生徒より我が子優先? 勤務先の入学式欠席の教諭、計4人 賛否割れ
2014.4.15 08:09
埼玉県立高校の女性教諭が長男の入学式のため勤務先の入学式を欠席した対応が波紋を広げている。関根郁夫県教育長は14日の定例記者会見で「生徒 や保護者に心配をかけた」と学校側の対応に苦言を呈すると同時に「色々な考え方がある」と話し、「欠席」に至った経緯に一定の理解も示した。県教育委員会 には14日午前までに73件の意見が寄せられたが、賛否は割れている。(中村昌史)
「生徒や保護者に申し訳ない。心配りがあってよかっ た」。関根教育長はこう述べた上で、11日の県立高校長会で「保護者、生徒の声を受け高校生活を安心してスタートできるよう指示をした」と明らかにした。 県教委によると、73件の意見のうち、53%が女性教諭に理解を示す意見。34%が校長・教育長への批判、12%が教諭への批判だった。
女性教諭は勤務先の入学式前、長男の入学式に出席したい意向を説明し、校長らに休暇を認められた。式当日は別の教諭らが「大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびする」などとする教諭の文章を配った。
県教委が確認したところ、他にも同じ理由で勤務先を欠席した高校教諭が3人いたことを確認した。
関根教育長は入学式について「教員は基本的に出席する」と強調し、「私のときは子供の入学式には行かなかった」と、自らの経験を踏まえ語った。一方で「時代も少し変わってくる。われわれの時代感覚と違う。どちらが良い、悪いというのではない。難しい問題」とも話した。
今後の対応については「校長判断のもと学校は運営されている」とし、一律の指針などを示すことには否定的な考えを示し、「何が一番、大事なのか。その点を考えながら新しい運営をしてほしい」と述べた。
高校教諭 勤務校欠席し息子の入学式へ 教育長「生徒が心配する事態招いた」
埼玉県立高校の女性教諭が長男の高校入学式に出席するため、日程の重なった勤務先の入学式を欠席していたことが14日、埼玉県教育委員会への取材で分かった。
県教委によると、50代の女性教諭は8日、長男の入学式に出るため、勤務先の高校で担任を受け持つ1年生の入学式を欠席した。事前に休暇を願い出ていたう え、あらかじめ欠席をわびる文書を作り、式当日、別の教諭が保護者や生徒らに配ったという。校長も入学式の担任紹介で理由を説明した。
しかし同日、県教委に匿名で指摘があり、県教委が事実関係を確認。関根郁夫教育長は11日、県立高校長会で「生徒や保護者が心配になる事態を招いた」とし、適切なフォローや心配りを求めた。
県教委では、欠席した女性教諭や校長らの処分などは検討していないという。
担任の入学式欠席 教師が優先すべきは何か
これをおかしいと思うのは古いのだろうか。
埼玉県の県立高校で、新入生のクラスを受け持つ担任教諭が入学式を欠席し、息子の入学式に出ていた。同様の理由で担任不在だった入学式がほかの県立高校でもあり、県教育長は校長会で新入生や保護者に不安を与えないよう指示した。
家族は大切だ。どうしてもという事情があったのかもしれない。しかし、教職者だからこそ優先すべきことはあるはずだ。多くの教員に、改めて重い職責を認識してもらいたい。
50代の女性教諭は、息子が入学する高校の式と重なったことから入学式を欠席した。校長らに相談のうえ事前に休暇願を出して認められていた。
校長は入学式の担任紹介で「子供の入学式のために欠席」と説明した。教諭は「大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびする」などとした文書をつくり、副担任らが生徒や保護者に配ったという。
埼玉県教委が調べたところ、県立の別の高校で同様の例が3件あった。教育長は定例記者会見で「新入生や保護者に心配や不安を抱かせ申し訳ない」とし、校長会では高校生活を安心してスタートできるよう配慮を求めた。
わが子の入学式を優先するかどうか。この問題はネット上でも多く取り上げられ、賛否は拮抗(きっこう)している。埼玉県教委には電話やメールで意見が寄せられた。欠席を認めた校長らへの批判がある一方、欠席に理解を示す声が半数以上あったという。
かつて桜の中、親に手を引かれた子供たちが入学式に向かうのは、小学校の光景だった。
いまは、大学の入学式も保護者で埋まる時代だ。職場では家族を大切にし、家庭の事情に配慮する意識が進んでいる。欠席を認めた校長も、理解は得られると思ったのかもしれない。
だが、入学式は先生と生徒の出会いの場である。担任教師にとって特別な日ではないのか。
教え子のため、寝食を忘れる多くの教師がいたからこそ、「仰げば尊し」と尊敬の念が生まれた。「私」を抑え「公」を優先すべきときがあることを身をもって 教えることも教師の仕事であるはずだ。時代は変われど変わってほしくないものもある。教師は生徒を優先する存在であってほしい。