに、埼玉県内では有名な梨の産地があり、地元の人間は、この地場産の梨を殊の外好んでおります。
水分量が多く、夏の火照った身体の熱を冷ますには、持ってこいです。何せ、暑いぞ熊谷のすぐ近くですので………。
秋の味覚、充分に堪能してくださいませm(__)m
と聞かれましたら、「陸前の生まれ」と返答します。
国、(故郷)と聞かれたら、これが正しい答えかと思っております。
生まれた県は?でしたら宮城です。
他は塩竈と答えます。
福島は、磐城、郡山、福島、会津など。
それぞれ、違った文化を持ってますよね。
これが、福島の面白いところなんです。
明治以前、江戸時代後半、会津は仙台に次ぐ東北第二の都市。その歴史を振り返ります各に、歴史に振り回された街を思います。
郡山は東北線全線開通時に発展しました。
東北の拠点ですね。
山々に囲まれた東北の各都市。
真っ平な仙台の方が、珍しいのではないか。そう思えてきます。
福島の桃の次に、千葉から梨が届きました。
秋の気配を感じました。
伊達の桃、届きましたか。県北の桃は有名ですから、酔漢産ご一家が食べ慣れた味ではないかもしれませんが、きっと美味しいに違いありません。
農家の方々のご苦労様には、ただただ頭が下がるのみです。
米も出荷できるといいなぁ、と祈るような気持ちです。実際、祈ることしかできないのですが。
当地は山梨が近いせいか、桃のみならず梨も山梨産や他県産が多くて、
「山梨は有名かもしんにーげど、福島の桃・梨だってうめぇばい」
といつも心の中で呟いていました。
きっと、東北とは思えないほど過酷な盆地の気候に育てられたDNAがそう思わせるのです。
帰省するからには、地元・福島県産の桃も梨も心行くまで堪能してから戻りたいものです。
もちろん、桃は皮ぐちら食べます!(よーく洗ってから)
何処へ行っても、
『福島出身なんでしょ?』
と言われる度に、違和感を覚えて頑なに、
『福島"県"です。私、郡山なんですよ』
と言い直す私は、どれだけ頑固な人間なんでしょう…(-_-;)
だって……郡山だって、充分知名度高いはず…。中核市だし、新幹線停まるし…(←鉄道好きには理解される)