(@サンクトペテルブルク)プーチン大統領は世界一多忙
2014年5月29日00時00分
特派員リポート 駒木明義(モスクワ支局長)
やれやれ、なんて忙しい1週間だったんだろう。ずっとプーチン大統領を追いかけていた。
日曜日(18日)にモスクワから上海に向かい、月曜朝到着。火、水は中ロ首脳会談の取材。木曜日にモスクワ経由でサンクトペテルブルクへ。金、土は国際経済フォーラムの取材をして、土曜深夜にモスクワに帰任。日曜日は、ウクライナ大統領選の関連取材。息つく暇もなかったなー。
しかしこんな愚痴は、プーチン大統領の日程を調べた瞬間に吹っ飛んでしまった。参りました。とてもかないません。
プーチン氏が大統領専用機で上海に着いたのは、火曜日(20日)の未明。習近平(シー・チンピン)国家主席との首脳会談当日になってからだった。この日プーチン氏は、習氏のほか、江沢民元国家主席、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長、さらにアフガニスタンとモンゴルの大統領とも個別に会談。中ロ合同軍事演習の開始式典や、アジア信頼醸成措置会議(CICA)という国際会議の夕食会と歓迎コンサートにも出席するという過密な日程をこなした。
翌日は、CICAで演説したほか、イランのロハニ大統領と会談。20年来の懸案だったロシアから中国への天然ガス輸出の長期契約の署名式にも立ち会った。契約への署名を認める最終決断を下したのもプーチン氏本人だったはずだ。
驚かされたのは、翌日の木曜日(22日)。私が上海からプーチン氏の次の目的地だと思っていたサンクトペテルブルクへの長旅でふらふらになっている間に、プーチン氏はロシア極東のアムール州に立ち寄っていたのだ。
昨年の洪水被害からの復興状況の確認が主な目的。現地住民との対話や復興対策会議に出席したほか、水力発電所の建設現場や動物保護区の視察までこなしていた。
金曜(23日)と土曜(24日)、プーチン氏はサンクトペテルブルク国際経済フォーラムのホスト役として、八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せた。全体会合での基調演説と質疑応答、世界の主要通信社幹部との会見など、多くの場面がテレビで生中継された。「日曜日に行われるウクライナ大統領選挙の結果を尊重する」「日本は北方領土交渉を中断するつもりなのか」など、即座にニュースとして世界を駆け巡った発言も多かった。
失言が許されない生中継という、極度の緊張を強いられる場面に、時差ぼけや寝不足が重なっていたのではないかと思うのだが、プーチン氏は余裕しゃくしゃくに見えた。
翌日は日曜日(25日)。さすがのプーチン氏も一息を入れるだろう。ウクライナ大統領選の当日でもあるし、東部は不穏な情勢だ。事態の成り行きを静かに見守っているのではないか――と、思っていた。
とんでもない! プーチン氏はこの日、隣国ベラルーシの首都ミンスクに現れた。アイスホッケー世界選手権男子決勝に進出したロシアチームの応援だ。大統領の期待(プレッシャー?)に応えて、ロシアは見事に優勝を決め、ロシアのニュース番組が映すプーチン氏はご機嫌そのものだった。
サンクトペテルブルクの取材で一緒になった顔見知りのフランス人記者の「やっていることを支持する支持しないは別にして、彼ほど仕事をしている大統領はいない」という言葉に、私は深くうなずいた。彼の話は「それに引き換えうちの大統領は……」と続くのだが、それは置いておこう。いったい、プーチン大統領はいつ休んでいるのか。どんな毎日を送っているのか。
これが日本の首相なら、話は簡単だ。新聞の「首相動静」欄を見ればよい。私も橋本龍太郎首相時代に経験したが、首相番記者が朝から晩まで密着して分単位で動きを報じる。いつどこの床屋に行ったか。夕食はどこで誰と食べたか。政府専用機で移動する際も、記者が同乗する。もちろん、記者に見つからないように工夫して誰かとこっそり会ったりすることもあるのだが、基本的には日本の首相の動向は丸裸と言って良い。
ロシアの場合はそうはいかない。大統領府の発表と、ロシアメディアの報道を寄せ集めて推測するしかない。それでも、調べてみると結構おもしろいことが分かってくる。
まず、5月に入ってからプーチン氏が休みをとったと思われる機会は3回ある。
2、3の両日、プーチン氏の動静は一切報じられなかった。どこにいたのかも不明だ。大統領府はこの両日、わざわざ「ウクライナ情勢についてプーチン氏は逐次報告を受けている」と発表した。こんなところも、どこか怪しい気がしなくもない。翌4日も、メルケル独首相と電話をしただけだから、ほぼ3連休だったのだろう。
さらに、11日の日曜日も、動静についての情報がない。ちなみに前日の土曜日には、ソチで行われたアイスホッケーの特別試合に出場して6得点を挙げている。
そして、訪中前の17、18日の週末。どうやら5月の休暇はこの3回だけだったようだ。
ちなみに昨年、大統領府が突然「最近の休暇の様子」として、シベリアの湖で釣りに興じるプーチン氏の写真を公開したことがある。いつ撮影されたかを明らかにしなかったため、ネットなどで「フェイクではないか」「2007年の写真の使い回しでは」といううわさが噴出する騒ぎになった。それほど、プーチン氏の動静には不明な点が多い。
さて5月の動静を調べて、もう一つ面白いと思ったのが、プーチン氏があまりモスクワにいない、という事実だ。ではどこにいるのか。ソチにいることが多いのだ。
9日の戦勝記念日まではモスクワにいたプーチン氏は、夕刻に併合を宣言したばかりのクリミアのセバストポリに飛んだ。その後、モスクワに戻ってきたことが報じられたのは27日。17日間もモスクワを留守にしていたことになる。10日から訪中前日までの19日までは、ずっとソチにいたようだ。連続10日間だ。
この間、プーチン氏は連日のように各地の州知事らと会談。さらに、軍産複合体についての会議(16日)や、安全保障会議メンバーとの会合(19日)も開いている。19日の会合には、上下両院議長、国防相、外相、内相、連邦保安局(FSB)長官らが顔をそろえ、首都機能がソチに引っ越したも同然の状況となった。
プーチン氏のソチ滞在は最近とみに増えており、有力者のソチ詣では引きも切らない。
なぜプーチン氏がソチに入り浸るのかは分からない。長年連れ添ったリュドミラ夫人との離婚を昨年発表した私生活との関連を勘ぐる声もちまたにはあるが、無用な詮索(せんさく)は控える方が賢明だろう。
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駒木明義(こまき・あきよし) モスクワ支局長。1990年入社。和歌山、長野両支局、政治部、国際報道部次長などを経て13年4月から現職。47歳。ツイッターアカウントは @akomaki。
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