3月25日(日)早朝、事務所前を大型バスで出発。
メンバーは、山本さん、私、事務局を中心とする市民ネットワークの仲間とその家族の皆さまに加え、今回の視察の実現に大変ご尽力いただいた、白尾さんをはじめとする市原市災害ボランティアネットワークの皆さま。
子ども4名を含む、総勢30名の視察旅行となりました。
目的地まで約7時間のバスの中では、これから向かう石巻市のプロフィール、震災時の状況などについて皆で学習。
市原市災害ボランティアネットワークの皆さんには、被災時のサバイバル法なども伝授していただきました。
避難所で上履きがなくても、新聞紙があればこの通り(^_-)
石巻市は、人口16万。仙台市に次ぐ第二の都市です。
堤防の高さは4メートル、護岸は6メートル。それに対し、襲った津波は中心街で6~8メートルでした。
その結果、災害状況は浸水所帯68%、死者3173名、行方不明者759名、住宅全壊2万棟、避難者数9千人と、被災3県の中でも最大の被災地となってしまいました。
全校児童の約7割にあたる74名が死亡・行方不明となり、マスコミでも数多く報道された大川小学校も、石巻市にあります。
そうこうしているうちに、石巻市に到着。
石巻港インターを降り、ここで待ち合わせていた本日のガイド、日本基督教団東北教区被災者支援センター・エマオでボランティアをされている浅海さんと合流しました。
浅海さんの案内で、バスは港へ向かいました。海沿いの地区に広がる被災地の状況が目に飛び込んできました。
「頑張ろう、石巻」と書かれたモニュメント。たくさんのお花や写真がお供えされてありました。
今回一緒に連れてきた三男も、皆と黙とうを捧げました。写真に写っているのは私と三男です。
こちらの建物は、津波に加え火災にも見舞われた門脇小学校。
昨年の大晦日には、この校舎の前で長淵剛の紅白中継が行われました。
震災から一年が経ち、がれきはほとんど片づけられ、山積みされていました。
宮城県のがれきは1570万トンで一般廃棄物の19年分に相当し、そのうち石巻市は670万トンと、被災地の中で突出した量を抱えているそうです。
こちらは石巻駅周辺です。
宮城県出身の石ノ森章太郎の「石ノ森萬画館」をはじめ、写真のようなキャラクター人形があちこちで出迎えてくれました。
お店が流された方々が営む仮店舗
こちらの建物、パッと見では百貨店?
・・・ではなく、石巻市役所でした。
閉店した百貨店の空き店舗を無償で譲り受けて、2010年に復活させたのだそうです。
一階部分は地元のスーパーが入っていました。
地元の方々からは、「とにかく現場を見に来てほしい、この現状を知ってほしい」という言葉が数多く聞かれました。
何もできない私たちに対し、「来てくれるだけで嬉しい」と。
私にとって初めての被災地訪問、何もかも流され荒涼とした風景に言葉を失いましたが、これでも震災から一年以上たっているのですね。
まちの復興はまだまだこれからです。
宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)前にて、山本さんと。
慶長18年、伊達政宗の命を受け、ヨーロッパへ渡った支倉常長ら慶長遣欧使節。
ミュージアムは、震災以来ずっと休館しています。
メンバーは、山本さん、私、事務局を中心とする市民ネットワークの仲間とその家族の皆さまに加え、今回の視察の実現に大変ご尽力いただいた、白尾さんをはじめとする市原市災害ボランティアネットワークの皆さま。
子ども4名を含む、総勢30名の視察旅行となりました。
目的地まで約7時間のバスの中では、これから向かう石巻市のプロフィール、震災時の状況などについて皆で学習。
市原市災害ボランティアネットワークの皆さんには、被災時のサバイバル法なども伝授していただきました。
避難所で上履きがなくても、新聞紙があればこの通り(^_-)
石巻市は、人口16万。仙台市に次ぐ第二の都市です。
堤防の高さは4メートル、護岸は6メートル。それに対し、襲った津波は中心街で6~8メートルでした。
その結果、災害状況は浸水所帯68%、死者3173名、行方不明者759名、住宅全壊2万棟、避難者数9千人と、被災3県の中でも最大の被災地となってしまいました。
全校児童の約7割にあたる74名が死亡・行方不明となり、マスコミでも数多く報道された大川小学校も、石巻市にあります。
そうこうしているうちに、石巻市に到着。
石巻港インターを降り、ここで待ち合わせていた本日のガイド、日本基督教団東北教区被災者支援センター・エマオでボランティアをされている浅海さんと合流しました。
浅海さんの案内で、バスは港へ向かいました。海沿いの地区に広がる被災地の状況が目に飛び込んできました。
「頑張ろう、石巻」と書かれたモニュメント。たくさんのお花や写真がお供えされてありました。
今回一緒に連れてきた三男も、皆と黙とうを捧げました。写真に写っているのは私と三男です。
こちらの建物は、津波に加え火災にも見舞われた門脇小学校。
昨年の大晦日には、この校舎の前で長淵剛の紅白中継が行われました。
震災から一年が経ち、がれきはほとんど片づけられ、山積みされていました。
宮城県のがれきは1570万トンで一般廃棄物の19年分に相当し、そのうち石巻市は670万トンと、被災地の中で突出した量を抱えているそうです。
こちらは石巻駅周辺です。
宮城県出身の石ノ森章太郎の「石ノ森萬画館」をはじめ、写真のようなキャラクター人形があちこちで出迎えてくれました。
お店が流された方々が営む仮店舗
こちらの建物、パッと見では百貨店?
・・・ではなく、石巻市役所でした。
閉店した百貨店の空き店舗を無償で譲り受けて、2010年に復活させたのだそうです。
一階部分は地元のスーパーが入っていました。
地元の方々からは、「とにかく現場を見に来てほしい、この現状を知ってほしい」という言葉が数多く聞かれました。
何もできない私たちに対し、「来てくれるだけで嬉しい」と。
私にとって初めての被災地訪問、何もかも流され荒涼とした風景に言葉を失いましたが、これでも震災から一年以上たっているのですね。
まちの復興はまだまだこれからです。
宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)前にて、山本さんと。
慶長18年、伊達政宗の命を受け、ヨーロッパへ渡った支倉常長ら慶長遣欧使節。
ミュージアムは、震災以来ずっと休館しています。