木春菊の雑記帳

2005年6月開設の徒然日記。その時みたマーガレット(木春菊)が名前の由来です。

古戦場に立つ

2014-06-26 19:22:42 | 東海
勝負は徳川が
政治的には豊臣が勝った
両者痛みわけの一戦

小牧長久手の戦い
その古戦場跡をたずねました



まずは小牧山城へ
信長公が美濃攻めの拠点とした場所
豊臣との決戦を前に徳川が再建するも
その城郭もなくなり歴史博物館が立つだけ

バリアフリーが整っていて
要塞としての機能はありませんでした

ここからは秀吉公が入った犬山城は
見ることができず

次に長久手古戦場へ
激戦のあとも見えず
戦場をイメージした築山と
近くを走るリニモが見えるだけ


今の平和を噛みしめました
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最古の国宝

2014-06-26 14:34:32 | 東海
正しくは四つの国宝天守閣
(松本、犬山、彦根、姫路)の中で最古の

犬山城

尾張徳川家家老の成瀬家が
代々守った城

小牧長久手の戦いの折には
秀吉公がここに入り
小牧山の徳川軍とにらみ合いましたが
ビルの多い今は小牧山が見えません

城郭の例にもれず
急な階段を上った先には
木曽川の流れ



犬山城の別名、白帝城の由来となった
漢詩「白帝」の景色に似ているそうです
支那には及ばないけれど
悠々たる流れは美しきかな

川の向こうは岐阜県
拠点にはしなかったものの
信長公は美濃攻めの際に
この城に入ったはず
その時の心情、推し量ることあたわず
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天下人への第一歩

2014-06-26 12:23:22 | 東海
かつては守護大名の家老の
そのまた家臣の嫡男

戦国の世でなければ
名を成さなかったであろう
信長公ゆかりの城

清洲城

那古屋の次の拠点であり
桶狭間へ出陣したのもこの場所
天下布武を掲げたのは岐阜ですが
きっかけはここではないかと思われます

秀吉公天下人への第一歩となる
清須会議が行われた場所

そして名古屋城ができるまでは
尾張の中心だった場所

世の流れによっては
ここが政令指定都市になったかもしれない
そんな空想を描きたくなりました

今は名古屋近郊の
閑静なベッドタウン

銅像がこの町をみつめていました




そして秀吉がここから天下人への成功を収める
清須会議が行われた場所

そして名古屋城ができるまで尾張の中心だった場所


もし清須が政令指定都市だったら

復元された天守をみながら考えてみました
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