れんげ上人伝記 ④
さてそれから、時は過ぎ、蓮花丸は十五歳となりました。老母は、既に永禄の頃(1558年~1570年)
にお亡くなりになられました。母が亡くなった頃に、豊春夫婦も出家の願いを持ちましたが、
蓮花丸がまだ幼少であったので、しんよ上人は、出家を止めました。蓮花丸は、日夜、
学問に励みました。元より仏の再来でありますから、その賢さといったら、まったく如
来の御化身かと、誰もが皆、尊敬するのでした。
ある時、蓮花丸は、勉強にも疲れたのでしょうか、ついうとうとと、眠り込んでしまいました。
さて、その枕元に母上が姿を顕しました。
「如何に、蓮花丸。昼夜の学問を怠らず、仏道に専心し、如来の報恩を尊むことは、大
変嬉しいことですよ。私は、あなたの母親ではありますが、本当は人間ではありません。
あなたの父、豊春は、幼少の時に父を討たれ、明け暮れ敵討ちの願いを、私に祈願しました。
あなたの父の親孝行の心に感心して、その本願を助けることにしたのです。私は、仮の
人間として現れて、あなたの父と夫婦になりました。願いの通りに仇討ちを果たさせたのは、
仏の道に引導するための方便です。さて、老いた母上も極楽往生されました。父豊春も
仏道に入り、修行することを望んでいます。これは、他力本願の力なのですよ。あなたは、
いよいよ出家をして、一門の眷属を引導しなさい。しかし、因果応報からは逃れること
はできません。敵の一子は、父豊春を討ち殺そうとやって来ますが、その罪は、父に来
るのではなく、あなたに巡って来ます。敵が、あなたを打ち殺そうとしても、少しも
身命(しんみょう)を惜しんではいけません。阿弥陀仏の本願の為に命を捨てるのなら、
あなたも敵も、共に成仏の一蓮托生となり、出離決定(しゅつりけつじょう:解脱すること)
は疑いありません。私は、この因果の道理を知らせるために、これまで仮に現れていたのです。
誰にでも容易くできる他力念仏の行を、更に広く人々に勧めなさい。そうすれば、又
会うこともあるでしょう。」
蓮花丸の母は、そう言うと、不思議にもたなびく白雲の上に乗り、
「夢ではありませんよ。決して母の言葉を疑ってはいけません。」
と、言い残して、空高く舞い上がりました。蓮花丸は、驚いて飛び起きると、虚空を飛
んで行く母上の姿を、有り難く拝みましたが、さすがに突然の母との別れを悲しみました。
そこへ、父豊春が、駆け込んで来ました。蓮花丸が、事の次第を話すと、豊春も、
「おお、私にも同じ事を告げて、妻が虚空に飛んで行く夢を見た。目覚めて、妻を捜し
たが、どこにも居ない。あまりにも不思議なので、お前に知らせに来たところだ。それ
にしても、こんな珍しいことは無い。先ずは、上人様にお知らせいたそう。」
親子が、事細やかに次第を上人に語ると、上人はこれを聞いて、
「おお、そんなこともあるであろう。大慈大悲(観世音菩薩のこと)の誓願には、無仏
の衆生を救うため、妻となり子となり、様々な利益(りやく)をお与え下さるのだ。菩
薩が様々に化身して、人々を救う事は、沢山の経文に明かである。あなた方の信心が深
いので、疑いもなく、仏、菩薩が付き添ってくれているのです。そのうな奇跡があった
のなら、少しも早く、親子共々、出家するべきでしょう。」
と、言うと、早速に豊春親子に受戒を授けたのでした。やがて、剃髪し、豊春は善浄坊、
蓮花丸は蓮花坊と名付けられたことは、有り難限りです。善浄は、上人に、
「このように、有り難い身分となった上は、少しも早く諸国修行に出発し、どのような
山にも籠もって、ますます未来を願うことといたします。」
と、言うと、早速に暇乞いをして、念願であった修行の旅に旅立たれたのでした。まっ
たく有り難い次第です。
さて、上人は、蓮花坊に、こう問いました。
