太宰治の作品に「毛唐がどんなに威張っても、この鰹の塩辛ばかりは嘗めることは出来まい。けれども僕はどんな洋食でも食ってみせる」と書いた『十二月八日』があります。
そんな太宰は芥川賞がほしくてほしくて選考委員の川端康成に手紙を送ってまで懇願しましたが賞をとることは叶いませんでした。
けれどもさしたる苦労もなく易々と芥川賞を「闘牛」という作品で受賞した井上靖がいます。その時の佐藤春夫氏の選評は次の通りです。
「飽くまで正直に腕にまかせて煙(けむ)にまいてやろうというようなすれっからしの下劣なものの無いのがよい」。
井上靖氏が小説を書きたいと思ったのは昭和22,3年ごろの本人が40歳を過ぎた頃でした。
彼は後の人生はそう長くないのだから、心の底からしたいことをやりたいと思ったそうです。その時本当に自分がしたいと思ったことは、自分を表現することでした。
彼は「決して自分の作品が世の中を動かそうとは思わないが、人間とはこういうものだ、人生とはこういうものだと、一人の作家が思ったことを、たとえ読者は少なくても何人かに知らせようと思って書く仕事は、男子が一生か、あるいは何年も生まれ変わってもやるべき仕事じゃないかと思います。」
そうおっしゃいました。
井上氏の主な作品に「天平の甍」、「おろしや国酔夢譚」、「あすなろ物語」、「しろばんば」、「敦煌」、「楼蘭」などがあります。
そんな太宰は芥川賞がほしくてほしくて選考委員の川端康成に手紙を送ってまで懇願しましたが賞をとることは叶いませんでした。
けれどもさしたる苦労もなく易々と芥川賞を「闘牛」という作品で受賞した井上靖がいます。その時の佐藤春夫氏の選評は次の通りです。
「飽くまで正直に腕にまかせて煙(けむ)にまいてやろうというようなすれっからしの下劣なものの無いのがよい」。
井上靖氏が小説を書きたいと思ったのは昭和22,3年ごろの本人が40歳を過ぎた頃でした。
彼は後の人生はそう長くないのだから、心の底からしたいことをやりたいと思ったそうです。その時本当に自分がしたいと思ったことは、自分を表現することでした。
彼は「決して自分の作品が世の中を動かそうとは思わないが、人間とはこういうものだ、人生とはこういうものだと、一人の作家が思ったことを、たとえ読者は少なくても何人かに知らせようと思って書く仕事は、男子が一生か、あるいは何年も生まれ変わってもやるべき仕事じゃないかと思います。」
そうおっしゃいました。
井上氏の主な作品に「天平の甍」、「おろしや国酔夢譚」、「あすなろ物語」、「しろばんば」、「敦煌」、「楼蘭」などがあります。