愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

伊予の地芝居‐文楽(人形浄瑠璃)‐1

2011年02月24日 | 祭りと芸能
一、はじめに
本稿では、愛媛県内の地芝居の中でも特に人形芝居(文楽・人形浄瑠璃)について取り上げる。そもそも人形芝居は日本全国各地に数多く伝えられているが、その中でも大阪で盛んだった人形浄瑠璃は、江戸時代以来、演技の優美さや繊細さで庶民の人気を博している。「文楽」という名前は、もともと人形芝居を上演する劇場の名前だったのだが、その後、この芝居そのものを指すようになり、現在では正式な名称として使われている。「文楽」は①太夫、②三味線、③人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つもので、太夫の「語り」と三味線が奏でる音にあわせて、三人の人形遣いが一つの人形をあやつることによって演じられる人形劇である。これは世界でも類を見ない独特のものとされで、平成十七年にはユネスコ「世界無形遺産」に登録されている。三人で操ることによって、喜怒哀楽といった表現ができ、非常に高い芸術性をもっている。
現在では、「文楽」は人形浄瑠璃の代名詞として使われることが多いが、大阪以外でもさまざまな人形浄瑠璃が全国に伝えられている。とりわけ兵庫県の淡路地方や徳島県では非常に盛んである。これらの地域では、江戸時代に徳島藩主の蜂須賀家から手厚い保護を受け、日本各地に人形浄瑠璃を広める中心地として繁栄していた。しかも、対岸の大坂の人形芝居・文楽とは、お互いに影響をあたえあいながら、阿波、淡路の人形浄瑠璃も発展してきた歴史がある。淡路には上村源之丞座など数多くの人形座があって、主に阿波の人形師によって作られた人形を使って全国を巡業してあるいた。伊予(愛媛)もその地域の一つである。阿波、淡路の人形浄瑠璃は全国に人形芝居を伝え、地元にも人形座ができていくきっかけをつくったが、とくに愛媛では、阿波、淡路の影響をつよく受けた地域といえる。戦前から継承されている座を見ると、現在でも、伊予源之丞(松山市)・大谷文楽(大洲市肱川町)・朝日文楽(西予市三瓶町)・俵津文楽(西予市明浜町)・鬼北文楽(鬼北町)の五つの座が活動しており、それぞれ、阿波、淡路の影響を受けている。
なお、愛媛県では人形浄瑠璃を「文楽」と呼ぶのが一般的になっている。「文楽」と称するようになったのは、昭和三十四年に県の文化財に指定され、年に一度、各団体による合同公演が行われるようになってからである。それまでは「人形芝居」などが一般的で、伊予源之丞はもともと「宝来座」と呼び、俵津文楽を「すがはら座」、大谷文楽は「中村座」と呼ぶように「○○座」と称することが多かった。ただし、朝日文楽は昭和二十年代前半には大阪から豊田穀栄らを師匠として招き、大阪系の文楽を習得したので、昭和二十年代には既に「文楽」の呼称を名乗っている。朝日文楽は現在では人形遣いの技術も大阪系を自認しており、戦後は、文楽・人形浄瑠璃・人形芝居の語彙だけでなく、技術についても大阪系・淡路系が錯綜している状態にある。現存する五つの座による合同公演会は平成二十一年(西予市宇和町で開催)で五十一回目を迎え、愛媛の文楽の保存・継承の要となっている。その他にもそれぞれの座・保存会では地域で定期公演を行っており、地元の人々の娯楽になっている。ここでは、愛媛県内に残る五つの座の歴史・変遷・現況を紹介することで、愛媛の文楽(人形浄瑠璃)の概要を紹介したい。