「蓮花坊よ。そなたは、仏菩薩の胎内より生まれ出た者であるから、衆生を引導するこ
とのできる善知識であることに間違い無い。これから、どのような法味(ほうみ:教え)
を説いて、往生の関門を越えさせるのか。真の道理とは何か。さあ、どうだ、どうだ。」
蓮花坊は、
「私は、卑しくも、上人様に助けられて、御哀れみを深く被りました。そして、有り難
い仏法を、聴聞して参りました。その中で、最も尊きものは、阿弥陀如来の御本願です。
何故なら、無量寿経四十八願の第十八番目に、念仏の信心のみを勧めて、他の修行を勧
めてはいません。又あるいは、十回でも念仏を唱えれば、必ず往生すると説かれるのです。
一向専念無量寿仏(いっこうせんねんむりょうじゅぶつ)と言うより外に、別の方法は
ありません。往生の肝要は、ここに極まっております。」
と、鮮やかに答えたのでした。上人は、大変感心して、
「まだ年端も行かないのに、たいした悟りである。きっと立派な高僧になることだろう。
決定往生(けつじょう)往生の関門は、念仏に過ぎたるものは無い。さて、ここで修行
を重ねるのか、また諸国修行に出るのか。そのどちらでも、望む方にしなさい。」
と言うと、蓮花坊は、
「まず修行に出たいと思います。世間の憂い、無常を経験し、衆生を誡め、念仏を勧め
たいと考えます。これより、暇申し上げ、旅の仕度をいたします。」
上人は、蓮花坊の志しを殊勝に思い、
「何ひとつとして、実を結ばないという事はない。幸い、修行を望んでいる僧が多数いるので、
この人々と一緒に、諸国巡礼に出かけ、無仏の人々を、菩提の道へと引導しなさい。
さて、それでは、形見を取らせることにしよう。」
と、言うと、紺紙金泥(こんしこんでい)の名号を取り出して、
「これは、我が門の御開山様自筆の霊宝である。これを、御身にお譲りいたそう。奇特
不思議の名号である。よくよくこれを、信心しなさい。今から、御身を蓮花上人と名付
ける。よいな。」
と言うのでした。蓮花上人は、喜んで形見を拝受すると、同行の僧達と修行の旅に出たのでした。
《以下、道行き》
さぞや仏陣三宝も
いかで哀れみ無かるらん
修行の縁を頼まんと
熊野に参り、三つの山
補陀落や、波打つ浪は、三熊野の(熊野三社)
那智の御山に、響く滝つ瀬と
心静かに、伏し拝み
これや牟婁(むろ:和歌山県から三重県)
浦山かけて遙々と
駒の岬を打ち眺め(那智勝浦町宇久井半島)
いつか、我が身も極楽の
台(うてな)の縁に大崎の(三重県志摩市浜島町大崎半島)
里をも越えつつ塩津浦(和歌山県海南市下津町塩津)
向かいは、和歌の浦山や(和歌山県北部)
月の夜船に頼り得て
光も差すや玉津島(和歌山県和歌山市和歌浦中)
その古は父上の
母諸共に年を得て
ここぞ、妹背の山住まい
今は、大日の誓いにて
親子諸共、出家して
菩提の岸に至る身の
頼めや頼め、弥陀の為
人は、雨夜の空なれど
雲晴れぬとも、西に行き
仏の教え、有り難し
水底澄みて、明らかに
流れも清き、紀ノ川の
渡し守さえ心地して
関の戸、あくる山口の(和歌山県日高郡印南町山口)
里、離れたる山中(大阪府南市山中渓谷)
下は、吹飯(ふけ)の浦とかや(大阪府泉南郡深日(ふけ)海岸)
父御に何時か、大川の(旧淀川)
宿にも今は和泉なる
住み慣れ給いし貝塚を(大阪府泉南地域)
修行の身なれば、他所ながらもや、打ち眺め
大鳥五社の大明神を伏し拝み(大鳥大社:大阪府堺市西区鳳北町)
信太の森の恨み葛の葉
北は、住吉、こうこうたり(住吉大社:大阪市住吉区住吉)
西、蒼海、満々と
沖より浪の打つ音は
物凄まじき、風情かな
巡り巡りて、今は早
堺の港に着き給い(大阪湾)
旅の休息、晴らさるる
かの上人の有様
殊勝なりとも、なかなか、申すばかりはなかりけり
つづく