今朝の朝刊を読んでいた。
開きっぱなしで、もう30分も経っている。
「亡くなられた方々」
このページである。
知人が大勢掲載されていた。
「生きていてほしい」
「無事で生きていてほしい」
願いは叶わなかった。
悔しい。やはり悔しさはつのるばかりである。
地震直後、母の安否がまず気になった。最初に欲しかった情報であった。
次は親戚、従弟、丹治さん。
だが、気になる事が一つあった。
「宮城県七ヶ浜町 . . . 本文を読む
双葉郡広野町より、毎年夏の便りがやってくる。
夏にしか味わえないその便り。我が家の風物詩となっていて、楽しみでもある。
「桃」である。
型も見事ながらその味わい、風味も見事で、「なるほど福島の桃は全国一だ」と思わざるを得ない。
贈り主には「毎年、毎年申し訳ない」と思うものの、ひそかな楽しみである。
大学時代、酔漢と家内と共に研究室で机を並べていた「ちー坊」(女性です。笑顔の素敵な人です)がその贈 . . . 本文を読む
仙台空港滑走路が使える。
松島基地滑走路が使える。
霞の目飛行場滑走路が使える。
塩釜港にめどがたった。
あとは、陸路の確保であろう。
現在、山形経由陸路他、それを多方面に用意すること。
急務である。
昨日、地震翌日に用意した、酔漢が務める会社経由の救援物資が戻ってきた。
「陸路確保が難しい」「燃料の確保が困難」これらが理由である。
衛生用品、トイレットペーパー、毛布、粉ミルク、等大きなダンボー . . . 本文を読む
地震当日の午前中。
次男は前日に卒業式を終えた。
酔漢も休みである。
めずらしいコンビであった。
次男の自転車好きは「くだまき」でも語ったところである。
「親父、走ってて一番よかった道とかある?」
「そうだなぁ、苦労したけど国道45号線、大船渡まで。この道はおもしろい」
アップダウンが激しい。
山道を走ったかと思ったら急に視界が広がり、青い海が眼前に広がる絶景。
峠を越えたら海。
「峠越えの苦労を . . . 本文を読む
丹治さんの消息の件で多くの方が心配されているのが解りました。
本来ならば、お一人づつコメント申し上げるところ、「計画停電」または「節電」の為PCの使用を極力控えております。
今の時間は東電の情報をいち早く得る必要性からPCを使っておりますが、間もなくシャットダウンをして、本日の使用はなしにいたします。
わずかでも、「被災地へ電力がいきわたれば」そう思っております。
推察ですが、丹治さんのお住まい . . . 本文を読む
この春、中学を卒業したばかりの次男(酔漢の息子、シティラピッド君の弟)は、家にいる事が多い日々。
彼は丹治さんと、父の葬儀等で逢ってから、すっかり彼のファン。
「俺!絶対見つけてやる」と言っていた。
しつこく、無駄と解っていても、自宅の固定電話から、丹治さんの携帯へかけ続けていた。
かけた回数は百回近く。
「親父!心配するな丹治さん訳あって連絡つかないだけだから」
彼はいつもそう話していた。
酔漢 . . . 本文を読む
住んでいる地域、神奈川腱藤沢は間もなく計画停電に入ります。
仕事場は横浜旭区ですが、予定通りにいきますかどうか。
この時間に短い「くだまき」です。
情報が多そうで、必要な情報が少ないのと感じるのは「我儘」と承知しているものの、やはり、苛立ちはかくせません。
昨日、被災地へ緊急物資を詰め込みました。
ダンボールに落書きをしまして送りました。
気持ちをこめて「がんばれ!」と書きました。
故郷離 . . . 本文を読む
地震発生時14時48分頃。
藤沢自宅も相当の揺れ。
これは最初に語りました。
先ず、母の安否が心配でした。(塩竈小松崎)
連絡が取れずにおりましたところ。
15時21分。メール受信。
丹治道彦さんからです。
その内容
水戸行の途中。新地で地震。
行くも戻るも交通ストップ。
母、松島にあり。心配です。
安否が確認できた最初の人物でした。
が。
写真です。(産経新聞より抜粋。断りなく申し訳ございま . . . 本文を読む
幸いに塩竈実家、母無事を確認しました。
が、映像をみて驚愕。
名取閖上を津波を襲う映像がライブで流れました。
名取下余田に住む親戚に電話。偶然つながりました。
電気がなく、津波が迫っていることに気づかない様子。
なんとか避難できたようですが、まだ安否を確認できない親類知人多数。
ただただ、ひたすら無事を祈るばかりです。
地震、津波余談を許さない状況。
一夜明け被害の様子もわかる時間。
情報は . . . 本文を読む