猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 15 説経石山記(蓮花上人伝記) ⑥

2012年12月21日 17時14分15秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

れんげ上人伝記 ⑥

 それから、蓮花上人は諸国修行怠りなく、近江の国は御影山(三上山)の山麓、野洲

川にやってきました。(滋賀県野洲市)もう日も暮れかけていましたので、とある商家

に宿を乞いました。さて、夜半の頃のことでした。その屋の亭主を初め人々が、何だか

得体の知れぬ物を布に包んで持って来たのでした。

「お坊様。大変、恥ずかしいことですが、お教え下さい。只今、主の女房が出産したのですが、

なんと言うことか、人の形をしておらず、この様な物を産み落としたので、皆一同、驚

いております。きっと、お坊様は、このような不思議なこともご存じと思いまして。ど

うか、お助け下さい。」

と、涙を流して、訴えるのでした。上人が、どれどれと、布をはいで見てみると、毬の

ような卵でした。同行の僧も皆、不思議がっていると、蓮花上人は、

「このようなことは、良くあること。皆これ、報いの業である。この屋の亭主は、い

つも殺生ををして渡世をしておるな。さあ、懺悔しなさい。奇特を表してみせよう。」

そういわれて、驚いた亭主は、

「はい、実は私は、山川の鳥、獣を捕り、商売としております。」

蓮花上人は、これを聞いて、

「おお、懺悔するからは、この卵を開き、その証拠を顕してあげよう。衆生皆共成仏道。(しゅじょうかいぐじょうぶつどう)

頼もしき弥陀の御誓願。南無阿弥陀仏。」

と、回向なされると不思議にも、卵が二つにぱっかりと割れました。中から出てきたのは、

頭は人間、胴体手足は動物の形をした畜生でした。亭主も人々も、飛び上がって驚き、

「ああ、このような報いがあるとも知らなかったとは、浅はかだった。」

と、涙を流して悲しみました。蓮花上人が、

「報いの業の恐ろしさが、このように歴然であるからは、これより、殺生をぷっつりと

止め、仏道の信仰を持ちなさい。そうすれば、この異形の物も人間となり、仏果の縁が

訪れることは疑い無いでしょう。」

と言うと、亭主達は、

「このような浅ましい事態を見た以上は、今後、殺生はいたしません。さて、仏道信仰

というのは、どういうものですか。」

と、問いました。蓮花上人は重ねて、

「それは、簡単なことです。まず、殺生をしないことが、仏道の入り口です。これを、

殺生戒と言い、仏道修行の段階は沢山ありますが、これが、第一の誡めなのです。さて、

万法の中で、最も優れて尊いのは、阿弥陀の本願です。下根(劣る)下地(下界)の衆

生、無知無行であっても、極楽往生は間違いありません。只、一心に、助け給え南無阿

弥陀仏と唱えなさい。今、このように浅ましい姿の物も、完全な人間に生まれ変わる

だろう。」

と言うと、あの「身代わり名号」を、生まれたばかりの異形の上に載せました。

そして、南無阿弥陀仏
と唱え始めました。亭主を初め人々も、一心

に念仏を唱えました。

 誠に、三種病人(らい病)ですら助かるという、大乗の冥加を説き、不可思議の力

を持つ如来の誓願は、なんと有り難いことでしょう。異形の物は、動物の姿をはらりと

脱ぎ捨てて、誠の人間の形となったのでした。まったく、仏果の実りの有り難いことです。

亭主は、余りの嬉しさに、

「大変ありがとうございます。まったく、あなた様は生き仏でいらっしゃいます。お名

前は、なんと申すのですか。いよいよ仏法を広めてください。」

と、ひれ伏すのでした。蓮花上人は、

「いやいや、これは、まったく愚僧の力ではないのだよ。阿弥陀如来のお助けなのだ。

このご恩をよっく胸に刻んで、殺生の道を止め、只、南無阿弥陀仏、助け給えと唱えなさい。

きっと、目出度く往生できること、間違いありません。我々は、これから、石山寺に参

詣いたします。互いに、命があるならば、又お会いいたしましょう。さらば。」

というと、もう既に夜も明けたので、石山寺を目指して、出発して行きました。まった

く、有り難い次第です。

 

