暴走老人 藤原智美 著 文芸春秋
暴走老人というタイトルだったが、
老人と呼ばれる年代の人々のことばかりが書かれているのではなかった。
現代社会における人とのかかわり方の変貌を
高齢者の行動の側面を観察しながら鋭く深く著者の主観と推考で語られている。
携帯やインターネットの普及で変化した「時間」に対する感覚変化、
個室化が進み、目に見えない個のバリアを張り巡らし、
テリトリー感覚が強力になった「空間」、
新しいサービス産業が商品化する丁寧でマニュアル化する「感情」の三側面から
社会の透明なルールの変化、人間内部の精神の変化についていけない人々の
感覚のズレに焦点を当てて考察している。
警察のお世話になってしまったり、警察沙汰にならなくても
社会生活の中でキレる人々の行いや
普通に生活していても社会の変容に乗り遅れてしまう人々が
たくさん紹介されていた。
この本ではそのような高齢者の人々を新老人と呼んでいる。
年齢を重ねたら我慢のし方も
若いときよりも我慢をしなくなってくる人が多いのは事実だと思う。
自分の周りの60代から70代以上の年齢層の人々は
確かに携帯やiPodやインターネットなどとの関係を
持たない人々が圧倒的に多い。
このような最新の機器による恩恵を当てにしなくても
年配の方々の長年培ってきた勘や経験は
若い年齢層の人々には代え難いものがあるはずだと思う。
しかし、新老人の感覚のズレは現代社会からわかっていないもの、
迷惑なもの、やっかいなもの、トラブルメーカーのように排除され、
なるべくかかわりたくないという世代ギャップも生んでいるかもしれない。
この現代社会の目に見えない変容に対して、
また、上辺だけのコミュニケーションや笑顔や
社会の目に見えない変化に対して、
最後のまとめで著者が言うように
新老人は鈍感であるのではなく、敏感なのであり、
彼らの叫びと暴力は現代社会に対するひとつの警告なのだ。
ある意味、今後ますます変わるであろうと思われる
社会の変容のしかたに警告と戒めであるように私も思う。
暴走老人というタイトルだったが、
老人と呼ばれる年代の人々のことばかりが書かれているのではなかった。
現代社会における人とのかかわり方の変貌を
高齢者の行動の側面を観察しながら鋭く深く著者の主観と推考で語られている。
携帯やインターネットの普及で変化した「時間」に対する感覚変化、
個室化が進み、目に見えない個のバリアを張り巡らし、
テリトリー感覚が強力になった「空間」、
新しいサービス産業が商品化する丁寧でマニュアル化する「感情」の三側面から
社会の透明なルールの変化、人間内部の精神の変化についていけない人々の
感覚のズレに焦点を当てて考察している。
警察のお世話になってしまったり、警察沙汰にならなくても
社会生活の中でキレる人々の行いや
普通に生活していても社会の変容に乗り遅れてしまう人々が
たくさん紹介されていた。
この本ではそのような高齢者の人々を新老人と呼んでいる。
年齢を重ねたら我慢のし方も
若いときよりも我慢をしなくなってくる人が多いのは事実だと思う。
自分の周りの60代から70代以上の年齢層の人々は
確かに携帯やiPodやインターネットなどとの関係を
持たない人々が圧倒的に多い。
このような最新の機器による恩恵を当てにしなくても
年配の方々の長年培ってきた勘や経験は
若い年齢層の人々には代え難いものがあるはずだと思う。
しかし、新老人の感覚のズレは現代社会からわかっていないもの、
迷惑なもの、やっかいなもの、トラブルメーカーのように排除され、
なるべくかかわりたくないという世代ギャップも生んでいるかもしれない。
この現代社会の目に見えない変容に対して、
また、上辺だけのコミュニケーションや笑顔や
社会の目に見えない変化に対して、
最後のまとめで著者が言うように
新老人は鈍感であるのではなく、敏感なのであり、
彼らの叫びと暴力は現代社会に対するひとつの警告なのだ。
ある意味、今後ますます変わるであろうと思われる
社会の変容のしかたに警告と戒めであるように私も思う。