ごすいでん その4
稚児山の麓に連れて来られたごすいでんは、静かに、敷き皮に座り直すと、肌の守りの観世音菩薩を取り出しました。岩の上に安置されると、懐から御経を取り出して、観音経を美しくも高らかに読誦されました。
「私の身はこのようになりましたが、胎内に宿る王子が人と成るまで、守ってください。」
と、祈念して、ご本尊を守り袋に納めると、首に掛けて
「さあ、武士(もののふ)ども、早くやりなさい。」
と、合掌して目を閉じました。さすがの武士たちも、涙に暮れていましたが、時刻が移ればいよいよ仕方なく、剣を抜いて、ごすいでんの後ろに回り、
「今こそ最期、お念仏申されよ。」
と、えいとばかりに、剣を振り上げると、なんと不思議なことに、御剣は、バラバラと砕け散って、折れ落ちてしまいました。
驚く武士はへたへたと腰を抜かし、かっと目を開いたごすいでんは、
「南無観世音、私の胎内には、十全(じゅうぜん)の君を宿らせているので、王子が誕生しない内は、賤しき武士の剣で、切ろうが、突こうが、その甲斐が無いのも当然のことです。おまえ達も私も、過去の業因はつたなく、善悪の区別はありますが、上下の差別無く、皆これ仏体であるのです。さあ、人間の出生する初めを、詳しく聞かせますから、よく聞きなさい。母の胎内に宿る初めの月は、不動菩薩、ひとつの幼いが力を重ねると書き、そのため、その形は独古(どっこ)のような形です。二ヶ月目は、如意宝珠(にょいほうじゅ)則ち釈迦如来であり、錫杖の形となります。三ヶ月目は文殊菩薩、三鈷(さんこ)の形となり、四ヶ月目は普賢菩薩、頭と左右の手足が出て来ます。五ヶ月目は地蔵菩薩、六根が全て備わり、六ヶ月目は弥勒菩薩、五輪五体が整い、七ヶ月目は薬師如来、母の胎内を浄瑠璃世界と言い、八ヶ月目は観世音菩薩、十五夜の月のごとく、平等に光りを照らし、九ヶ月目は勢至菩薩、人はこれを、丸が力に生まれると書き,十ヶ月目は阿弥陀如来。仏の慈悲とは、こういうものです。私の胎内は、今八月ですから、観世音菩薩の身体です。そしてまた、マガタ王の太子ですから、これほどの奇特が現れたのです。王子が誕生なさるまで、静かに待っていなさい。」
兵達は、恐れ入って、ひれ伏しておりましたが、
「あら、有り難い霊験。この上は、一度、都へ戻り、大王様に奏聞いたしましょう。」
と、帰京を勧めました。しかし、ごすいでんは、
「いや、何の面目もなく、都へ帰ることはできません。この事を奏聞したら、残る九百九十九人の后達は、罪を問われて命を失うでしょう。私一人が生きて、九百九十九人の命を奪うことは望みません。私はもう、思い定めました。」
と、一命を献じて、九百九十九の命を助ける発心した途端に、おぎゃあとばかりに、赤子が飛び出しました。まったく驚く外ありません。
武士達は、慌てて谷に下り、水を汲み、産湯を遣い、抱き上げてみると、千ざい王にそっくりな玉のようなる王子です。ごすいでんは、王子をうやうやしく抱き上げると
「はかなや、この太子を捨ておいて、死なねばならないとは、せめて生まれぬ前に死ぬならば、これほどに思いはつのらないだろうに。ほんとは、錦の布団に包まれるべきなのに、つたなき腹に宿ったばっかりに、どことも知らぬこんな山奥で生まれるとは、みなしごを伏せ置く山の麓の嵐や木枯らしも心して吹けよ。返す返すも、口惜しい。どうか、生き延びて、いつか大王に会い、私に供養をしてください。」
と、肌の守りを、涙ながらに太子の首にしっかりと掛けました。
「南無観世音菩薩、お願いです。王子の行く末を安穏に守ってください。」
と、ひっしと王子抱きしめ、万感の別れを済ませると、涙を払って敷き皮に座り直し、西を向き、
「最早、これまでなり、南無極楽教主の弥陀仏すぐに引摂(いんじょう)し給え、南無阿弥陀仏。」
高らかに十回唱え、左の手で、王子を抱いて乳房を含ませ、右の手で岩角をしっかりとつかみました。
武士達は、いよいよと、意を決してごすいでんの後ろに回ると、ばっさりと、太刀を振り下ろしました。ごすいでんの首は、あへなく前に落ちました。武士達が、ふるえる手で、ごすいでんの首を器物に押し込めると、首の無い死骸から声がしました。
「みなしごの 住める深山の たつた姫 荒雲秋の 木の葉散らすな」
驚いた武士達は、恐ろしくなって、王子もそのままに、ごすいでんの首を抱えて、一目散に都に逃げかえりました。
ごすいでんの最期、哀れともなかなか、感ぜぬ者もありません。
つづく
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