〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

環境の危機と私たちの未来――どうなるかではなく、どうするかだ

2020-02-01 | 持続可能な国づくり
すっかり更新が滞ってしまった。

私事だが、普通に組織に勤務し、子供が一人とはいえ共稼ぎで育て(今や女性に職をあきらめろなどとはとても言えない)、地縁・血縁も薄いとなると、楽しいがそれだけで人生は手一杯という感じがする。

それにしても曲がりなりにも人の親になって思うのは、日本と、そして世界の今後の明らかな危機状況である。
このままでは次の世代に大変な負の状況をもたらしてしまう。というか、現にもたらしているわけである。

文字通りの「20世紀最大の謎」に関する推理のブログはまだまだ書くことがあるが、すでにそうする意味も感じられない。大げさなようだが、そんな趣味にかまけている時間は私たちには残されていない。

今後更新することもないと思うので、ご興味や疑問がある方はコメントでもいただければ幸いである。
年末年始に改めてM・レーン『大がかりな嘘』を読んだが、これは真相に肉薄した正真正銘の名著だと感じる。アメリカにもこうした硬骨の人物があったのだ。私の記事など読むよりも、またこの分野のほかの本を読むよりもこの一冊、という感じがしてならない。

さて、この地球環境の危機状況は、私が参加した限りでも2005年の「持続可能な国づくりの会」(今は縮小し「…国づくりを考える会」になっているが)で、当時のIPCC予測などを紹介するかたちではっきりと認識されていたことを思い出す。
当時を思えば懐かしいものだが、しかしその冷厳な予測は現状の事態の到来を少しも遅らせることはなかったように見えてしまう。
それどころか、すでに半世紀近く前に、現在の状況は予見されていたのである。ぜひ以下の記事をご参照いただきたい。
https://blog.goo.ne.jp/greenwelfarestate/e/312f30d0f667c5cc82f9eb37f97098e5

本気の行動…それがなぜできないのか。その理由は私たちの今のこの心にある。
言葉に対して本気になれない。言葉は無力なのであって、したがって真面目になることもできない。真実など相対的なものにすぎないのである。言葉に本気になれないのに、本気で行動することなどできはしない。

うまく言い難いが、問題は「言葉をどのように本気で心から受け取ることができるか」にあると思われてならない。
それがない限り、どれほど環境危機の実際のデータがもたらされようと、私たち、そして世界の人々、なかんずくリーダーの心に届くことはない。

どうしたらまともな言葉が私たちの心に届くのか?
――他人事はよそう。どうしたら、とりわけ自分の心に届くのか?

問題の本質が、私たちの内面にあるのはあまりにも明らかである。
この本質を抜きにして、最近よく聞く「SDGs」など、なんと白々しく空しいことだろう。
環境問題を扱う既成の集団や有力者、例えば環境問題のイコンとなっている北欧の某少女の発言にも、この視点が決定的に欠けているように見えてしまう。既成の体制を敵視するだけでは解決の糸口は見えるはずもない。

そうした状況の中、「持続可能な国づくりを考える会」は活動を再開し、このたび公開学習会を行うこととなった。
運営員会として私も参加するのだが、いまは小規模な集団にすぎない。
しかし、この大変な状況に対し欠けている最も本質的な提言を行っていることは間違いなく(ほかにあったらご教示いただきたい)、この点は勢力や人数の問題ではない。

 テーマ:「環境の危機と私たちの未来――どうなるかではなく、どうするかだ」(仮)
 日時:三月十四日(土)十三〜十七時
 会場:フォーラムミカサエコ(JR神田駅徒歩3分)

 詳しくは、近日中に会ブログなどで周知予定。ご覧いただき、ぜひご参加いただきたいと思う。


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