僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

貞三の花言葉

2008-10-24 22:58:14 | Weblog
風のガーデン1話で登場した花、ブルンネラ・マクロフィラ・ジャックフロストです。 ムラサキ科ブルンネラ属で、勿忘草に似た青い小さな花を咲かせます。

貞三の花言葉は「冬の天使の涙の跡」です。


3話に出てきた「スノードロップ」です。ヒガンバナ科で「待つ雪草」という和名も持っています。花言葉は「希望・慰め」です。

貞三の花言葉は「去年の恋の名残の涙」とついています。
今にも滴りそうな雪の雫に似た純白の花を咲かせます。
アダムとイブがエデンの園を追放されたとき、雪が降りしきっていました。永遠に続くかのような冬に絶望して泣きじゃくるイブを慰めるために、天使がひとひらの雪に息を吹きかけました。それは地に落ちて春の兆しのスノードロップになり、そして希望が生まれたそうです。

ファイブ・ア・デイとベジフルセブン

2008-10-22 19:31:43 | Weblog
東京ガスのホームページから大事なお話を紹介します。


ファイブ・ア・デイとベジフルセブン







ファイブ・ア・デイとは、ガンなどの生活習慣病予防をめざした国民健康増進運動です。1991年、アメリカの生産者団体や流通業者で組織するPBH(農産物健康増進基金)と、アメリカ国立ガン研究所を主体に産官学がスクラムを組み、活動が始まったものです。

その内容は「野菜と果物を毎日5サービング以上食べて、より健康になりましょう」をスローガンとし、どうしても不足しがちな野菜と果物を1日5サービング以上食べることを提唱しています。

※1サービングとは握りこぶし大の量を言い、葉野菜なら1カップ、生または調理された果物・野菜なら1/2カップが目安です。

この運動により、アメリカでは1人当たりの野菜・果物の摂取量が確実に増加し、生活習慣病での死亡率が減少傾向を示すという実績と成果を上げています。

アメリカで大成功をおさめたこの運動は、全世界に広がっています。日本でもこの「ファイブ・ア・デイ」運動を中心とした食育プログラムの展開を軸に消費者、流通、生産者を連携させた運動が始まっています。

また、この活動とは別に、日本では「ベジフルセブン」という運動が起こっています。

ベジフルセブンとは青果物健康推進委員会が提唱する活動で、「1日7スコア(皿)の野菜と果物を食べましょう」というスローガンを掲げています。

※1スコア(皿)とは野菜で70g(可食部分)、果物では100g(全体)が目安です。

厚生労働省では「1日の摂取目標量を野菜350g、果物200g」と決めましたが、摂取量は不足しています。ベジフルセブンは、この目標量をもっとわかりやすく示したもの、と言えます。









悪戸

2008-10-21 23:45:42 | Weblog
山形市南部に「悪戸(あくど)」という地名があります。一見縁起の悪い不吉な名前ですが、決して悪者の棲む家ではないのです。

民俗学の大家、柳田国男氏によると悪戸や阿久津は、縄文語(アイヌ語)のアクツ=hak-kut=浅くアル岩崖である、としています。
つまり川沿いの低い土地という意味で、かつては川や沼沢地などの低湿地でありました。

山形の悪戸も須川が北北西を流れ、左岸沖積地の一角で、傾斜のある田んぼの中の集落です。

山形大鍋芋煮会フェスティバルで使う里芋が「悪戸イモ」と呼ばれ、この土地の名産でやわらかくホクホクして美味しいです。




里芋畑です



芋煮会に欠かせない美味しい里芋です

花札の短冊

2008-10-21 22:36:58 | Weblog
昔、花札でよく遊びました。絵が美しくて日本的な情緒にあふれていますね。

梅に赤短です。短冊には「あのよろし」ではなくて、「あかよろし」とかかれています。「か」は「可」の変体仮名です。「あか」の意味は、赤の他人の赤と同じで「まったくの」とか「まるっきりの」とか「あきらかに」とかいうように強調の意味があります。「明らかに優れている」という意味になります。



桜に赤短の「みよしの」は桜の名所「吉野」のことです。




留守の意味

2008-10-20 22:04:12 | Weblog
ことばおじさんの気になることばから引用します。

「亭主元気で留守がいい!」ひとむかし前に流行りましたね。私たちは普段、「留守」を「家をあける」「家にいない」という意味で使いますが、漢字は「留まって守る」と書くので不思議ですよね。実は、本来の意味は漢字のとおりなのです。「留守」は中国語が由来で、もともと『皇帝・王がいない間、都にとどまり代わりに政治を行うこと、またその人のこと』を言っていました。そこから、「主人や家人が外出した時にその家を守ること、守る人」という意味になったのです。「留守を預ける」「留守を頼む」というのも、主人が自分のいない間の「留守」をお願いしていたのですね。しかし、いない間を守ることよりも「いない」ということに意識がうつり、鎌倉時代には、現在と同じように「家をあけること。外出して不在になること」という意味で「留守」を使うようになったのです。さらに江戸時代、「手もとがお留守になる」というように「ほかのことに心を奪われ、気が回らない」といった使い方も出てきました。中国では現在でも「留まって守る」の意味で「留守」が使われています。日本での使い方だけが変化したことばなのですね。同じように中国語が由来の「勉強」も、「強いて(=強制する)勉める(=無理をして行う)」と書き、本来は「無理やり。無理強い」という意味なのです。日本でも江戸時代には、「無理やり。仕方なしにする」という意味で使われていましたが、そのうち、「(仕方なしでも)努力をして困難に立ち向かう」→「熱心に励む」と意味が変化し、学問に結びついていったのです。今、嫌々勉強をしている人は、もしかしたら本来の意味を知っているのかも!?

覆水盆に返らず

2008-10-14 00:01:34 | Weblog
 周の時代、釣り好きの代名詞太公望は、学問ばかりしていて貧乏この上なしでした。
 これに愛想をつかした彼の妻は、実家に逃げて音信不通。後にこの太公望が立身出世したときに、逃げた妻がひょっこり戻ってきたのです。
 太公望はこの妻に、お盆に水を入れそれを庭にこぼして見せて、
 「この水がお盆にもどるかね」
 といったのが、このことわざの語源になります。

 自分も卓球三昧が仇となって妻が逃げ出さなければいいのですが、
ま、甲斐性があるので大丈夫でしょう。