角太夫さんせうたゆう ①
本編は、説経節では無いので、ここでは番外と位置づけるべきものではあるが、説経節が語った筋とは異なるもうひとつの「さんせうたゆう」として紹介することにする。
本編は、佐渡文弥人形芝居保存会が発行した「文弥節浄瑠璃集下巻」(非売品)に翻刻収録されており、山本角太夫(かくたゆう)の正本とする山本久兵衛板の底本によることが分かるが、その底本がどこの物なのか等については不明である。年代は、角太夫の活躍年代からして、延宝年間であることが推測される。角太夫は京都の浄瑠璃師であり、角太夫節と呼ばれ人気を博したと言われ、「しのだ妻」を得意とする等、説経ネタに熱心であったことが窺える。
お釈迦様は、ブッタガヤの南、佉羅陀山(きゃらだせん)で、延命地蔵経をお説きに
なりました。一万二千の阿羅漢(あらかん)三万六千の菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)
が、お集まりになったその時、地蔵菩薩は、六輪の錫杖(しゃくじょう)を持ち、大地
より浮かび上がって来られ、心を込めて、八十六道の衆生を済度されたのでした。誠に
観自在の弘誓(ぐぜい)は海よりも広いとは言え、地蔵菩薩の深いお慈悲にはかなうも
のでは無いと、説かれたのです。
ここに、本朝において丹後の国、金焼地蔵(かなやきじぞう)の尊い由来を尋ねて見
ますと、六十四代、天禄(970年)の天皇(円融天皇)が即位なされた頃のことです。
誠に賢い天皇であられましたので、政(まつりごと)は正しく行われ、臣下大臣は星の
ように連なり、天長地久(てんちょうちきゅう)の勢いです。国々の大名小名は、代わ
る代わるに内裏に詰めて、天皇をお守りし、太平の御代が保たれていましたので、まっ
たく有り難い御時世でした。
さて、司召し(つかさめし)とは、国々の大名小名の官位と、出仕状況を記録する重
要な書類ですが、この目録をご覧になった関白道真公は、奥州五十四郡の大将、岩城の
判官正氏の名が無いことに気がつきました。道真公が、担当の役人に問い質しますと、
「ご不審の正氏殿ですが、ご病気との訴えにて、御出仕無く、この度の目録には、載せ
ることはできません。」
との答えです。道真公がこの件を奏聞なされますと、その処遇について、帝も迷われて
いるようでした。
さて、ここに上総の国の管領である重連(しげつら)という者、岩城の判官正氏とは、
同族の者でありながら、常々、奥州の大将である正氏の威勢を妬み、その性格も我が儘
でありました。重連は、今の詮議こそ、正氏を陥れる絶好の機会と、はばかりも無く、
御前にまかり出ました。
「申し上げます。岩城の判官正氏は、それがしの一族ではありますが、我が君のご不審
には変えられず、言上いたします。
正氏は、奥州の大将を給わりしよりこの方、謀叛の企てがあります。日の本の将軍と
自らを号して、近国の武士を集めて、軍評定(いくさしょうじょう)をしております。
それで、病気と偽って引きこもり、都へ出仕もしないのです。この重連にも仲間に入る
ようにと言って来ましたが、これまで黙殺をして内々の事として参りましたが、今日の
御評定に至っては、最早、一家の咎(とが)を白状するのが忠臣の道と考えました。」
と、白々しくも忠臣面(つら)をして、怖ろしい讒言(ざんげん)をしたのでした。
これを受けての詮議の結果は、二条大納言介兼(すけかね)卿を勅使とする調査団を
急遽、奥州に向かわせ、朝敵であると判明したなら、召し捕って筑紫に流し、もし、刃
向かうならば、誅伐(ちゅうばつ)せよというものでした。 この調査団には、武臣の
大将として武蔵の郡司親敏(ちかとし)が命ぜられ、さらに管領重連には、案内役が命
ぜられました。こうして、調査団一行が奥州へと向かうことになりました。
さて、案内役の重連は、奥州へ到着する前に密かに、内通者である正氏の家来に使者
を送りました。それは白川平蔵時村と言う者でした。知らせを受けた平蔵は、驚いて
重連の元へと急行しました。平蔵がやって来ると、重連は、
「さて、貴殿に見せる物がある。」
と言うと、都より持参した箱を取り寄せて、開けて見せました。その中には、白い鳩が
一羽おり、金色の土器(かわらけ)に餌が入れてありました。すると、重連は、供の家
来を遠ざけて、平蔵に小声で、
「内々、貴殿と打ち合わせておいた通り、正氏の病気を作病に偽って、様々讒言をした
ので、虚実を確かめ、流罪させよとの宣旨。勅使大納言殿は、追っ付けご到着される。
しかし、謀叛の証拠があるわけでは無い。そこで、思案を巡らし、この鳥を隠し持って
来たのだ。
つまり、こういうことだ。勅使が到着すれば、正氏は、勅使に土器を差し上げて
九献(くこん)をされるだろう。その時、おぬしは、給仕をして、その土器を、この
金の土器と取り替えて三宝に載せて出すのだ。よいか、この鳩は、生まれてよりこの方、
この金の土器以外の器で餌を食べたことは無いので、この土器を良く覚えておる。勅使
が、土器を取り上げた時に、庭木の陰より家来に鳩を放させるのじゃ。すると、鳩は、
この金の土器を見て、餌と思ってひと飛びに勅使の手に飛び付くだろう。そうなれば、
人々は、怪しいことが起こったと思うに違い無い。後は、それがしが、うまいこと言っ
て、正氏を謀叛の罪に陥れるというわけだ。後の約束は、半分ずつの取り分ぞ。どうじゃ。」
と、不道(ぶどう)の密談をするのでした。悪の平蔵は、分かった分かったと頷いて、
「これぞ、究境(くっきょう)の企て、お任せください。」
と言うと、金の土器を手に取ってみました。すると、鳩もさっと拳(こぶし)に止まり
ました。さらに、土器を懐にしまうと、嘴(くちばし)でつつき、懐中にまで嘴を入れてきます。
よくも、ここまで飼い慣らしたものです。
つづく
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