 石山寺に到着した、蓮花上人は、

「これは、大変殊勝な御山ですね。そもそもこの寺の始まりは、聖武天皇の頃、奈良の

都の東大寺大仏供養の折の事。良弁僧正(ろうべんそうじょう)が勅命を受けて、陸奥

(みちのく)より黄金を見つけ出した時に、建立されたと聞く。ここは、慈悲観音の霊

験あらたかな寺であるぞ。」

と、信心深く仰るのでした。

 さて奇遇にも、そこに、諸国修行をしていた蓮花上人の父、豊春が、参詣してきました。

蓮花上人は、

「のう、父上、蓮浄坊殿ではありませんか。私は、蓮花坊ですよ。」

と、衣にすがりつきました。久々の対面に、互いに諸国修行の旅の出来事を語り合いました。

人々を利益した、様々な物語。この親子の殊勝な心の内は、誠に有り難い限りです。

やがて蓮浄は、

「そこに居られる皆さんは、愛弟子達ですか。」

と、聞きました。蓮花上人は、

「はい、こちらからお話しようと思っていた所ですが、先にお尋ねいただきました。

これは、弾正左衛門国光の一子、形部の介国長です。我々親子を敵と狙っているところ、

私と巡り会いました。母の教えを守り、首を差し出した所、「身代わり名号」の奇瑞が

顕れ、そのまま発心して、今は、蓮切と申します。また、残りの六人も、蓮切の従者で

したが、残らず発心して、皆、私の弟子となりました。」

と、事の子細を語りました。蓮浄は、これを聞いて、

「そうであったか。今より後は、互いの悪心を滅して、共に成仏いたしましょう。さあ、

仏前にお参りいたしましょう。」

と、言うと、一同、内陣にひざまつき、

「南無や大悲の観世音。一切衆生、ことごとく、西方極楽往生の誓願、助け給え、南無阿弥陀仏。」

と、しばしの間、回向なされたのでした。

 そうしていると、不思議なことに、どこからとも無く、赤ん坊の着物がひとつ現れて、

厨子の扉に打ち掛かったのでした。人々が、おやっと思って眺めていると、父蓮浄は、

「おお、蓮花坊よ。この薄衣は、お前が幼かった時に、お前の母親がしつらえて、着せ

てくれた着物に間違い無い。これは、いったいどういうことか。この寺の住職に尋ねて

みよう。」

と、住職に尋ねましたが、心当たりが無いと言うばかりです。親子が、不思議がっていると、

突然、厨子の扉が、さっと開いたのでした。人々が驚いていると、厨子の中から、異香

が漂い、有り難いことに、自然と御帳を開いたのでした。なんという不思議なことでし

ょうか。そこには、在りし日の蓮花上人の母上が、いらっしゃいました。人々は、いよ

いよ感歎して、拝みました。その時、蓮花上人の母上は、

「久しぶりの蓮花坊。母の言葉を守り、仏道修行に勤めている様子。神妙なことです。

さて、只今の薄衣は、疑いも無き親子の証拠です。無仏の者を仏道に向かわせようとする

大慈大悲(観音菩薩)の誓願の顕れです。ですから私は、かつて人間に交わり、生活を

共にして、草芥(そうかい:ゴミ)の土に穢れたのです。このことを、眼前に見たからは、

疑問に思うことはひとつとしてありません。他力本願の勧めは、一向一心に、南無阿弥

陀仏の名号を唱えることです。ますます念仏して、衆生を済度しなさい。私の教えは、

これだけです。それでは、お別れです。」

と、有り難くも、お話になりました。蓮花上人親子、住職、随行の人々も、皆、随喜の

涙を流しました。蓮花上人は、

「さてもさても、有り難い言葉。願わくば、本当のお姿を、拝ませてください。」

と、涙ながらに問いかけました。母上は、

「それでは、疑いを晴らさせてあげましょう。よくよく、尊っとみなさい。」

と言うなり御帳を閉じました。暫くすると、厨子の中から、有り難い声が聞こえてきました。

「今在西方名阿弥陀(こんざいさいほうみょうあみだ)娑婆示顕観世音(しゃばじげん観世音)

(※今は、西方浄土に阿弥陀仏として念仏の衆生を救い、現世には観世音菩薩となって

顕れて、苦しみの衆生を救う)

願えや願え、衆生よ。南無阿弥陀仏。」

すると、御帳がさっと開いて、金色の十一面観音が、光を放って現れたのでした。

 さては、蓮花上人の母上様は、石山寺の観音様であったかと、末代までも語り継がれたのでした。

さて、それから蓮花上人は、念仏の大道心、石山寺中興開山の善知識となられたのでした。

衆生済度の御方便、二世安楽の御誓い、仏法繁盛。

有り難きとも中々、申すばかりはなかりけり。

おわり

Photo