愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

八幡浜高校地歴部

2011年01月22日 | 日々雑記
いま、松山行きの高速バスのなか。

今夜は、一番町で、高校時代の部活の同窓会がある。

八幡浜高校地歴部という郷土研究部。

神楽を見に行ったり、藤原純友の日振島に巡検に行ったり、愛媛県編年史を読んだり•••。

遊んでばかりだったが、いま考えると結構まともな活動をしていたかも。

現在の自分の活動のルーツは、八幡浜高校地歴部にあったりするのだ。




上甲米太郎顕彰碑完成

2011年01月22日 | 日々雑記
1月29日に上甲米太郎顕彰碑の落成記念式典が行われます。

韓国併合100年という節目の年だった昨年末、八幡浜市川之内にある上甲家墓地に、上甲米太郎顕彰碑が建立されました。


上甲米太郎顕彰碑

上甲米太郎は1902年4月16日、西宇和郡千丈村川之内(八幡浜市)で生まれた。上甲家は歴代庄屋、父景吉は千丈村長も務めたが、植民地朝鮮に渡った。
米太郎も県立大洲中学を卒業すると、朝鮮に渡り、普通学校(小学校)の教員となった。朝鮮を愛し、朝鮮の独立を願い、朝鮮の子どもたちと共に生きる道を求めたため、校長の時、教壇を追われた。
太平洋戦争中は北海道•九州の炭鉱で、戦後は大牟田市で、朝鮮の人びとと暮らし、慕われた。
晩年は東京に移り、日朝協会の理事を務め、生涯、日朝友好のため尽力した。
1987年3月22日、八王子市で没した。享年86歳。ここ川之内に葬られた。


日時 1月29日(土)午後2時~
場所 川之内公民館
内容 上甲まち子(米太郎長女•青年劇場女優)記念講演
         父•上甲米太郎を語る